「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(6)--ボブ・ディランも日本に来るとこうなる
前回、ボブ・ディランをスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチと並べて議論しました。そうすることによって、スウェーデン・アカデミーが評価しようとしているものが、よりはっきりすると思ったからです。
私は、ロックやポピュラー音楽を知りませんので、ボブ・ディランの仕事の中身に関わって議論することができませんでした。ところが、ツウィートやブローグでこんなものを見つけました。
まず、ツウィートです。
大瀧師匠は「アメリカンポップス伝」でアメリカのフォークソングの暗い歴史について語っています。50年のGoodnight Irene から58年のTom Dooley まで、ポップ1位にチャートされたフォークソングは一曲もありませんでした。それはなぜか。
マッカーシズムです。フーヴァーとマッカーシーがまず標的にしたのはハリウッド、次が音楽業界でした。50年にGoodnight Irene はじめヒットを連発したWeaversはその反体制的な姿勢を咎められてテレビラジオ出演禁止を言い渡され、デッカはカタログから全曲を削除しました。
マッカーシー没落までの数年間、アメリカのラジオからピート・シーガーやウディ・ガスリーの声が流れることはありませんでした。ボブ・ディランの登場は1962年。あれは体制批判を歌うことがただちに失職や投獄のリスクを意味していた時代をラジオの前で耐えて過ごした少年の歌声なんですね。
今の日本では、投獄はありませんが、石田純一氏の都知事選に関わる発言は、事実上の失職の危機をもたらしました。
それから、久保憲司という人がブローグでこういうことを書いています。
(この記事は、「ロック、本当はこんなこと歌ってるんですよ」というタグをつけて、2016年06月23日 18時47分にアップされていますから、ノーベル文学賞受賞を機に、特別に執筆されたものではありません。)
なぜサム・クックが「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を書こうと思ったというと、ボブ・ディランが「風に吹かれて」を書いたからです。
サム・クックはラジオで「風に吹かれて」を聞いて、“あ、この白人の少年は僕ら(黒人)のために歌ってくれている。僕らもこういう歌を歌わない”といけないと思って書いたのです。
日本だと「風に吹かれて」は色々な解釈が出来る歌と言われていますが、海外では誰もそんなこと言わないです。これは公民権運動を代表する曲なのです。
この「風に吹かれて」の歌詞を私なりに、部分的抜粋して訳しておきます。
人はどれだけ多くの道を歩まなければならないのか--人と呼ばれるようになる前に。
・・・・
どれだけ多くの砲弾が飛ばなけれならないのか--それが永久に禁止されるようになる前に。
友よ、答えは風の中にあるんだ、答は風の中にあるんだ。
・・・・・
人はどれだけの回数顔を背けるのか--見ないふりをしながら。
友よ、答えは風の中にあるんだ、答は風の中にあるんだ。
久保憲司氏は、この歌詞の冒頭の「人」は、「黒人」を指していて、それがいつになったら「人間扱いされるんだ」と言っていると指摘して、次のように書いています。
黒人はいつだって人間だと思うんですけど、この頃のアメリカの黒人は人間として認められていなかったのです。
それをボブ・ディランはお前らいったいいつになったらこの間違いに気づくんだと投げかけているのです。
「その答えは 風に吹かれている」--(「風に吹かれて」)
という名サビですけど。これを日本では風に舞うくらいだから、あやふやな答えだろと考える人が多いですけど、ボブ・ディランはそんなあやふやな気持ちで歌っていないです。ボブ・ディランが歌っていることは黒人が人間かどうかなんかという答えなんか風が教えてくれるくらい当たり前のことだろ、お前ら、分かってんのか、立ち上がれよ、黒人のためにという強い意志で歌っているんです。
さらに「どれだけ多くの砲弾が飛ばなけれならないのか--それが永久に禁止されるようになる前に。友よ、答えは風の中にあるんだ、答は風の中にあるんだ。」の部分についても、こういっています。
「どれ位の砲弾が飛び交えば」禁止されるのか? うーん、、その答えは風に舞っているかもね。とか、そんな軽い話じゃないんです。黒人を解放するためにアメリカは二つに分かれて、50万人もの死者を出しているんです。こんな歴史があるのに、お前らまだ黒人は人間じゃないとか言ってんのか、ぶっ殺すぞみたいな感じなんです。
私は、この「芸術は政治だ!」のシリーズを、「血のメーデー事件」をモチーフとした岡本太郎の絵画のことから始めました。そして、途中で「女性を扱った海外の映画が日本に来るとこうなる」という話を扱いました。
ボブ・ディランについても、同じことがいえそうですね。
久保憲司氏の解説によれば、それが日本に来ると、「多様な解釈」ができるというようなことになって、「その答えは風に舞っているかもね」というようなことになってしまう。でもそれは違う。本当は、「ロックは政治だ!」「文学は政治だ!」、ということですね。
ただ、ちょっと私なりの注釈を2つ、つけておきます。
まず第1に、この歌のタイトルやサビの部分の「風に吹かれて」「答は風に吹かれている」という訳についてです。
The answer is blowin’ in the wind.
というのが元の歌詞ですから、これは直訳として正しいものです。
しかし、日本語訳だと、「答」は、風に吹かれて飛んでしまうような弱々しい存在のようなニュアンスになってしまいます。
では、英語のニュアンス、ボブ・ディランの意図はどうでしょうか。
英語のWikiには、Gray (2006)の The Bob Dylan Encyclopediaの p. 64からの引用として、ボブ・ディランのインタビュー発言が載っています。
この歌については、答が風の中でblowingしているということ以外オレがいえることはあまりないんだ。答は、本、映画、テレビのショーや議論の中にはないよ。それは風の中にあるんだ、そう、風の中でblowingしているんだよ。多くの分かったような顔をした連中は、ここに答があるとか言ってくるが、オレは信じないね。やっぱり、オレはそれは風の中にあって、まさに風に舞う紙切れみたいに落っこってくることになっているんだけど・・・だけど、丁度問題なのは、それが落ちてきた時にその答を誰も拾おうとしないのさ。だから、あまり多くの人がそれを見たり、知ったりすることはないのさ・・・それで、その答はまたどこかへ飛んで行ってしまう。だけどオレは言いたいが、不正を見て何が不正かを知っていて顔を背けるヤツは、最悪の犯罪者の中におくべき連中だぜ。
これを見ると、ボブ・ディランの言う「答」は、弱々しいもの--風に吹かれてどこかへ行ってしまう、そして容易に消えてなくなるような--ではないことがわかります。
それは、必ず私達の目の前に現れるものとされています。そういう意味では、「答」の存在は確実なのです。
ただ問題は、私達の目の前に現れた時に、誰もそれを把握しようとする者がいないことなのです。
私の部分的抜粋の訳では、「答は風に吹かれている」と訳さずに、「答は風の中にある」と意訳したのは、この方が「答」の存在確実性が伝わると思ったからです。
ところで、ボブ・ディラン自身も、「答」を知っている、とは主張していません。だから、「風の中にある」わけですね。
しかし、重要なのは、
「だけどオレは言いたいが、不正を見て何が不正かを知っていて顔を背けるヤツは、最悪の犯罪者の中におくべき連中だぜ。」
の部分ですね。
つまり、彼は、「全部の答を知っているわけではないが、このことだけは知っている」と言っているわけです。
「風に吹かれて」の歌詞の中で、比較的さりげなく真ん中のあたり(上述の抜粋訳では最後のあたり)に置かれている
「人はどれだけの回数顔を背けるのか--見ないふりをしながら」
がこれに対応する部分ですね。
これは確かにとてもキツいセリフです。以降の「人は・・・」という歌詞を聞く時、常にこの「顔を背けるのか」というセリフが頭の中で重なってきます。
「答は風の中にある」
この詩的な表現のサビで受け止めるのでなければ--日本人でなくても--ちょっと耐えられない気がしますね。
第2の注釈は、芸術における解釈の多様性ということです。
言うまでもなく、芸術の解釈は多様です。しかしそれは「何でもあり」、「何でも相対化される」ということではありません。
多様な解釈は、互いに補完や対立等の関係を含めた、緊張的関係にあり、そうした中でそれぞれのあるべき影響力や価値が決まってきます。
日本ではそうした緊張関係を失ったまま、勝手に多様な解釈があっていいかの雰囲気が多々あるように思います。
よくヘイトスピーチをする人が批判されると、「言論の自由だろ」と返してきますが、これは言論活動の緊張関係、その中でのあるべき影響力、価値のあり方を知らない--知的レベルの低い--あまり欧米的な世界では見たことがない反応です。つまり、上記のような雰囲気の一例だと思います。
芥川龍之介に、「羅生門」という作品があります。映画化もされていて、一つのことも見方によって多様な有様となる、ということを言っているものとされ、そうした発想を、「羅生門的アプローチ」と呼んだりします。
うろ覚えですが--老婆が死体の髪の毛を抜いて商売していて、老婆をそれを、その死体の男が生前どんなに悪いことをしていたか、自分がそんな醜い商売もやらないと生きていけない、ということを説明して、自らの行為を合理化する話です。
ただこの話の最後は、この話を聞かされた男がその話に納得しながら、「おれも、一文なしで、悪いが恨まないでくれ」といいながら、老婆を身ぐるみ剥いで去って行くはずです。
さすがは、芥川ですね。ポストモダンの観念的なお遊びとはダンチの切れ味となっています。
人々の生きている現実は一つなので、それぞれの見方、立場は、異なれば異なるほど互いに容易に相入れ難い緊張を生まざるを得ないのです。
久保憲司氏の議論も、重要な提起をしている--現実を前置しそこに切り込んでいる--と思います。
「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(5)--ノーベル賞は何を評価するのか?
昨日の朝刊に、ノーベル文学賞の発表がありました。そこで今回は、ノーベル賞受賞者を決定するスウェーデン・アカデミーは、何を評価するのか、という観点から議論します。
次回以降に、私達の日本の文化は何を評価するのか、ということにつなげていきます。
今年のノーベル文学賞は、ボブ・ディランに、昨年はスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチという作家に与えられました。
ボブ・ディランは、プロテスト・ソング等のシンガー・ソング・ライターであり、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは、ソ連の下での戦争や原発事故の人々の詳細で数多くの体験談を採取し、消失しようとしていた声に社会的・歴史的な表現を与えた「編集者」「ノンフィクション・ライター」です。
日本の新聞は、「近年、文学の枠が広がった」といい、「純文学でないポピュラーなものも受賞する可能性が出てきた」「村上春樹は純文学でないとみなされてきた。しかし、これで来年以降の受賞可能性が出てきた」という言い方をしています。
どうでしょうか。ノーベルは、文学賞を次のものに与えるように遺言しています。
the person who shall have produced in the field of literature the most outstanding work in an ideal direction
文学の分野で、理念的な方向において、最も傑出した作品を生み出した者
では、スウェーデン・アカデミーは何を以て「理念的方向において」「飛び抜けてすぐれている」と捉えたのでしょうか?
ここには、2つのキーワードがあります。
第1は、idealです。上では「理念(的)」と訳しましたが、「観念(的)」「理想(的)」と言う訳が適切な場合もあります。観念、理念といったものは、現世的な既成の権力や権威に対置される次元・世界であり、従来も文学が特有のパワーを持ち得る特別な次元・世界と考えられてきました。
第2は、outstandingです。それは、「飛び抜けて優れている」ということですが、字義どおりに直訳すると、「目立つ」「際立つ」「突出」する、ということです。この意味において最も評価されるのは、「新しさ」「創造性」「オリジナリティ」です。当然これも、既成の権威に対抗する要素を含んでいます。
ただ、従来の文学賞では、「文学の分野で」という時、確かに文学の領域が狭く限定されていました。文学とはかくかくたるもの、という常識が確立されていて、その中での新しさ、オリジナリティが評価されていたのです。そしてその常識は、当然文学の世界における権威のあり方と関係します。
そうした従来の枠組みに従えば、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの仕事は、「ノンフィクション・ライター」のそれということになります。そこに「文学的価値」は、認められていませんでした。
ところが、スウェーデン・アカデミーは、彼女へのノーベル文学賞授与の理由を、次のように述べています。
我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して
この理由の表現自体が、とても簡潔で文学的ですばらしいですね。
「記念碑」的で「多声的叙述」は、彼女が開発した新しい文学の方法、世界を指しています。
「苦難と勇気」はダイナミズムを感じさせますが、この2つの要素は無理やり結びつけられているのではなく、それらが、「記念碑」的に「多声的」に語られていることによって、そのダイナミズムは静かだけれどけして止むことない響きをもたらします。
そしてもちろん、語られるものが「我々の時代」の「苦難と勇気」であることが重要です。今の我々の苦難と勇気という現実の世界と文学の世界が結びつけられます。
アカデミーは、彼女の仕事を、文学の常識に抗しながら現実に向かい、しかし文学の広さと深さを拡大するオリジナルな文学的挑戦を行なってきたものとして評価した、といっていいと思います。
では、今年の場合はどうでしょうか。
ロック歌手と見なされてきたボブディランの授与理由は、次のようです。
偉大な米国の歌の伝統の中で、新たな詩的表現を創造してきたことに対して
ここでも、ボブ・ディランの仕事を「新たな詩的表現」の「創造」として評価しています。
他方、「偉大な米国の歌の伝統の中で」という表現は、彼の仕事をを米国の歌の伝統に結びつけています。それだけでなく、それは、ヨーロッパの古代の詩、歌、劇が一体化した世界を連想させることを期待したものでしょう。
スウェーデン・アカデミーのサイトに入ると、今年のノーベル文学賞発表後に、アカデミーのサラ・ダニウス事務局長(permament secretary)への記者達によるインタビューのu-tubeがあります。
まず、「新しい詩的表現」の「創造」ということに関してはどのように説明しているのでしょうか。
ボブ・ディランは、英語圏の伝統の中で偉大な詩人であり、たえず自分自身を「再発明」し、新しいアイデンティティを創造することによって自身の「再発明」を行なって来ました。
これだけ聞いていると、何が新しいのか、新しいことの中身はわかりません。
他方、ダニウス事務局長は、次のように伝統を非常に強調しています。
ボブディランは、英語圏の伝統の中で偉大な詩人であり、伝統を体で表している。
そして、「アカデミーは、ノーベル文学賞の地平を広げたのか?」という質問に対しても、こう答えています。
そう見えるかもしれません。しかし、本当はそうではないのです。
ずっと昔、2500年ほど前を振り返ると、ホメロスやサッフォーが見いだされます。彼らは、詩を、音楽と一緒にあるいは劇の中で演じられるものとして書いていたのです。これは、ボブ・ディランも同様です。
ボブ・ディランの場合は、その人も仕事もよく知られており、それを文学として認めるためには、普通の人々との常識との距離が大きすぎたのでしょう。アカデミーは、自らの選定を合理化することに必死で、数千年昔の伝統に位置づけることによって、その合理化を果たし、世間を納得させようとしているように見えます。
つまり、ここでむしろ「新しい」のは、アカデミー自身の文学の基準です。そうした「新しさ」=「ノーベル文学賞の地平の拡大」をアカデミー自身は否定していますが、2500年前に基準を戻そうとすること自体が「新しい」ことといえるでしょう。
それにしても、アカデミーは、ボブ・ディランに、どのような新しい文学的方向性、可能性を見いだしたのでしょうか。
それを、伝統的な詩と音楽や劇が一体化する形式に関連づけて評価するというのは何を意味するのでしょうか。
私には、アカデミーが表立っては語らないけれど、ここでもスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの場合と同様に、文学が現代社会の現実に向かうことの意義についてのメッセージがあるように思います。
そうした挑戦は、自ずから従来の文学の枠組みを超えた形をとり得ること、それは文学にエネルギーを与え、文学を豊かなものとすること、また、それが私達が求める文学なのだ、というメッセージです。
私のこうした見方が正しいとすれば、村上春樹の仕事が、以上で見てきたような意味において「新しさ」があるのか、あるとみなされるのか、ということが、彼の受賞を決定することになります。
「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(4)
[うんざりの2--来年公開予定の映画「サフラジェット」が・・・]
#女性映画が日本に来るとこうなる 【未来を花束にして】原題:SUFFRAGETTE(婦人参政権論者) さて今話題の。僅かなトリミングで元のポスターより大人しい印象。「THE TIME IS NOW」のコピーは「百年後のあなたへ」に。
上記の左が元のポスターで、右が日本でのポスターです。
タイトル 「Suffragette」→「未来を花束にして」
宣伝コピー 「The time is now」→「百年後のあなたへ」
に変わっています。
この映画の日本での公式サイトによると、婦人参政権論者がSuffragistと呼ばれ、その中で過激な活動も辞さない女性運動家がマスコミで「Suffragette」と呼ばれたということです。
想像するに、「参政権suffrageを主張するうるさい小娘」といったニュアンスでしょうか。
それから、英語の得意な人に教えてほしいのですが、この原題が単数形であるのは何を意味しているのか--ヒロインを指しているのか、あるいはやはり集合的な意味合いがあるのか、あるいはその双方か--どうでしょうか。
(フランス語版では、複数形になっているとのことなので、それほど深く考えることではないのでしょうか。)
いや、ともかく、英語のままでは確かに分かりにくいでしょうから、邦題を工夫して少しでも観客数を増やそうとするのは当然のことです。
しかし、この邦題では全く別世界のような感じです。
おまけに、日本版ポスターの左下には、本当に花束があしらってあります(上記ではほとんど隠れていますが)。
これに関連して、「女性映画が日本に来るとこうなる」という上記のツウィッターのハッシュタグがあって、次々と実例が紹介、議論されています。
日本に来ると社会性を持った映画は、何故別物に変わらせられようとするのでしょうか。
それは、権力者達の強制や陰謀ということでは説明がつかないものであり、日本文化のあり方に関わることのように思います。
数年前に、「ハンナ・アーレント」という映画が公開され、同時に、その20年以上前に同じ監督と女優のコンビによる「ローザ・ルクセンブルク」が上演されています。すぐれた女性の反ナチスの哲学者や革命家がテーマです。
それから、14年前になりますが、「フリーダ」というタイトルで、メキシコの女性画家フリーダ・カルロの生涯を扱った作品があります。メキシコ革命の壁画運動に参加したディエゴ・リベラと2回結婚していて、ソ連から亡命してきたトロツキーを匿ったりします。
これらの作品は、みんな女性の固有名詞がタイトルですね。つまり、間違いなく存在した一人の女性です。つまり、本当に実在した、独立した個人としての女性が、社会をどのように捉え、それと向かっていくのか、という角度から扱っているのです。
(ここで、私が「独立した個人」とわざわざ「独立した」を加えたのは、他人に依存していない、という意味ではありません。「他人に依存する」としても、その前提として、個人というものが存在する、という意味で「個人」ということを強調するためです。日本では、しばしば、最初から個人というものが存在しなくなってしまうので、それを防ぐためです。)
今回の作品のタイトルSuffragetteがそれを意識していない、ということはあり得ないことのように思います。
そして私はネイティブでないのでSuffragetteの語感、ニュアンスが、わからないのが残念ですが、それでもこんなふうに想像します。
一方でそれは、複数形でなく単数形ですから、一人、つまりこの映画のヒロイン(運動家)を指します。(フランス語版のように複数であるとすると運動家達です。)
とすると実話に基づくということですから、固有名詞をタイトルとすることもできるはずです。でも他方で、名前もあまり知られていない(ヒロインの無名性)ということを示唆するのが、このタイトルなのです。
つまり、今回のSuffragetteというタイトルは、その時代や社会を、その瞬間に生きた独立した個人としての女性の視角を引き継ぎながら、ただし、それまでの作品とは異なって無名の運動家に焦点をあてたものだ、という無言のアピールも含まれているのではないでしょうか。
私の想像は大きく外れているかもしれません。
しかし、いきなりですが、「男女共同参画」なんて、糞食らえっ、と言いたいですね。出発点が、共同になっていて、その前の独立した個人、独立した女性個人がなく、それを意識させないために、つまり本来あるべき「男女平等」という言葉を避けるために、官僚がひねり出した言葉です。
こうしたインチキな言葉が大きな顔をしている社会、文化では、 原題のSuffragetteが、「未来を花束にして」という情緒的なタイトルに変わってしまうのは、止むを得ないようにも思えます。
「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(3)
このブローグとしては、やや唐突に岡本太郎が出てきましたが、何故これを扱ったか?・・・シリーズもので、終わらせていないものがいくつもあるというのに--そのことも忘れているわけではありません。
何故の答をいうと、このところ目に入ったものでうんざりするようなことが立て続けにあったからです。まとめていえば、「日本文化」の問題というようなことです。
東電は、とっくに破産しているはずなのに、権力に守られ、税金が投入され、これだけでもすごい話ですが、こんな人--東京電力福島復興本社の石崎芳行代表--のことが新聞に載っていました(東京2016/09/19)。
石崎は今後も肩書に関係なく、ずっと福島に寄り添っていこうと決めている。背景には 、事故の前年まで福島第二原発の所長を務め「原発は安全」と言い続けていたことへの罪悪感がある。
「福島の皆さんは組織としての東電というものを絶対に許さないと思うんです。でも、そこで働くわれわれが一生懸命にやっていくとで『組織は許さないけど、あんたは少し信じてやろうか』となればいいと思っています」
そう言う石崎に「あれほどの事故を起こしてもなお原発は、必要と思うか」と尋ねてみた。「絶対必要です」即答だった。どんな場所でも、どんな相手からでも、尋ねられればそう答えるという。
「ただし」と石崎は付け加えた。「単に技術的に詳しいとか、安全だからできますという感覚でいたら、原子力を扱う資格はありません。日本を思う気持ちとか、人の気持ちをおもんばかれないといけないと思うんです。それは事故前に足りなかったことでもあります」
これは、「全電源喪失の記憶--証言--1F汚染」というシリーズの番外編⑤ですが、権力、金力に加え、こういう人がさらに東電にいるならば、東電は「最強」です。
上記はインタビュー記事であり、石崎氏の考えのすべて、あるいは、いったことの論旨すべてを載せたものかどうかはわからないとはいえ、ここには原発被害の補償や原発の今後を決めるべき論理や倫理に代わるものとして、「浪花節」が流れていることは否めないと思います。
ここには、本来並べられるべきでない2つの事柄--「原発の安全性」と「日本や人を思う気持ち」-が並べられています。
事故前には、後者が足りなかったと「反省」して、これから、後者に気をつけるというのです。
話が原発のことから、「情」の問題に移っています。
そうではなく、足りなかったのは、もちろん「原発の安全性」です。それがあれば、原発事故は起きなかったのであり、「日本や人を思う気持ち」なんか、特に必要なかったのです。
傲慢な人物に比べれば、石崎氏のやり方は、被害者にとってずっとましかもしれません。
日本人はこういうのに、すごく「弱い」ですね(例えばメキシコだったら、こういうやり方はあまり有効だとは思えません)。
でも、これでは原発をめぐる今後の判断、決定はこれまでと同様に全然安全なものになっていきません。
それでも原発は絶対必要で、「情」に訴えて、人の気持ちを慮りながら、日本のために動かそう--というわけです。
やっぱり、こういうのに「弱い」のは非常にまずいことです。次回以降に、他のうんざりの例を続けますが、そうしたものを日本文化の問題として捉えて、そうした日本文化の問題に対抗する要素として考えたのが、岡本太郎のことだったのです。
「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(2)
今日は、「芸術は政治だ!」の本論に入ります。
上記の作品の写真は、東京新聞の記事(2016/08/21、文・森本智之/紙面構成・小林麻那)からのものです。
詳しいことは、この記事にあたるか、この美術館にいくかして尋ねてほしいのですが(ネタバレは、執筆記者に申し訳ないのでしません)、この絵の謎解きは、推理小説のように興味深いです。
左側の作品が「血のメーデー事件」を扱っていることは、15年前に指摘があり、作品解釈が一変したと書かれています。
その発表時期を見ると1954年ですから、メーデー事件の2年後です。岡本太郎が、このテーマを事件以来持続させてきたことがわかります。
さらに、右側の絵は1950年発表で、
太郎は当時「いったんチャックが開かれるとバカみたいなものになってしまう。この間、経験したばかりじゃないか」と話した。怪物は権力の象徴で、レッドパージが吹き荒れた社会への警告、とみることができる
(東京新聞2016/08/21、文・森本智之)
ということです。
岡本太郎が「芸術は爆発だ!」といったのを知っている人は多いと思いますが、こんなことは知られていません。
私も知らなかったので、あれっ、と感じると同時に、思い出したことがあります。
岡本太郎は、「原爆の図」とも呼ぶべき巨大な壁画をメキシコで描いていたのです。
私は1981年夏、家族とメキシコ旅行を楽しんでいました。
メキシコシティの真ん中に、当時「メキシコ・ホテル」(現在は「世界貿易センター」となっている)と呼ばれた大きな建物がありました。そこは、実際には長年ホテル営業を開始する事はなく(経営者の不都合があったようです)、 コンクリートがむき出しになっていて未完成の印象を与えたまま放置されていましたが、私達はふらっと中に入ってみる事にしました。
今は記憶が定かではありませんが、中に小さいお土産屋さんのようなものがあり、素焼きの鹿の背中に植物の種が仕込まれていて、水をかけると芽が出てくるようなものを買った覚えがあります。
それはおそらく一階で、同じ辺りに巨大な放置されたロビーのような空間があり、その周囲の壁にその「原爆の図」があったのです。真っ赤な太陽のような、原爆の爆発のようなその巨大なデザインは、何の用意もしていなかった私の目と体にいきなり飛び込んできました--鑑賞のためのライトアップというような事はなく、むしろ、薄暗いくらいだったような気もしますが。
胸がどきどきしながら、それでも少しずつ落ち着いて全体を見ていると、岡本太郎のサインがあり、何となく納得したような気持ちになりました。
このことは当時何人かの人に「あの辺りに行ったら是非行くといい」と雑談で話しましたが、おそらく誰も行かなかったのではないでしょうか。
「メキシコ・ホテル」は、東京タワーのような外観を持ち、地理的な目印としては、誰もが知っており、あるいは大きな中心道沿いにあるので、あの辺りを通る事は誰でもあることです。ただ、それは先にも書いたとおり開業しなかったままであり、特別な観光サイトでもなかったのです。
私達も、この壁画の「発見」の意味を全く理解していませんでした。おそらく、ホテルの建物の所有者が岡本太郎に依頼し、しかし、ホテルが開業されなかったためにそのまま忘れ去られてしまったのではないでしょうか。
ところが、その20年ぐらい後にこの壁画がいわば公式に「発見」され、日本に運ばれ岡本太郎の最大傑作(タイトルは「明日の神話」)として評価され、渋谷に展示されることになったのです。
実を言うと、この公式発見については新聞報道で知っていましたが、あまり、追いかけていませんでした。そして、今ここでこの件についてネットを検索しました。そして出てきたもののが、これらのサイトです。
https://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html
これらを見ると、私の記憶とこの壁画が一致するかといわれると、ずいぶん違う、というか、ほとんど絵、デザインそのものはほとんど覚えていなかった、と言うべきですね。いかに記憶というものがいい加減か、年齢による記憶力の減退を痛感します。
それから、ネット検索でやはりヒットして思い出しましたが、Chim↑Pom というアーティスト・グループが、2011年の原発爆発の時に、渋谷のこの壁画に、パロディのような形で、彼らの作品を付加しました。
原子炉建屋から黒いドクロの煙が上がる様子を、壁画と同じタッチで紙に描き、それを塩ビ板に貼ったものを壁画の一部として自然に連続するように設置。
http://chim-pom.syncl.jp/?p=custom&id=13339952
このことも、新聞で知っていましたが、あまり追いかけていませんでした。このサイトを見ると、当時、警察がこのことを知るや即時付加された彼らの作品を撤去し、罪状を「軽犯罪法と住居侵入」として、捜査を始めたと報道されていることがわかります。
私は、2013年の秘密保護法成立を安倍ファシズム政権誕生の画期と考えますが、2011年の原発事故以来、戦前社会に近いおかしな雰囲気が漂い始めたと感じてきました。
一番まずいと思うのは、新聞などがただ事実関係を報道するだけで--しかも、しばしば不正確に--批判すべきことを批判しないまま広めていくことの問題です。それでは、十分に考える余裕のない人々は、警察が言う「軽犯罪法と住居侵入」が正しいと思うか、あるいは、正悪は別としてともかく警察沙汰にならないことをよし、とする態度を強化させがちでしょう。
ところで、岡本太郎の壁画のタイトルは「明日の神話」でした。Chim↑Pom というアーティスト・グループが、それに「原発の神話」を加えようとしたことは、あまりに自然であるように思います。
サイトでは、「明日の神話保全継承機構」は、Chim↑Pomの行為を糾弾したとありますが、それはおそらく、あまりにこの付加が自然すぎたからでしょう。岡本太郎の芸術的世界の広さ、深さ、そして「芸術としての」権威を擁護したい「機構」としては、あまりにわかりやすく、世俗的、そして「政治的」すぎたのでしょう。
また確かに、「明日の神話」には原爆に抗う「明日」が描かれているのであって、そうした深遠なるものが込められた「神話」の意味を、汚されたくない、という感情もあるでしょう。
しかし、どう考えても、岡本太郎が自分が描く絵画、壁画という技法を持って、社会への発言をなしていたこと--政治問題を直撃するような内容を持った発信であったこと--は明らかです。
メキシコは、メキシコ革命運動に参加する芸術家達が、革命の大義を、壁画を通じて野外で直接に大衆に訴えようとしたことで有名な国です。そのことを岡本太郎が意識しなかったことはあり得ません。ちなみに、彼が壁画を描いた「メキシコ・ホテル」のすぐ隣に、シケイロス・ポリフォルムというやはり壁画家としても著名なシケイロスの美術館があります。
メキシコの地において、日本のアーティストとして何を描くべきか、その渾身の答がこのテーマ、この作品だったのです。
「芸術は爆発だ!」と岡本太郎が言う時、それは当然「芸術は政治だ!」でもあったと言わなければなりません。
「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(1)
何か、大上段にかぶった、上から目線の、かつ知った振りのタイトルになりました。
東京新聞の美術館訪問という記事で、岡本太郎の「青空」という作品が取り上げられていて、これが「血のメーデー事件」をテーマにした作品だと書いてありました。
本当は、「芸術は政治だ!」の話をしたいのですが、少し横道に逸れて、「血のメーデー事件」に触れておきます。
というのは、私は「血のメーデー事件」を含め、1949年、1950年代に起きた多くの様々な奇怪で血なまぐさい事件は、松本清張が『日本の黒い霧』で書いている様に、いずれも基本的に国家による犯罪(いわゆる権力犯罪)の可能性が濃厚だと考えています。
実際、政府(警察)によって犯人とされた人々は裁判によって無罪とされ、検察側の証人や証拠が裁判官によっても批判されている場合が多いのです。
この「血のメーデー事件」についても、一審で有罪とされた人々も、検察が主張した騒擾罪は、全員が高裁で無罪となりました。
ところが、Wikipediaを見ますと、当時の政府の見解のみがそのまま事実のように書いてあります。
Wikipediaの記述には、時々この種類のものがあるので注意が必要です。歴史修正主義が広がり、空気の様でかつ根強い反共主義が再生産されるわけですね。
そこでちょっと探したのですが、本格的な研究を紹介しているサイトがありませんでした。上述のリンク先、あるいは以下のリンク先は、研究者ではないが、こうした事件に関心を持つ人が調べて書いたもののようです。私は、まずはこれが普通の事件の説明だといえると思います。
私は、今日、国会前集会等に参加して、おそらく当時のメーデー参加者の気持ちはこんなではなかったか、とわかるところがあります。少し歴史背景を並べます。
1950年
6月以降、レッドパージ
(マッカーサーによる超法規的な共産党国会議員、中央委員の追放、共産党員その支持者の新聞社や公務員その他の職業からの追放、逮捕命令)
都内でのデモ・集会の禁止
1951年 マッカーサーによる皇居前広場でのメーデー禁止命令
1952年 サンフランシスコ講和条約、安保条約発効
政府、これを上訴(したがって、この時点では判決無効に)
つまり、1952年のメーデーの時には、
①サンフランシスコ講和条約や安保条約に反対する運動があり、にも関わらずそれが成立したが、これらの条約に対する反対や抗議の持続、
②サンフランシスコ講和条約の発効によって、日本は(沖縄を除き)主権を回復したはずで、憲法の支配が始まったはずである。にもかかわらず、
②の1) 皇居前広場でのメーデーは、1946年より1950年まで続けられてきました。場所自体が、天皇主権から国民主権への変化を示す場所だったといえます。その上、裁判で使用禁止は違憲という判決まであったのに、そこが使えないという状態です。それに対する抗議の気持ち、
②の2) サンフランシスコ講和条約の発効によって、軍国主義者達に対する公職追放は解除されるが、共産党に対する思想差別による弾圧、国会議員を含めた追放措置について、実質的な名誉回復は、損害回復は放置され、差別は維持されたままでした(これは現在も維持されています)。それにに対する抗議、
こうした正当な感情が渦巻いていたのだろうと想像します。それが皇居前広場に向かう激しい抗議行動の背景にあったのでしょう。
そしてそれは、政府が主張する計画的な共謀による騒擾というものとは異なるものであることが、裁判でも明らかになったわけです。
ネットで、科学史を専門とされている黒岩俊郎名誉教授のメーデー事件被告としての体験記録を見つけました。
米軍支配が終わり、まさに憲法が最高法規となった時、その時の集会の自由や権利を主張しようとした人達の気持ちはどんなだったでしょうか。
私は、当日金属の顕微鏡写真をとろうと思い、借用願いを大学に出した。 然し何らかの都合でかりられず、東大構内を歩いていると、高橋昇氏(当時東大冶金科助手)が、赤旗をもって立っている。さそわれるがままに、私も東大助手らとメーデーに参加したのである。然し起訴状には「かねて皇居前を占拠しようとしていたデモ隊は……云々」とある。この事については、それ迄はメーデーの会場を皇居前の広場でもっていた。所が国が、その年から皇居前をつかわせないといい始めた。それについて裁判になり、「皇居前をメーデー会場に使わせないのは違憲である」と判決された。国側は、直ちに、この判決を不服とし上告していたようだが、一般の人達は、「国が違憲と判決した」事が、頭にあり、堂々と皇居前広場に入っていった。
(私と科学史技術史と専修大学など― 私と体験・戦後史 ―)p.3
去年の戦争法反対闘争の時のピークの時に、私達は数回、国会前の道路に広がることができました。ところが10万人以上集まった写真が新聞の一面を飾って以来、警察は装甲車(正確な名称かは自信がありません)をすきまなく並べ、私達が道路に広がることを完全にできないようにしました。
「国会前の空間は、私達のものだろう」「あそこにいることは私達の権利だろう」--私の気持ちは、64年前の黒岩名誉教授と同じです。
また彼は、次の様に続けています。
17 年たって、 下った判決は被告の半分は無罪、 半分 (ある時間以降) は有罪、(然しこれも、第二審で無罪となる)、私の場合は、第一審で、無罪、判決文には、「人間は理由もなくなぐられると憤激の情をもよおすのは当然だ……」と記されていた。被告黒岩の立場にたてば、……あるものが数名の警官に袋だたきをされている。それを助けようとして、近くに落ちていた青竹(しばらく血だらけになったシャツとともに保存していたが……)をもって助けにいった。逆に私が、公務執行妨害罪及び騒擾助勢罪として逮捕投獄されたものである。要するに判決は両方(被告側と警察側)のメンツを、見事にたて、誤想防衛(正当防衛ではない)であったとしている。
(私と科学史技術史と専修大学など― 私と体験・戦後史 ―)p.4
幸にして、去年の運動は主催者達や私達の理性によって、暴力的な事態が展開することはありませんでした。 しかし、こんなことが目の前で起きた時どの程度理性的であることができるでしょうか。
(沖縄の高江における非暴力の抵抗闘争が、強い意思のもとになされていることに、心から敬服します)。
南スーダンへの駆けつけ警護について--「国民への問いかけ」が何故必要か
前のブローグで、南スーダンへの駆けつけ警護について「国民に問う」ということ、そうした視点から、ビラ配布活動などを中心にすることを提案しました。
この提案理由について、2点、説明します。
第1点は、この一年間に戦争法に関して意見が揺れ動いた人に対して、もう一度、この法律のリアルを見つめて欲しい、そしてスーダンへの駆けつけ警護に反対して欲しいということです。
戦争法反対運動が展開された2015年夏の世論調査を思い出してみましょう。
共同通信のそれによる戦争法反対者のパーセントを並べると次の通りです。
2015/5/20,21 47.6%
2015/6/4 衆院憲法審査会、参考人長谷部恭男氏ら3人とも違憲を指摘
2015/6/16 衆院、強行採決
2015/6/17,18 58.7%
2015/7/17,18 61.5%
2015/8/14,15 58.2%
2015/9/19,20 53%
ピーク時には、6割の国民が反対していました。
では、スーダンへの駆けつけ警護についてはどうでしょうか?私は、現時点ではこの問題自体を認識していない人が多数だと思います。
しかし、私達のビラ配布の運動を通じて、戦争法の時のように、社会問題化されれば、つまりテレビや新聞の第1面が扱うようになれば、6割の国民が反対となると思います。
そうなれば、政府が南スーダンへの駆けつけ警護の強行を実施するのは、かなり困難になると思います。自衛隊(員)の中から切実な反対意見が出るでしょう。
第2点は、実施によって犠牲者が出た場合、「犠牲者が出た」という既成事実を利用して政府が「愛国主義」的な宣伝、施策を強力に進めようとするでしょう。それににずるずると引っ張られていく可能性を少しでも減らしたい、ということです。
そのためには、人々の思考の出発点を犠牲者が出る以前に置くようにしておく、「国民に問う」という問題提起を行なっておいて、それを出発点として考えてもらうようにする、つまり、できる限り事前に「社会問題」として多くの人に認識しておいてもらう必要があります。
この意味で、この件について世論調査が事前に行なわれるだけでも、私達の運動にとって好ましいことです。ただ逆に言えば、安倍ファシズム政権は、事前にこのような世論調査が行なわれたり、人々が意識するきっかけとなるような「社会問題」化されるのを極力抑えようとしていると思います。