hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編5)--フーコーの自由主義論と新自由主義論B

 フーコーの権力による人々の意識の支配という問題意識(これは、グラムシをつぐものです)から言って、彼が新自由主義を支配のテクノロジーとして捉えていたことは、彼の1970年代末の講演を知った今となっては、当然のことといえます。

 しかし、支配のテクノロジーとしての新自由主義という考え方は、もっと早くから知られるべきであったし、現在でもより広い人々に知られるべきものです。

 何故、早くから知られなかったのか、現在でも広く知られていないのかについては、後で述べることにして、フーコーの考えを私なりに紹介します。

 フーコーのすばらしい点は、新自由主義を第一に、国家統治における自由主義の歴史的な位置という深さから捉えようとしていること、第二に、新自由主義の「新しさ」を浮き彫りにしていること、です。

 第一の点を説明します。歴史的に自由主義が現れてくる時代というのは、国家がいわゆる法的な支配だけではなく、経済学的な「法則」というものに関心を持ち、それに「従う=(無視できないものとして)」政策を持ちながら、統治するようになっていく時代ということです。それは、国家が統治対象としての「住民な」のあり方(健康といった身体的な面や自由といった意識的面)に関心を持つことでもあります。

 ここで、フーコーは、「住民」と呼ぶ代わりに、「人口」という独特な言い回しをしていて、さらに、これと関連して彼の関心は、「人口」の健康・保健とか「人口の再生産(=性)」とかに繋げられていきます。

 私は、フーコーの「人口」よりも、「住民」と呼んだ方が、わかりやすいと思ってそう書いているのですが、普通の日本語では「国民」と呼んだ方がいいかもしれません。では、何故「国民」とせずに、「住民」としているかについては、長くなるので、ここでは省略します。

 ところで、経済学的な「法則」というと個人の意志を超えるという意味で「不自由」なように聞こえますが、しかし、これは「自由」な市場が支配的なものとして登場してくることを意味しているのです。つまり、少なくとも経済的領域では、自由な個人というものが現れてきます。まさに、資本主義(国家)の誕生ですね。

 つまり、従来の国家的な支配の中で、市場的な自由が広がり始め、むしろ国家がそうした市場的な自由が内在的にもたらす規則性(=「法則」)を認めて、国家運営、国家統治をする必要が生まれてきた、ということです。

 このような統治は何らかの意味で、個人の自由というものを認めるものであり、さらにいえば、認めながらコントロールし、個人の自由を「利用」する統治でもあります。

 市場的(経済的)コントロールではありませんが、このような個人の自由を「利用」した統治の典型として、フーコーが早くから注目したのが、ベンサムパノプティコンでした。

 パノプティコンは、ベンサムが提案した、監視の目はあるがどこからそれがなされているかわからない刑務所のことですが、服役している者達には様々な「自由」が与えられ、「自発的」に刑務所の規則に従い、刑務所内での「生産労働」に励むことを、ベンサムは目指していました。

 フーコーは、パノプティコンを「自由主義的統治の定式そのもの」と呼んでいます(フーコー,ミシェル [2008]『生政治の誕生 : コレージュ・ド・フランス講義一九七八-七九年度 (慎改康之訳)』筑摩書房p.82)。

 フーコーは、このように自由を「利用」した統治の始まりを語るわけですが、では福祉国家をどのように説明するのでしょうか。

 彼はそれを、「より多くの管理と介入によって」「自由を生産し、自由を吹き込み、自由を増加させる事、より多くの自由を導入すること」を行おうとするメカニズムだというのです。

 私はそれはちょっと無理のある表現だと感じますが、しかし、着想が面白いし、言いたいことはわかりますね。

 つまり、ここから--福祉国家の管理と介入の「過剰」に対する反逆、本来の自由主義の再建の企図として--新自由主義という新しい統治方法が生まれてくる、というのがフーコーの図式です。

 すでに、第二の論点に入りつつあります。フーコーの議論を、第一の論点から見ると、新自由主義の新しさはあまりないことになりますが、フーコー自身は、新自由主義は単なる復古ではない、といって新しさを強調している箇所もあります。

 次回に、フーコーの第二の論点を追い、学ぶべき点と批判的に扱うべき点を論じたいと思います--「資本主義の危機・終焉」と繋げるために。

 

 

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編4)--フーコーの役割と新自由主義論A

 新自由主義が現在の国際ファシズム体制へとつながるという話をするために、新自由主義のことを論じ始めました。そして新自由主義が広がった理由の2つめの説明として、新しい社会運動、新左翼全共闘などの体制批判派の中にも、政府(国家)や左翼政党・労働組合の幹部のコントロールからの解放され主体性を求める雰囲気が広がっていたことを指摘しました。

 こうした主体性の議論は、新自由主義とは全く違う出自を持っていますが、「権力」(=規制)からの自由をいう点で、共通性を持っています。

 1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年のソ連の解体は、マルクス主義社会主義思想の凋落を決定づけましたが、それは、1970年代末より始動していた新自由主義を、事実とイデオロギーの上で圧倒的なものとしました。

 こうした状況の下で、多くの政治勢力、政治運動、社会運動は、反新自由主義を掲げることを止め、それどころか、それを前提とした体制・運動・活動構築を進めることになりました。

 まずその筆頭の重要なものとして、西欧の社会民主主義勢力を挙げることができます。ここでは、これ以上横道に逸れないように、詳しくは議論しませんが、1993年のEUの発足とその政策原理は、こうした新自由主義的な枠組みの中にあるものです。

 あるいは、NPO等の社会運動について見ますと、1990年代に飛躍的にその数が増えています。それは、国家や国際機関が新自由主義的な政策を掲げて福祉政策を後退させ、その後退させた福祉予算をNPO団体に振り向けるようになっていったことと対応しています。

 本来、体制に対する批判性が強かったはずのNPO等の社会運動の多くまでが、親新自由主義的になってしまったわけですが、それはどうしてでしょうか。

 その理由として、公的予算に依存するNPOの場合、その経済的依存があることは明らかです。

 しかし思想・イデオロギーのレベルを見ることも重要です。

 先に述べたように、体制批判派の中での旧左翼批判としての主体性論が唱えられる中で、社会主義国家の崩壊、社会主義思想の凋落があり、代替的な力強い理論、イデオロギーは生まれてこなかったことが重要です。

 同じことともいえますが、新自由主義を批判する力強い理論、イデオロギーも生まれて来ませんでした(あるいは、広がりませんでした)。

 新自由主義を正面から批判する人々、勢力は、その主張内容の妥当性の有無と関わりなく、既得権に固執する「旧守勢力」として攻撃されました。

 他方、かつての新左翼を支えたポストモダンの思想の唱道者達は、「大きな物語」を嘲笑するだけで、さらに実質的に新自由主義と手を組むような者も現れるようになります。

 また横道に逸れそうなので、そこで、急いでフーコーの話に入ります。

 フーコーは、①主体性論=反福祉国家論、ポストモダン論の先覚者、として知られます。確かに、彼の著作、言動は、そのような役割を果たしてきました。

 私も、そうした理解からフーコーについてあまり評価していませんでしたし、もっと読もうという気が起きたことはありませんでした。

 もしフーコーの役割が、①だけに終わっていたなら、このブローグでも特に取り上げることはなかったでしょう。

 ところが、フーコーは、②新自由主義についての鋭い批判的な分析を、1970年代の末に行なっていました。

 彼の1977年から79年の講義録が、2004年にフランス語で、2007年と2008年に日本語で出版されて、そのことが知られるようになってきたのです。

 今回は、①の点を概論し、②については次回に議論します。

 フーコーは、権力支配というものを、身近なところを含めて近代社会の諸レベルに充満したものとして捉えます。これが、新左翼が旧左翼(の指導者)を批判する根拠(心情とフィットするもの)となります。

 ただ、フーコーの権力支配の捉え方の特徴は、それが直接的な強制的な方法によるものを中心とするものではないことを自覚した上で、権力と密接な関係を持った知のあり方に焦点を合わせるものでした。

 これは、グラムシヘゲモニー論やマルクスイデオロギー論を継ぐものといえます。

 しかし、グラムシマルクスにとって、こうした議論は労働者階級の真理に対する認識能力の優位性を示し、またその行動を導くためのものでしたが、フーコーの場合は、原理的に、知と権力は一体のものです。

 となると、フーコー自身の研究を含め、すべての知は真理によって支えられるものではなく、仮に「真理」というものがあるとしても、そこからの距離は不明のものとして相対化されてしまいます。

 そうしたことを認めた上で、何らかの形で研究といえるものを形作ろうとしたのが、従来の歴史学とは異なる、彼の「系譜学」と呼ばれるものです。

 彼は、知と権力(支配)の一体性を「暴露する」効果的な事例として、福祉国家の良き賜物とされる、病院や学校を取り上げました。

 今の若者達、多くの人々には想像もつかないでしょうが、これらの制度(施設)がいかに、目に見えにくいものとなりながら、しかし身近な権力として私達を支配しているかを議論したのです。

 研究者としては、それで結構かもしれませんが、実践や社会運動のレベルでは何が起きたでしょうか。

 また長くなりそうなので、イデオロギーの社会的意味という点から見て、当時社会的エリートともいえた大学生の状況に簡単に触れるに止めます。

 前にも書きましたが、1970年代の東大の文科III類(多くが文学部に進学する)のクラスの中で、「国家権力」などというフレーズを言おうものなら、フーコーを読んでいない、と嘲笑されるのが普通でした。政治的社会的流行に敏感な人々、学生の間では、国家に焦点をあてたような物言いは「旧く」、権力支配は、大学の中、左翼勢力の中にも充満したものとして語ることが、要求されていたのです。

 「身近な権力支配」の分析は、受験競争に勝利したエリート達の学校体験とフィットするものでした。

 そして全共闘運動のある局面では、大学教員の研究室を暴力的に破壊するといった衝動的行動を、みえにくい、得体のしれない支配に対する主体性を回復する運動というような口実を与えてくれて、合理化してくれるものとさえなったのです。

 私のここでの議論は、フーコー思想と社会運動の個々の問題点を直結させ、前者の責任を問おうとするものではありません。

 フーコーと親和性を持った1970年代、1980年代の体制批判と見えた思想や運動が、新自由主義の台頭に対決するイデオロギー的準備を持っていなかった、ということを論じたかったのです。

 次回に、②を論じます。

 

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編3)--1970年代の「批判的」勢力・理論

 前回、普通の人々が何故新自由主義を支持したか、という問題を大雑把な社会心理の角度から議論しました。

 「普通の人々」で言いたいのは、広範・多様な人々ということです。

 しかし、数の面から見れば絶対的に多数ではないが、思想的・イデオロギー的に影響力を持つ人々、勢力の存在という角度からも捉えておくこと、特に体制批判派と呼ばれるような運動・思想をとらえておくことが、新自由主義の広がりを理解する上では重要です。

 まず、資本主義が福祉国家となった時、そこで提供される福祉がすばらしい、と単純にプラスの側面だけを見たかつての左派は、基本的に資本主義支持派に変わりました。

 他方、いわゆる体制批判派(左派)として残った人々の間では、1960年代半ばから福祉国家批判が主張され、影響力を持っていましたが、その論点は、「主体性論」「疎外論」でした。

  ハーバマス、イリッチ等は、公共性や主体性が福祉国家によって独占される状態を批判的に描き出し、市民がいかに主体性を取り戻すか、という問題の提起、その解決策の模索を行なっていました。

 私が大学に入ったのは1970年代ですが、高校時代も大学に入ってからも同級生の過半数が(というように数的な視点でいうより、集団として、世代としてといった方がぴったりきますが)主体性という言葉、それがかもしだす雰囲気に非常に敏感だったと思います。

 あの当時の雰囲気を適切に表現する言葉が見つかりませんが、あえてその特別さを強調して表現するとすれば、疎外から逃れて主体性を求める宗教的求道心ともいうべきかもしれません。

 マルクスの文献の中でも、『経哲草稿』の疎外論が人気でした。その読書会をやろうと別に政治的でもない同学科の学生が言い出して、一緒に読んだ覚えがあります。

 国家が提供(媒介)する福祉そのものは外見上は「良きもの」に見えるが、福祉そのものの善し悪しよりも、国家による支配の浸透に注意を向ける、という形で「批判性」が展開されたのです。

 何故新自由主義が広がったのか、ということを論じるには、このような「批判派」の問題をも論じる必要があると思って書き出したのですが、書きながら、確かに単なる回り道という以上の重要性があると感じ始めました。

 1970年代は、いわゆる「古典的な」マルクス理論に対応した労働運動(階級闘争)とは異なる「新しい社会運動」--公害反対運動、女性解放運動、少数民族運動--が興隆しました。

 それらは、(労働者)階級の主体性という抽象的なものよりも、より身近なレベルで主体性の回復を実感させるものであったともいえます。

 さらにいうと、労働者階級の主体性といった概念は、例えば、ルカーチの「階級意識」の議論では核心的な重要性を持ちますが、実際にそれを担うのは、実際には共産党労働組合の幹部となってしまっていることに対する強い懐疑・反感が、かなりの人々に広がっていました。

 当時、新左翼極左派・ラディカル派)と呼ばれた人々は、「既成左翼」批判、既成左翼リーダー批判に非常に熱心な人々でした。

 また当時、大学において全共闘を称した人々は、必ずしも政治思想的に明確なものを持っていないことをしばしば明言し、その賛同者達もしばしば「ノンポリ(ノン・ポリティカル)全共闘」と自称していました。

 しかし、新左翼全共闘は、その行動や心情において共通することが多かったのです。そこには既成左翼批判があり、さらにその根底には自己疎外感・主体性喪失感に対する不安・いらだちがあったように思います。

 私は、日本での私自身の経験を念頭においていますが、大雑把にいえば、世界的に同じ傾向があったと思います。

 そして日本での影響を含め、ここで論じていること、福祉国家の問題、新自由主義のひろがりの問題を考える上で、どうしてもフーコーについて触れておく必要があると思います。

 どんど回り道になっていますが、次回に、フーコーについて論じます。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編2)--新自由主義は何故広まったか

 新自由主義は、上級の国家官僚と資本家階級にとって好都合のものです。それが資本家階級にとって好都合であることは、説明を要しないと思います。

 ところが、新自由主義が小さい国家というような言い方をされるために、それが上級官僚にとって権力強化の意味があることが見逃されてしまいます。

 行政活動の擬似市場化というような表現によってごまかされますが、それは、国家の領域を減らしているというよりも、コントロールや決定の影響力や範囲を、行政の中間や末端から国家中央へと実質的に集中させる統治のテクノロジーです。

 特に、福祉や教育など国民生活に直接関わる部分においてプロフェッショナル、半プロフェッショナルな人々の数が増え、それが福祉国家的な行政と密接な関係にある時、行政の中間や末端は、中央からのコントロールが困難な一定の自律性を帯びてきます。

 しかし国家の経済力の減退の中で、上級官僚にとって、福祉国家的な財政の拡大をストップし、国家権力による集権的なコントロールを取り戻すことは必至の命題になります。

 コンピューター関連のテクノロジーの発展という現実は、新自由主義の様々な概念や方法を、現実化して運用する方法を与えるようになってきました。例えば「擬似市場」「点数評価」というようなものを考えることは、はるか昔からありましたが、それは机上の空論に止まらざるを得ませんでした。コンピューター関連のテクノロジーの発展が、その現実化を可能としたのです。

 コンピューターのような物的手段ばかりでなく、社会組織や情報収集・処理に関わる技術(社会技術的手段)の発展が付随していることはいうまでもありません。

 例えば、「擬似市場」の形成に関わる「点数評価」は、そのために設置された「専門家委員会」が行なうようになりますが、それらは、いずれも一種の社会技術です。

 そうした委員会の実際の機能は、福祉国家的な社会の中で自律性を帯びてきたプロフェッショナル、半プロフェッショナルな人々や行政の中間・末端レベルが実質的に持つに至った権力を、「本来」の権力者である国家中央と資本に取り戻すことに貢献することです。

 ですから、世界中で国家官僚と資本家が一緒になって新自由主義を採用したのは当然ですが、なぜ、普通の人々もこれを支持したのでしょうか。

 新自由主義は、最も広く深く浸透し、長期化しています。(あるいは、長期化していましたが、今やそれは、国際ファシズム体制へと移行しつつあります。)

 何故でしょうか?

 人々の心理に沿って、福祉国家の意義を考えながら議論しましょう。 

 一番大きな理由は、人々は新自由主義を支持したのではなく、資本主義を支持、信頼したということです。

 1970年代に福祉国家体制が困難を迎え国際的に凋落を始めた時に、しかし特に先進国では事実上資本主義以外の選択肢は存在しないように見えました。

 失業がないといった社会主義の魅力は、先進国における福祉政策で輝きを失っていた上、社会主義国における様々な政治抑圧、人権侵害が深刻なものとして知られるようになっていました(柄谷行人  2006.『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』岩波書店)。

 他方、福祉国家という成功体験は、非常に大きなものでした。そして大半の人々にとって、この成功は、福祉政策の成功というよりは、資本主義の成功ということが根源的なものでした。福祉国家の成功は、資本主義の成功の成果に過ぎないものでした。

 であるならば、資本主義の中でなんとかうまい策を見出して、どうにかまた昔の繁栄を取り返そう、ということになったのです。

 福祉国家が行き詰まり新自由主義へ至る過程で、いくつかの経済政策(経済理論)が唱えられ、試みられました。世間の人はどんな政策や「理論」があったか思い出せないでしょう。意地悪くいえば、いずれも経済学者、いわゆるエコノミストが商売の種にした上で、長期的に見ればいずれも失敗して、最後に新自由主義が採用されたのです。

 それは、資本主義に信頼を寄せる人々にとって、これまでの失敗してきた理論と違って、最も「原理」的な単純さを持って、資本主義の「真理」を説いてくれたのです。

 私は、この「真理」「原理」は弱肉強食であると言います。そして人々も潜在意識のレベルはそのことを認めているのではないでしょうか。

 ただ新自由主義は自らはそこまで露骨な表現をしないで、「夢」を与えたり、同意を得やすい言い方、学問的な理屈らしい表現など、スマートな方法を用います。 

 他方、福祉国家は、このような「真理」の対極にある「虚偽」「失敗」としてイメージされます。それこそが、資本主義のすばらしさを台無しにする真犯人とされます。

 以上述べたように、歴史的に見ると福祉国家は矛盾する2つの形で、人々の間で新自由主義が広がることに寄与しました。第1は、資本主義のすばらしさを具現化したものとして、第2は、その失敗を具現化したものとして--つまり、本来資本主義うまくいくはずなのに、うまくいかない理由を与えてくれるものとして--です。

  しかし、怠け者が寄生する体制という福祉国家批判に同意する人々が「回想」するところの、働けば働いた分だけ豊かになる社会というのは、歴史の実際を振り返れば、むしろ福国家時代にのみ実在したものです。

 次回以降に議論を続けます。

  

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編1)

 今まで、このブローグの異なった箇所で、予告しながら延ばしてきた理論的な問題を、ここでまとめて議論します。

 今回のタイトルは「グローカル」となっていますが、焦点はインターナショナルな方にあります。

 資本主義の危機ということを論ずるに参考となる(なりそうな)文献として、

①水野和夫 [2014]『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社

②ヴォルフガング・シュトレーク [2016]『時間かせぎの資本主義―いつまで危機を先送りできるか』みすず書房

があります。

 ①はざっと読んだのですが、まだ②は読んでいません。 

 ②を読んでから、①ももう少しゆっくり読んでから、資本主義の危機を論じようと思っていましたが、現時点で考えをまとめておくことにします。

 私は、世界的な資本主義の危機は、3回あったと思います。

 1回目の危機の兆候は、1929年世界恐慌という世界的な規模の危機としてはっきりと認識されています。それに対応して、世界的な福祉国家体制が形成されました。それは、資本主義の生命力を示すもの、論者によっては、本来の資本主義の姿を示すもの、と見られてきました。

 2回目の危機の兆候は、1971年の金とドルの交換の停止が最初で、戦後の国際金融(ブレトンウッズ)体制の崩壊の第1歩が始まりました。その後福祉国家体制の崩壊が進み、新自由主義体制が形成されます。

 新自由主義の経済的本質は、たんに野蛮な資本主義のことです。先進国でも、労働者の実質賃金が低下し、労働時間が上昇する、ということが局所的、一時的ではなく、広く見られるようになりました。つまり福祉国家体制以前に戻ったわけです。

 また、新自由主義は、経済的な原理であるという誤解があります。これは、間違いで、国家による統治の様式、統治テクノロジーであり、それは権力のある者がより弱い者を支配するという、弱肉強食の原理のことです。その中に、先に述べた経済的野蛮な資本主義が位置づけられています。

 3回目の危機の兆候は、2008年に始まったリーマンショックです。それへの資本主義としての対応は、現在までの極右勢力の国際的な台頭によって特徴づけられます。「〇〇主義」というように表現される、まともな原理的(普遍的)なものはありません。

 あるいは、これをファシズムと呼ぶことができると思います。ファシズムの定義については、このブローグでも何回か解説してきましたが、それをさらに少し緩めて広い概念として理解することが自然のように思うようになりました。

 私は、このファシズムをソフトに表現したものが、「〇〇ファースト」というものと理解しています。しかし、現在の形成されつつある世界的な体制を、「〇〇ファースト」体制と呼んでは、この体制の危険性が表せません。この「〇〇ファースト」とという表現は、ファシスト的な彼ら自身が、自らを隠すために用いている隠れ蓑なのですから当然です。

 私は、現在の資本主義の危機に対応して形成されつつある国際的な体制を「国際ファシズム体制」と呼びたいと考えます。

 この点について説明が必要ですが、その前に、何故資本主義の危機なのかを議論しておきます。

 まず、マスコミを見ていますと、自由貿易保護主義かという論建てが横行していて、何と安倍首相が自由貿易のリーダーのような扱いがなされています。

 これは安倍政権の支持率が上げる一つの重要な要因となっていると思います。ですから、理論的な見方というものはとても大切です。

 資本主義の危機という観点から見た時、新自由主義体制と国際ファシズム体制は連続しています。

 その本質は、マルクスが指摘した利潤率の低下です。上記の水野氏の本は、利潤率の低下は利子率の低下という形で如実に現れているといい、そのことを歴史的な規模で議論しています。

 (これに対し、ピケティの『21世紀の資本論』は分配の問題を扱っていて、本質的な意味での資本主義の危機論にはなりません。)

 この利潤率低下という資本にとっての本質的な危機に対し、新自由主義が「救世主」として現れたのです。それは、それを様々な形で信奉する経済学者達によって美しいもの、合理的なものとして吹聴されました。競争で効率と活力が生まれる(再生する)というのです。

 これは、実は国家を柱とし市場を自由空間とする弱肉強食の主義です。利潤率の低下圧力が切迫しており、福祉国家体制が維持できないという経済的な現実の前では、国家官僚や資本家階級にとって合理的なものでした。

 私は上記のことを、「グローカルな連帯」と英国のEU離脱(4)--資本主義の危機でも論じています。

 それは同時に、弱肉強食の原理を美しい言葉と数学染みた式や記号で人々をけむに巻くものでした。

 新自由主義というイデオロギーの下に、人々を活力再生の夢に動員することが世界中で行なわれました。 

 この新自由主義の本質を捉えなおすことは、むしろ国際ファシズム体制の誕生とともに容易になったと思います。

 特に、新自由主義の国際版であったグローバリズムは、アメリカを中心とするブロック経済形成の運動であったことを、明確にする必要があります。

 実際そのようなものがあったのか、存在しうるのかといったことを別として、第2次世界大戦後に唱えられた自由貿易主義とは、2つの大戦の前に存在したブロック経済圏形成への反省として、文字通り世界すべての国の間の平和的な関係を作り出す基礎としての互恵的経済関係、互恵的自由貿易体制を形成しようとするものでした。

 しかし、そのような自由貿易主義と新自由主義は異なります。例えばTPPが典型ですが、それがアメリカの資本の都合を最優先にしたものであることは明らかであり、また、それに属さないものに対する排他性(ブロック性)を持つことも自明です。

 これをグローバリズムのようにマスコミは言いますが、それは要するにいわゆるグローバリズムがアメリカ中心のブロック形成の運動であることを意味しているだけです。

 もちろん、このブロックとは、たんに経済的な意味だけを持つのではなく、軍事的政治的なブロックでもあります。

 新自由主義が資本主義の危機への対応として有効性が維持できたのは、アメリカのリーダーシップの力が大きく、また各国における資本家階級のリーダーシップの力が大きかった間だけです。

 では、本質的に野蛮な資本主義であり、弱肉強食の新自由主義が何故有効性を維持できたのでしょうか。どのようにアメリカのリーダーシップや各国の資本家階級のリーダーシップの力が維持されたのでしょうか。

 この点を次回に論じ、資本主義の真正の危機、あるいは終焉の議論に続けます。

 

グローカルな実践と理論--実践編

 前々回(http://hajimetenoblogid.hatenablog.com/archive/2017/01/17)の記事「2017年の始めに思う(2)--反戦運動、労働運動、市民運動の国際的な連帯の表明を--その1」に、touitusensenwoさんから、2つのコメントをいただきました。

「現在の労働者は本当に分業の中で働いている、日々の生活を送る中では、世界の労働者との連帯を思うのは難しいのではないか?」

「国際的な連帯も必要と思いますが、その前に労働運動の立て直しが必要ではないでしょうか」 

 というものです。

  その時のブローグでは、理論的な考察を行なうと予告しましたが、先にいただいたコメントに沿って、実践的なことについて議論しておきます。

 私は、現在労働運動の指導者でも積極的な参加者でもありませんが、ともかく、私の考えを述べます。

 私は流行語を安易に使うのが好きでないのですが、「グローカル」という言葉には大事なこと--より深めていく価値のあること--が詰め込まれていると思います。

 社会運動の大きな流れとして、一方で身近なことに目を向けよう、というものがあり、他方で国家が作る境界を超えて連帯しよう、というものがあり、両者を統一したものが、グローカルな運動と呼べるでしょう。

 私は、グローバルな資本の動きを完全にストップさせるべきである、という立場には立ちませんが、それを規制すべきである、という立場に立ちます。

 その規制の最重要の原則は、「世界的な最低限の労働条件の遵守と向上」です。

 このような原則、スローガンは、実践的な魅力に欠けるでしょうか?

 そんなことはないと思います。例を挙げましょう。

 各国の最低賃金のアップを求める労働運動同士が、お互いに運動を支持し合うこと、それを表明すること、は、可能で効果的で魅力的ではないでしょうか。

 例えば、デモの先頭の車の屋根に大きなスクリーンをセットします。最低賃金アップを求める日本のデモでは、韓国、アメリカ、ヨーロッパなど、世界中の可能な国の労働組織と連絡をとって、そのデモの時間帯に、リアルタイムで支持の発言・画像を送ってもらいます。

 "  I'm Ree, Mac worker in Korea.  I support the Japanese workers' demand for the minimum wage up. We never loose! (私は、韓国のマックで働いているリーです。日本の労働者の最低賃金upを支持します。我々は絶対負けない!)"

 " I'm ....................... "

    " I'm ....................... "

    ...............  

 

 逆に、海外の運動に対しては、同じように日本の労働者が、リアルタイムで、支持の表明を行うようにします。

 「私は佐藤です。日本の松屋バイトをしています。一緒に、最低賃金のアップをめざそう」

    「私は〇〇です・・・」

 「私は〇〇です・・・」

      ・・・・・

 

 分業によって分断されている労働者、国境によって「敵対」させられる国民、疲労と御用化したメディアによって思考力と感性を奪われている労働者・市民のお互いに、単純明快、ビビッドな連帯のメッセージが伝わるのではないでしょうか。

 そうした連帯の実際的な感覚を常識化、日常化していくことが、ファシズムに抗していく、グローカルな実践です。

 

 

 

 

 

 

 

朝日新聞にまたしてもびっくり--極端な二重姿勢は、社内外から言論の力を奪い、無気力を蔓延させる

「自由な報道による権力の監視は、民主社会を支える礎の一つである」

 

「権力と国民のコミュニケーションが多様化する時代だからこそ、事実を見極め、政治に透明性を求めるメディアの責任は、ますます重みを増している」

 

 冒頭に引用したのは、2017年1月29日朝日新聞社説「米政権と報道 事実軽視の危うい政治」の最初と最後の文です。

 私の理解では、ジャーナリズムの基本は、事実への固執であり、その事実への固執を軸とした権力からの自立です。ジャーナリズムにとっての言論の自由とは、それが核であり、あるいはそれがすべてに近い、と考えています。

 ですから、冒頭の引用の内容はまさに正論であり、今の情勢の下では、力づけられるものとして称賛を表明したいところです。

 ところが、実際問題として、安倍政権に対して朝日新聞がとっている態度、行動はどのようなものでしょうか。それは、これと正反対の方向への紙面づくり、言論活動であると感じます。山崎氏は、次のように指摘しています。

社説でいくら立派なことを書いても、日々の紙面では「事実軽視の政権追従記事」を平然と載せ続けるようでは、外と内の二重基準がさらに無意識化するだけだろう。米国の政治状況を心配する前に、日本国内の政治状況の危機を直視して、かつての朝日新聞がやっていたように、権力監視を再開してはどうか。

 

 このことは、山崎氏や私のように外にいる人間ばかりでなく、社内でもかなりの人(もっといえばほとんどの人)が感じているのではないでしょうか。

 

 前回、朝日新聞デジタルヘッドラインの記事を批判しました。

 そして、その後新聞報道などでは、冬季アジア札幌大会の組織委員会が25日、大韓体育会(韓国オリンピック委員会)に対し、書籍を撤去する方針を公式に伝えた、とされています。

 そこでもう少し、ジャーナリズムの重要性という観点から、この記事に関して付加的な議論を行ないたいと思います。

 いかに①朝日新聞が、ジャーナリズムにふさわしくない後ろ向きの姿勢を示しているか、②朝日新聞のこの記事が、事実から逃げようとしているか、その結果、この問題を現在形で考えるための材料を提供していないものとなっているか、を指摘します。

 まず、第1の論点です。

 私が前回取り上げた日のデジタルヘッドラインは、メールのタイトルが

 

南京事件に否定的な本 中国でホテル批判

 

というもので、このメールを開き、さらにこの記事にあたる部分をクリックすると、この記事が出て、内容を読むことができるようになっています。

 ところが、この記事のタイトルは、

 

アパホテル南京事件否定の本 「 右翼ホテル」 中国報道

 

となっていました。 

 

 最初のタイトルを、メール・タイトルと呼び、次のタイトルを記事タイトルと呼ぶことにします。

 私は、前回のブローグで、メール・タイトルの「南京事件に否定的な本」は、意味不明だと批判しました。記事タイトルの「南京事件否定の本」ならば、これが「南京虐殺(という歴史的事実)否定の本」のことであると推察がつきます。しかし、南京事件に否定的な本」では、全く逆の意味--南京虐殺という歴史的な残虐行為を批判的に描いた本--であることもあり得るので、私は意味不明だと述べました。

 何故、記事タイトルが南京事件否定の本」なのに、メール・タイトルは、「南京事件に否定的な本」に変わってしまっているのでしょうか。

 字数でいうと、後者の方が2文字増えているので、字数短縮のためという理由は成り立ちません。

 大変微妙なこと、つまらないことのように見えますが、そこには、朝日新聞の姿勢を理解し、さらにジャーナリズムのあり方を考える上で、重要なことが反映されているように思います。

 おそらく、この記事の署名者達ではなく、いわゆるデスクにあたるような仕事をしている人(達)が、元の記事タイトルを、このようなメール・タイトルに変えているのでしょう。

 私は、前回、新聞のヘッドライン、見出しというものに、その新聞のセンスが縮約される言いましたが、改めてこのことを確認したいと思います。

 では、配信のためのメール・タイトルを作成した人は、何を考えてこうしたタイトルの変更を行ったのでしょうか。

 事実として、メール・タイトル作成者は、新しく「南京事件に否定的な本」という微妙な意味不明の言い回しを「発明」しました。記事タイトルから、「アパホテル」という固有名詞を削りました。それから、「右翼ホテル」というどぎつい表現も削りました。

 記事タイトルは全体として長すぎたので、短くするためにそうしたのでしょうか?私はすでに、南京事件に否定的な本」という表現が、長くなってかつ意味不明になっていると指摘しました。

 仮にタイトル全体としての長さだけが問題あったとするならば、例えば、

 

南京事件否定の本 中国でアパホテル批判

 

とすれば、自然であったし、長さも丁度同じになります。

  私は、メール・タイトルは、全体として事実を「なるべくわかりにくく」したもの、アパホテルのオーナーを含む南京虐殺否定論者からの攻撃を避けるために、「マイルド」な表現に変えた結果だと推察します。

 実際問題として、メール・タイトルを「工夫」したところで、記事を開けば記事タイトルが出てきて、アパホテルの名前も出てくるわけです。ですから、この「工夫」ははっきりと意識されたものというよりも、半ば無意識になされている可能性もあります。

 しかし、デスクにあるような立場の人(あるいは、メールタイトルを作成する立場の人)が、記事やそのタイトルの形で現場から上がってくる、事実自体が持つ緊張や重みを「マイルド化」して、意味不明のものにするというのは、やはり近年の朝日新聞の姿勢をかなりよく示していると思います。

 第2の論点に入ります。

 まず面白いことに、

 

アパホテル南京事件否定の本 「 右翼ホテル」 中国報道

 

という記事タイトルは、この記事の内容がアパホテルの擁護の姿勢を持っているにも関わらず、問題の所在を鮮明に示すものとなっています。つまり、アパホテル南京虐殺を否定する本があるので、それが「右翼ホテル」という批判を呼びおこすことになった、という簡単明瞭な事実を直截に示しています。

 3名の署名記者達は、意識的か無意識的かわかりませんが、問題の所在がそこにあることをいやでも感じざるを得なく、認めざるを得なく、それ故に、この記事のタイトルが、どうしてもこのようなものとなったのでしょう。

 問題の所在がここにあるということは、BBCニュースの同じ問題を扱ったタイトルからもわかります。それは次の通りです。

 

Japan hotelier's Nanjing massacre denial angers China

(日本のホテルオーナーの南京虐殺否定が中国を怒らせる)

 

 このタイトルは、朝日の記事タイトルとほぼ同じですね。

 BBCニュースの記事は、このタイトルに沿って、「ごく普通に」何故、これが大問題となるのか、今回どのようにこの問題が現れてきたのかを簡単に解説しています。

 ところが、朝日新聞の記事は、この問題の所在の重さに耐えかねるかの如く、一生懸命、言論の自由表現の自由、経営の自由、営業の自由という言い訳を対置してくれています。

 私が、ここで「言い訳を対置してくれています」と書いたのは、日本人のかなりの人の間にある感情--つまり、観光学の先生や記者達のいうところの「『騒ぎ』や『騒動』はもう勘弁してくれ」という気持ち--を「理屈」の形をとりながら、代弁していれているということです。

 しかし、にも拘らず、いざ記事にタイトルをつけるとなると、このニュースが発生してきた文脈、つまり過去から現在までの事実やその評価をめぐる議論の重みを自ずと反映するものにする他なかったのです。

 ジャーナリズムにとっての事実の核心的な重要性は、デマ(社会に対し、事実を捏造し、あるいはないものとしようとする言動)に対する徹底した批判が必要であることを導きます。

 デマが流れるのは、すでに言論の自由があること、それが守られていることを意味します。言論の自由が存在し、守られているからこそ、デマが作られ、流れることができるのです。

 そうした中で、私達(ジャーナリズム)がなすべきことは、デマが事実に反するものであることを明らかにして、徹底的に批判することです。

 それこそが、言論の自由を守る道です。

 逆に、デマを「言論の自由」の名の下に擁護することは、デマへの批判者を「言論の自由」への敵対者に作り上げることです。これは、常にデマの作成者がやってきたやり方です。

 デマへの批判を「言論の自由」の名の下に封じることこそ、言論の死、事実を探ることを使命とするジャーナリズムの死を意味するのではないですか。

 南京虐殺という歴史的事実は、虐殺された人の人数の不確定、不一致によって、ないものにすることはできません。それをなかったものとするのは、デマではないですか。

 3人の記者がデマであるかどうか断言する確信がなかったとしても、ジャーナリストとしてのセンスを持っていたなら、事実を大切にする方向に調査と記事内容が向かっていたでしょう。

 冬季アジア札幌大会の組織委員会の決定は、様々な経緯はあるでしょうが、本質的には事実の重み、その評価の議論の重みという文脈から理解されるものでしょう。

 朝日新聞は、どんどん読者の理解に貢献するための情報提供から遠ざかっているように見えます。そして、冒頭の社説とここで批判したアパホテル記事に見られた極端な二重姿勢は、社内外から言論の力を奪い、無気力を蔓延させるものとなっています。