hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 IV (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(6))

 東京防災公園の憲法集会に参加してきました。山田火砂子監督のスピーチを始めとして、危機感にあふれていました。

 2年前のみなとみらいでの憲法集会では、大江健三郎がたいへんな危機感を持ったスピーチを行なっていたことを思い出します。

 私自身は、2013年末の秘密保護法をきっかけとして、危機感を抱き、ひんぱんな集会参加やこうしたブローグを始めました。

 あれから3年半経ちました。危機感は深まっていますが、であるからこそ、短気をおこしてはいけないと思っています。

************************************************************ 

 私は4月28日のブローグで、日本国憲法の解釈は、近代憲法についての基本的理解を持った上で、ロジカル、すなおに読むことが大切である、歴史的な事情や海外の事例に頼るのは、参考程度で良い、と述べました。

 私のこの日本国憲法の解釈の方法について、ここまで書いてきて、改めて述べておくべきと感じた点が2つあります。

 第1点は、「すなおに読む」ということが何なのか、ということであり、第2点は、英訳日本国憲法の位置づけ(英訳日本国憲法理解の重要性)の問題です。両者は関連しています。

 前回まで書いてみて、「近代憲法についての基本的理解」や「ロジカル」なところは、そのとおりかもしれないが、どこが「すなおに読む」ということになっているのか、自問せざるを得なくなりました。

 例えば、前回、「日本国民統合」を「日本国民統合体」と置き換えても良い、と書きましたが、これは「すなおに読み方」というのではなく、「強引な読み方」--我田引水--だと言われてもしかたがないところがある、と気になりました。

 数学っぽい表現をして、一見厳密に議論しているようでも、実はインチキだ、という厳しい批判もあり得ますね。

 また、私は日本国憲法理解において、英訳日本国憲法の理解を助けとする、ということを重要な点において行なっています。

 となると、①公式的には憲法そのものではない英訳日本国憲法が重要なものとして出てきて、②英語ネーティブでない日本人に対し、それを読んで理解することを求める、という2重の意味で、憲法を「すなおに読む」ということから離れているのではないか、といわれてもしかたがないかもしれません。

 むしろ「口語日本国憲法」のようなアプローチこそが、すなおな読み方だろう、という声があって当然ですね。

 そこで、私が「すなおに読む」ということで言いたかったことは何だったのか、私にとって「すなおに読む」とはどういうことなのか、ということを考えてみました。

 結論をいうと、それは、「書き手への信頼と読み手への信頼の緊張的な相互作用としての<読むという作業>」のことです。

 「書き手への信頼」というのは、書いてある内容が正しいとか書き手の人格が正しいということではなく、「その文書の中に書き手の言いたいことがきちんと書かれている、という前提を持つ」(そうして、その文書に対する)ということです。これは、あたりまえのことのように思いますが、ポストモダンの人達は基本的に全く逆の考え方に立っています。

 次に、「読み手への信頼」とは、「基本的な知識は必要ですがそれがあれば、高度な専門知識がなくても、その書き手の言いたいことが理解できる、という前提を持つ」(そうして、その文書に対する)ということです。

 これらの信頼の根底には、「一人一人の人間の思考というものは、一方で個人的・独立的なものあると同時に、他方で、それが共有しようとする知と大きな論理的な流れによって、可能性としても事実としても、互いに結びつけられているのだ」という哲学的な確信があります。

 そうしますと、私のやり方で憲法を読む場合でも、まずは日常用語的な感覚で読むこと--「口語日本国憲法」のような--は否定されないのです。というか、普通はそういう読み方しかありません。

 ただわからない箇所も出てきますが、そこは保留しながら最後まで、あるいは適当と思うところまで読みます。

 何回も読み直したり、解説書を読んだりしますが、それでもすっきりしなければ、わからない時に、書き手が正しい(読み手としての私の頭が悪い)とか書き手が悪い(あるいは、読むということ自体が本来的に読み手の「自由」「恣意的」な読み込みを本質的な要素として持つ)、とか決めつけず、どっちも正しい(どちらも独立的な主体であるが、相互理解が可能である)と考えます--こうすると上記で述べた、書き手と読み手の間に良い意味での緊張関係が生じます。 

 大事そうに見えるが、どうしてもわからない部分は、こだわったままに、つまりこの緊張関係を維持したままにしておきます。

 こだわりながら、考えたり、調べたり、あるいは全く別のことをしたり、休んだりしていると、突然、「あうそうか」とストンと胸に落ちるような正解が浮かんできて、書き手と読み手(私)の緊張関係が氷解します。

 これが、私のいう「すなおに読む」ということです。

 このような意味で、日本国憲法を読む場合に、私は、そこにその作成者の意図がきちんと書かれている、という前提に立ちます。

 そして以上の意味で「すなおに読む」ということを行なう過程で、英訳日本国憲法を理解することの重要性が出てきます。

 私がずっとわからない、とこだわっていたところが、英訳日本国憲法の理解によって、まさに氷解するのです。

 そういうわけで、英訳日本国憲法を取り上げ、その理解の重要性を述べることは、私にとっては、「すなおに読む」ということの重要部分をなしているのです。

 私は、このブローグで以前、そうした立場から憲法前文の英訳を取り上げて論じたことがあります。

  ところが、英訳日本国憲法を取り上げることについては、2つの懸念が存在するように思います。

 第1の懸念は、石原慎太郎のような極右勢力が主張する「憲法押しつけ論」に根拠を与えてしまうのではないか、ということです。

 日本国憲法において、重要部分でわかりにくいことがあるのは、ありていに言ってしまえば、「訳が悪い(訳がむずかしかった)」ということにもあるといえると思います。

 そのことを以て、石原慎太郎は、しばしば憲法を「翻訳調のおかしな日本語でできている」と政治的に攻撃しています。

 このような攻撃は、もともと、憲法の内容をまともに議論する気がなくて言っているのですから、それに対し私達は、日本国憲法が「立派・格調あると同時にわかりやすい日本語で書かれている」ということを、はっきりと自信を持って対することが必要です。

 実際、細部や厳密な議論は別として、その根本的なところは、わかりやすい日本語で書かれています。

 ちょっと、とっつきにくい、というのも正直なところかもしれませんが、そういう場合には、これまでに触れた「口語日本国憲法」を一度読んで、それから正式の日本国憲法を読み直せば、「立派・格調あると同時にわかりやすい日本語で書かれている」ということがよくわかると思います。

 第2の懸念は、最高規範としての憲法の解釈を行なう、という作業において、英訳日本国憲法を持ち込むことがもたらす混乱です。

 先程、「訳が悪い(訳がむずかしかった)」という表現をしました。しかし、これはへんな言い方で、原文は日本語の日本国憲法であって、訳文の方が、英語の英訳日本国憲法です。

 ところがあんまり、英訳日本国憲法の「正しい理解」にこだわっていると、いつの間にか、英訳日本国憲法があたかも公式的な最高規範であるかの錯覚に陥ってしまわないか、という問題です。

 おそらく、そうした混乱を避ける意味でしょう。普通の解説書には、英訳日本国憲法の話は出てこないようです。

 確かに中途半端な形で(その位置づけが明確でない形で)、英訳日本国憲法が取り上げられると、そうした混乱が生ずるでしょう。また、そうした混乱が、先に触れた石原慎太郎のような政治的攻撃に結びついて利用される可能性も否定できません。

 しかし、英訳日本国憲法は、GHQ日本国憲法の原案の書き手として関わった人々の意図や言葉づかいが、ほぼ再現されていると考えられるものであり、彼らのいいたかったこと(立法者意志)が何であったのか、ということを理解する上で、その理解は必要不可欠な作業です。

 そして、それが日本国憲法の理解・解釈を深めるものとなること--私の述べた「すなおな読み方」の一部をなすこと--は明らかだと思います。

 私が、歴史的事情に頼るのは参考に止めろ、と言っているのは、歴史的事情を理解することの重要性を否定する意味ではなく、あくまで日本国憲法そのもの、その文章そのものが最高規範性を有しているという意味、そのことを忘れてはならないという意味です。

 

 ところで、今日の新聞(東京2017.05.04)で、1946年の議会における憲法第9条の第一項の戦争放棄の条項の条項の審議において、原案がただ「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と述べられていたのに対し、その頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」を加えることになったことが解説されていました。

 それは、社会党議員が「ただ戦争をしない、軍備を皆棄てるということはちょっと泣き言のような消極的な印象を与えるから、まず平和を愛好するのだと宣言する」ために、「日本国は平和を愛好し、国際信義を重んずることを国是とし」という文を加えることを提案したことがきっかけとなった、ということです。

 私は、先に「日本国憲法は歴史的芸術のようなものだ」と述べました。

 この第9条の原案にこうした修正が加えられていく経緯は、まさに憲法が持つその芸術性を体現していると思います--本質と細部の不可欠・見事な統合性が感じられるのです。

 そしてこうした芸術性は、上記で述べたような英訳日本国憲法を参照することに関わる懸念を吹き飛ばしてくれると思います。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 III (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(5))

 

 明日は、有明の防災公園での憲法集会に参加するつもりです。

 それまでに、<X>が何故<天皇>なのか、という大問題に辿り着くことは残念ながら、できそうもなくなりました。

 今日は、それでもできる限り先に進めるように努力します。

 

 今回は、<P統合>(=<国民統合>)の説明から始めます。

 

 前回までに、私の解釈に沿って、憲法の構造を可視化しやすく言い換えると、最終的に次のようになることを述べてきました。

 

第1条 <X>は、<新憲法によって規定された新しい国家>の象徴であり<新憲法制定意志によって一体性を持った国民>の象徴である。

<X>の地位は、主権の存する<国民の憲法制定意志>に基づく。

 

 この構造をとらえるために、数学っぽい表現をしてきました。つまり、

 

第1条 <X>は、<S>の象徴であり<P統合>の象徴である。

<X>の地位は、主権の存する<Pの総意>に基づく。

 

(<X>は、天皇、<S>は日本国、<P統合>は日本国民統合、<Pの総意>は日本国民の総意を表します。<S>はstateから、<P>はpeopleの頭文字。)

 さらに、最初の表現を得るための各部分の置き換えは以下の通りでした。

 

・<S>とは、<新憲法によって規定された新しい国家>を指す。

・<P>とは、<新憲法制定意志によって一体性を有する国民>を指す。

・<P統合>は単に<P>と置き換えて良い。

 <統合>という言葉は、上記の一体性を強調する言葉である。

・<Pの総意>は、<Pの意志>と置き換えて良い。 すなわち、<国民の憲法制定意志>そのものを指す。

 

 数学っぽい表現をしたのは、憲法の構造をとらえるためでした。そして、結果として得られた冒頭の形での表現が、この憲法の構造をよく示しているわけですが、実は実際に、この結果を得るための過程において、単純かつ厳密に分析的なアプローチを行うために、数学的な考え方を利用しています。 

 <P統合>の説明を始めます。

 上記で、

<P統合>は単に<P>と置き換えて良い。 

と述べてありますが、同じでないものを勝手に置き換えていいのでしょうか?

 もちろん、いけません。

 では、どうすれば<P統合>を<P>と置き換えることを正当化できるのでしょうか。私は、その論理の道筋は、いくつかあると思います。 

 私は、共和制的な憲法の基本構造や英訳日本憲法の語感にたよることが許されるなら--そして私はそれが許されると考えるのですが--、論理的に単純明快な解釈として、 

<P統合>とは<P統合体>のことである。 

と理解したいと思います。

 そして、さらに

・<P統合体>とは、<P>のことである。何故なら、

・<P>には、もともと、それが「新憲法制定意志」の作用によって生み出された一体性を持った共同体であることが含意されている。

・この含意を明示化した表現として、<P統合体>という言い方が可能である。

・それは、<Pという統合体>という意味と同様である。

・つまり、それは<P>のことである。

 というふうに、主張したいと考えます。 

 上記を、さらにやや詳しく説明します。

 まず、<P>とは何か、が問題です。上記では、 

<P>とは、<新憲法制定意志によって一体性を有する国民>を指す。

 となっていました。

  今、漠然とまとまっている国民を小文字を使って<p>と表します。すると、

<P>とは、<<新憲法制定意志>によって<p>を一体化したもの>を指す。

 となります。

  さらに、 

<新憲法制定意志>を、<W>と書くことにします。

Wは、英語のwillから来ています。

 すると、 

<P>とは、<<W>によって一体化した<p>>を指す。

 となります。

  こうした書き方だと、憲法の中での<国民>が<新憲法制定意志>によって限定されたものであること--漠然と<p>を指すものでないこと--が明確になりますね。

 ただ、それでも<P>には<p>が持っていた性質が残っています。

 しかし、共和制的な憲法における本質的な重要な性質は、<P>の中にある<W>にあります。

 このことは、まずは何となくわかると思います。

 天皇の意志によって臣民とされた大日本帝国憲法下の人々を

<P'>とは、<<W'>によって一体化した<p>>を指す。

 (ここで、<P'>は<大日本帝国憲法下の人々>、<W'>を<天皇の欽定憲法制定意志>を表します。)

 ついでに、

<S'>とは、<<C'>によって規定された<s>>を指す。

 (ここで、<S'>は<大日本帝国>を、<s>は<国家一般>を、<C'>は<大日本帝国憲法>を表します。)

 そうすると、これでも、何となく<W>や<W'>の部分の本質的重要性や<C>や<C'>の部分に、本質的な重要性がわかると思います。

 ここで、本質的重要性と言っているのは、大文字示された<W>や<W'>、あるいは<C>や<C'>が示すこと以外の<p>や<s>の性質が漠然と入り込むのを防ぐ機能を持つような重要性です。

 共和制的な憲法において、<W>の部分や<C>の部分が、このような本質的な重要性を持っていることの理由をきちんと述べると、それは2つあります。

 第1の理由は、そこでは、<W>と<W'>の非連続性、<C>や<C'>の非連続性の明確化が原理的に要請される、本質的な部分となっていることです。

 第2の理由は、第1の理由と密接に関連しますが、共和制的な憲法においては、憲法の解釈は、原則的に、<W>や<C>にのみに基づくものであって、それ以外の<p>の歴史的・地理的・文化的・言語的、等の固有性に基づく解釈は原則的に禁じられているからです。<s>についても、同様で、<s>が本来的に超越的な権威を持った存在とするような観念は拒否されています。

 上記の第2の理由は、規定以外の要素を勝手に持ち込んだ解釈を禁ずる、法律一般が持つ性質と似ていますが、それよりはるかに厳格なものです。

 言い換えると、「<p>という共同体は、<W>や<C>を持つようになると、法的には、<W>や<C>のみによって規定される一体性を持つ共同体である<P>へと変わる」のです。

 説明的要素を省いて、命題ふうに書きますと、

<p>は、<W>や<C>のみによって規定される一体性を持つ<P>へと変わる

となります。

 このようでないと、憲法を規定する意味がなくなってしまうことは、わかっていただけるのではないでしょうか。 

 このことは、立憲主義において、しばしば言われる、「憲法は国家をしばるもの」という問題とも関連します。

 上記で述べた2つの理由は、理論的原理的な前提で、後でまた議論しますが、今はこれを認めて議論を進めます。

 他方、理論のレベルでは、 

<C>は<W>のみによって規定される

 はずです。

 そうすると、先に書いた命題は、理論的に、

<p>は、<W>のみによって規定される一体性を持つ<P>へと変わる

となります。これは、

<P>は、<W>のみによって規定される 

 ということと同等です。もはや、<p>という概念は、いらなくなってしまうのです--<W>の中で、<p>が明示的に言及されていたり、<p>の不可欠性が明確にされていない限り

 

 これまでの説明で、

<P>とは、<<W>によって一体化した<p>>を指す。

 という命題において、何故<一体化>というような表現を用いてきたか、またここで本質的重要性を持つのは、<W>であり、<p>ではない、ということが明らかにされました。

 また<W>の本質的重要性は、<C>にも関わるので、ほとんどすべてに関わる極めて重要なものであることも、わかってきたと思います。

 

 (ここで、もろに数学的表現を使うとどうなるかを、書いていきますが、興味のある方だけ読んでください。そうでない読者は、()内はとばしてください。

 ここでさらに、<<W>によって、<何か>を一体化するということを、

        <W>*<何か>

 と書くことにすると、

<P>=<W>*<p>=f<W>

となります。

 ここで、fは関数を表します。

 <W>*も、<p>の関数の役割を果たしているとみなせます。ところが、こうして得られる<P>は、結局<p>には依存せず、<W>だけの関数だ、というのです。

 

 ここまでの説明で、<P>と<W>の関係について詳しく論じてきました。

 それによって、<P統合(体)>とは<P>のことである、それは「<P>というものが<W>によって作り出された、新たな共同体である」ということを意識化した表現である、ということの根拠を明らかにしてきたつもりです。

 

 あまり抽象的な話ばかりを続けると退屈かもしれませんので、ここで、この極めて重要なものとされた<W>すなわち<新憲法制定意志>が日本国憲法のどこに書いてあるか、という話の方に行きます。

 それは、まさに憲法前文の部分ですね。憲法前文だけなのか、というと実はそうではないのですが、まず憲法前文が、<新憲法制定意志>を生き生きと示したものであることはいうまでもありません。

 そこでは、「われわれ」を主語とした上で、「決意」という直接「意」を用いた表現が2回出てきますが、それ以外も強い意志を表す、力強い表現で満ちあふれています--動詞の部分だけを見ても、「宣言し」「確定する」「信ずる」「誓う」等、です。

 この前文の示す国民の<新憲法制定意志>が、天皇<欽定憲法制定意志>と全く非連続的なものであることは、主語が「われわれ」であるという形式やその内容から明白ですが、この非連続性を、特に明示的に語っている部分があります。

 それは、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」する、という部分です。

 私は、以前、憲法においてあらわれる「歴史的当事者性」というものについて述べたことがあります。

 前文全体が、この「歴史的当事者性」を帯びていますが、特に上記引用部分には国民が歴史的な当事者として得た経験が語られ、それが「再び」起きないようにする、という新しい(戦前と非連続的な)政府をつくる決意、あるいはそのための新しい(戦前と非連続的な)憲法をつくる決意が示されています。

 

 以上、<P統合>の説明を通じて、同時に、憲法第1条全体を、整合的に理解するために重要な要素について、かなりの部分を説明することができました。

 ただ、<新憲法制定意志>とは何であるかについては、より議論する必要があります。それによって、<国民の総意>を<新憲法制定意志>のことである、としたことの理由が明らかになるでしょう。

 <X>が、究極的には、 <新憲法制定意志>によってがんじがらめになっている、という議論は、後一回くらいで、終りにして、何故<X>が天皇なのか、という大問題に挑戦したいと思います。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 II (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(4))

 前回からの続きです。

 

第1条 <X>は、<S>の象徴であり<P統合>の象徴である。

<X>の地位は、主権の存する<Pの総意>に基づく。

 

 <X>は、天皇、<S>は日本国、<P統合>は日本国民統合、<Pの総意>は日本国民の総意を表します。<S>はstateから、<P>はpeopleからとってきたものです。

 

 前回、次の2点を論じました。

 

 ・<S>は、日本国家一般ではなく、<新憲法によって規定された新しい国家>を指すこと

 ・<Pの総意>は、漠然と国民の意志を指すのではなく、<国民の新憲法制定意志に含まれたもの>であること

 

 今回は、

 

・<P統合>は、漠然と国民のまとまりを示すのではなく、<国民の新憲法制定意志の下でのまとまり>を指すこと

 

の議論から始めます。

 この<P統合>についての説明は、どうしても、近代憲法の基本構造、主権在民の基本的理解がないと、日本国憲法の言葉からだけではできない部分ですね。

 私は、憲法を、普通の日本人が普通の日本語として理解するということを大切にしたいと思います。

 が、この言葉<P統合>日本国憲法の中で、重要な部分でいきなり出てきて、そしてこの一回だけで終り、という言葉です。

 なので、この概念についてのヒントを、憲法自体の中にある言葉から探そうとしてもできません。

 ところで、またまた少し横道に逸れますが、前回に持ってくれば良かったと思い出した本、塚田 薫・長峯 信彦による「日本国憲法を口語訳してみたら」というのがあります。

 すてきな本、すてきな試みで私も推薦します。

 ただ、今ここのブローグでやっているように厳密に論点を迫ろうとする上では、むしろ申し訳ないですが、反面教師的なものとして取り上げさせていただくこととなります。

 (この本については、このブローグで、かなり前に憲法前文の理解について同じ主旨で批判的に取り上げたことがあります。)

 

1条 天皇は、日本のシンボルだよ。これは国民がまとまってるってことを示すためのアイコンってうかそんな感じ。

 

---塚田 薫, 長峯 信彦「日本国憲法を口語訳してみたら」

 

 これは、日本語の語感にたよってそのまま訳してみたという結果で、私が最初に否定している解釈の典型になっていますね。

 (いや、私はこういう試みを否定しているのではなく、私が議論しているようなことを踏まえた上で、わかりやすく、親しみやすく本質に迫る一つのアプローチとして展開していくことは、むしろ積極的に推薦したいと思います。)

 この口語解釈だと、<S>は、統治機構としての国家であること、さらにこの国家が新憲法によって規定された国家であることが全然わかりませんね。

 <P統合>も、国民が漠然とまとまっているってことになっていて、新憲法制定意志の下でのまとまりという限定は全く出てきません。

 「主権の存する<Pの総意>に基づく」の部分に至っては、影も形もありません。こんなの、いわなくてもあたりまえじゃん、というわけでしょう。

 うーん。こういう議論の仕方も魅力的ですね。

 私も負けないように、議論を魅力的にわかりやすく述べるように努力します。

 

 そこで横道に逸れたついでに、最初に述べた<P統合>の説明を続けるのを中止して、先に議論の全体像を見れるようにしておきます。

 

・<P>とは、<新憲法制定意志によって結びついた国民>を指す。

・<P統合>は、<<P>のメンバー間の上記意志による強い結びつき>を指す。

・<Pの総意>は、<<P>のメンバー全員の意志>を指す。

 

 

 これは、日本国憲法の言葉使いに忠実に解釈した形ですが、これをヨーロッパ等の憲法や近代憲法の概念に沿って、さらに、日本国憲法の英訳に戻って参照しつつ、日本国憲法の本質をわかりやすく表現して解釈しなおすと、次のようになります。

 

・<P>とは、<新憲法制定意志によって一体性を有する国民>を指す。

・<P統合>は単に<P>と置き換えて良い。

 <統合>という言葉は、上記の一体性を強調する言葉である。

・<Pの総意>は、<Pの意志>と置き換えて良い。 すなわち、<国民の憲法制定意志>そのものを指す。

 

 すると、

 

第1条 <X>は、<新憲法によって規定された新しい国家>の象徴であり<新憲法制定意志によって一体性を持った国民>の象徴である。

<X>の地位は、主権の存する<国民の憲法制定意志>に基づく。

となります。 

 こうすると、日本国憲法が持つ憲法としての基本的性格とこの条項自体の内的な構造との間にある論理的整合性がすっきりとしてきます。

 ここで、<国家><国民>という表現が出てきますが、ここではそれぞれが日本国家、日本国民を意味するのですが、そうであるためには、新憲法制定意志の存在が根源的な重要性を持っています。新憲法制定意志が存在するから、日本国民が存在し、日本国家が存在するのです。

 つまり、論理的にすべてに先行する重要な概念は<憲法制定意志>です。

 すると、憲法第1条において、<X>は、新憲法あるいはそれに先行する<憲法制定意志>によってがんじがらめになっていて、もうその外に出ることはできない構造になっていることがわかります。

 先に引用した「口語憲法」は、全く対照的にこういうがんじがらめ構造をなくして、「象徴天皇制=軽いシンボルマーク、アイコン」論でいくやり方ですね。

 いやそうじゃなくて、がんじがらめになっているから、無力化されていて、つまり結果としては軽いシンボルマークのようなものなんだよ、というのが従来の共和制主義派の主張でしょう。

 私も従来そうした解釈をなるほど、と思い納得していましたが、今は疑問に思います。

 何といっても、国家や国民のシンボルというのは政治的な重みを持ちます。政治学において、シンボルは国家や集団の重要な手段とされます。

 ですから、シンボルだから軽いという発想は間違っています。

 憲法の構成上も、あのすばらしい前文に続く冒頭の第1条の持つ意味は、より考えていい問題だと思います。

 ところで、私が述べてきた「<X>(=象徴天皇制)がんじがらめ論」は、「別に新論ではなくて、むしろ憲法解釈の常識のようなことだ」「問題は、だとしても、何故天皇が象徴なんだ、ということなんだ」といわれるかもしれません。

 確かに「何故天皇が象徴なのか」は大問題で、私もその問題に憲法記念日の前にたどり着きたいと思っています。

 しかしそのためにも、まずは「<X>(象徴天皇制)がんじがらめ論」を私なりに、根拠づける作業を続けます--重要だと考えますので--もしかしたら退屈かもしれませんが。

 そこで<P統合>の説明に戻ります。

 また今回は長くなっているので、次回に続けます。

 

 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 I (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(3))

 論文を書く経験を持つ方はご存じのことですが、書くということは自分で考えたことを表していくことです。しかしそれだけではなく、書きながら新たなことが見えてきたりします。

 今回も書きながら何回も憲法を見直したりしましたが、この憲法のすばらしさ、特に前文のすばらしさには改めて感激します。

 前に、この憲法のことを「歴史の贈り物」というタイトルで論じましたが、もうこれはまさに、「歴史が作り出した芸術作品」とも呼ぶべきものですね。

 世界中の人、市民運動をやっている人、社会科学者に読んでもらいたいです。

 日本でも、高校3年、大学生くらいに高い水準の授業やディスカッションを、法学者、弁護士、市民(憲法を専門にしていない人文・社会・自然科学の研究者も含め)と一緒に、日本市民として生きるための授業として5コマくらい集中的にやることが必要ではないでしょうか。受験科目としてではなく、その授業、ディスカッション自体の魅力で勝負する、という感じで。

 さて、第1条の象徴の問題です。

 

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 

象徴天皇制に関わる結論的な論点を先に列挙します。

 

宮澤俊義の「1945年8月革命」説は誤りであり、「1947年5月無血革命」が正しい。

 

⑦象徴天皇は公務員であり、全体への奉仕者である。

 支配者が奉仕者に変わったのであるから、これを革命と呼ばず何と呼ぶか。

 

⑧共和制原理は、<A.権力源泉ピープル原理>と<B.平等人権原理>によって構成される。

 <A.権力源泉ピープル原理>とは、「国家権力の源泉は、ピープルのみにある」という国家形成のあり方とその効果についての原理のことである。そこでは、ピープルのみが国家--対内・対外的な権力(主権)や権力に付随する権威を有するもの--を形成することについての合意の主体である。国家形成や国家的権威をもたらす他の主体は存在しない。

 この原理に基づいて形成されるのが共和制国家であるが、通常、その以前にあった君主制国家の否定する国家として生まれる。したがって、共和制国家では、国家の性格の歴史的非連続性(新共和国の価値性と旧君主国家の反価値性)が強調される。

 <B.平等人権原理>とは、「誰もが人権を有し、かつその人権は平等である」という人権原理のことである。

 完全な共和制においては、全員がピープルとなり、ピープル以外存在しない。

 

憲法における日本の象徴天皇制は、

 <A.権力源泉ピープル原理>の面から見ると、ほぼこれを満たしている。やや文語的表現を用いると、「象徴天皇制は、<A.権力源泉ピープル原理>によって包まれ、浸透されている」。

 <B.平等人権原理>の面から見ると、天皇家族に対する特権の付与と人権の剥奪があり、反共和制的である。

 

⑩これに対し、ヨーロッパを中心に見られる民主主義的国王元首制は、

<A.権力源泉ピープル原理>の面から見ると、君主から生ずる権力、権威の要素を残しており、この原理を満たしていない。やや文語的表現を用いると、「<A.権力源泉ピープル原理>によっては説明できないアポリア--「君臨すれども統治せず」--から逃れられていない」。

 <B.平等人権原理>の面から見ると、国王家族に対する特権の付与と人権の剥奪があり、日本の象徴天皇制と同じく、反共和制的である。

 

 長くなるのを避けるようにして、まず⑨の議論の根拠を、条文上や現憲法のあり方から述べていくことにします。

 憲法は最高法規なのですから、まずは憲法自体、憲法の中自体に解釈の根拠を探すべきで、歴史的事情や外国の事例等は、憲法自体、憲法の中自体では憲法解釈が困難(規定の意味が不明)になった時に、解釈を進めるための参考として利用するのに止めるべきです。

 つまり、まずは近代憲法というのものについての基本的な理解を持ちながら、ロジカル、かつ、すなおに憲法を読むべきだということです。

 そのために、憲法第1条を、次のようにおき替えてみましょう。

 

第1条 <X>は、<S>の象徴であり<P統合>の象徴である。

<X>の地位は、主権の存する<Pの総意>に基づく。

 

 これを、憲法の基本的性格や憲法の規定に沿ってロジカル、かつ、すなおに理解します。

 <X>は、天皇ですが、ここでの問題の焦点であって、差し当たってそれは、一番謎に包まれているので、<X>としました。また、<S>は日本国、<P統合>は日本国民統合、<Pの総意>は日本国民の総意を表します。<S>はstateから、<P>はpeopleからとってきたものです。

 もちろん、これから説明するように、<X>の「正体」はきちんと憲法で規定されています。そのことを、詳しい説明は省きできるだけ結論だけを述べる形にしますが、きちんと議論していきます。

 まずまさに注目すべきは、<X>や<X>の地位(すなわち<X>の本質に関わる事柄)は、他のものに規定される形で表現されている、ということです。つまり、<S>、<P統合>、<Pの総意>が何か決まらないと、<X>の本質は決まらないのです。

 逆に、<S>、<P統合>、<Pの総意>が決まれば、<X>の本質が決まるのです。

 日本国憲法象徴天皇制が、このような基本構造を持っているということは、非常に重要なポイントです。

 では、<S>、<P統合>、<Pの総意>とは何でしょうか。特に限定のない国家一般、国民のまとまり、国民の意志を漠然と指しているのでしょうか。

 もしそうだとすると、私が直前に述べた「<S>、<P統合>、<Pの総意>が決まれば、<X>の本質が決まる」「日本国憲法象徴天皇制が、このような基本構造を持っているということは、非常に重要なポイント」というのは無意味になります。

 私はそうではないと考えます。<S>、<P統合>、<Pの総意>とは何か、という問題に対する答は、憲法の中や憲法というものの性格自体に探すべきであり、そして実際その答えは、憲法の中に、あるいは憲法というものの性格自体の中に、明確にあると考えます。

 まず<S>は、この<新憲法によって規定された新しい国家>のことです。それは、<明治憲法によって規定された大日本帝国という旧い国家>にとって代わるものです。断じて旧国家と新国家双方を含む国家一般ではありません。

 その根拠の第一は、近代憲法の基本的性格、立憲主義的性格にあります。それは、国民と国家の関係の規定することを基本的役割しています。新憲法は、その点で国民主権等、全く新しい国民と国家の関係、新しい国家像を提起、規定したものですから、この憲法が国家像として象徴化すべきは、当然この憲法が示す新しい国家像です。旧国家と新国家双方を含む国家一般を、国家像として象徴化することはあり得ません。

 第二の根拠は、この憲法の中では、統治機構としての日本国家のことを「日本国」あるいは「国」と呼んでいます。他の箇所で用いられている場合のそれらすべてが、この新しい原理によって造られる統治機構としての国家を指すことばとして用いられており、旧国家機構を指すもの、あるいはそれを含んだものとしての使い方は、全くないことです。

 第三の根拠は、<P統合>、<Pの総意>が何を指すのか、という問題への解答との整合性の問題です。

 そこで、<P統合>、<Pの総意>とは何かという問題を議論します。

 先に、<Pの総意>を扱うことにします。

 これは、<X>の地位は、<Pの総意>に基づく、という規定のところに現れてくる言葉です。

 そこで一つの解釈は、ここでいう<Pの総意>は、それ自体としては無意味なものであって、<X>の地位を憲法的レベルで根拠づけるためのテクニカル、アドホックな規定(いわばご都合主義的な、昭和天皇をこの地位につけるという目的が先にあってそれに合わせた)である、というものです。

 もしかしたら、この解釈は歴史的な事実に近いかもしれません。少なくとも、憲法制定当時の天皇側にとっては、この規定がただそのようなものとして受け止められていたかもしれません。

 しかし、最高法規--すなわち最も原理的な規範を示すもの--としての憲法解釈では、それは解釈放棄と同様と言えます。

 結論だけ述べる、と言いつつ、つい横道に逸れました。

 私は、<Pの総意>というのは、<X>の地位に関わる意志を指すが、この意志は、<より広い国民の新憲法制定意志に含まれたもの>である、と考えます。

 この広い意志を、<Pの新憲法制定意志>と呼ぶことにすれば、<Pの総意>は、前者に含まれたものであり、したがってそうした前者の性質によって限定された性格を持つものなのです。

 無規定の漠然とした意志でもないし、ご都合主義的、アドホックな規定として出てくる意志でもありません。

 その根拠は、第一に、憲法前文の内容とその構成のあり方です。

 第二の根拠は、<S>や<P統合>解釈との整合性です。

 これらの2つの根拠については、<P統合>の解釈と合わせて論じたいと思います。

 すでにかなり長くなっているので、それは次回に続けます。

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(2)

前回の続きです。

日本国憲法の第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 には、重要な論点がいくつも詰まっています。

 私の主張を加えながら、その論点を先に羅列します。

天皇も国民の一人であり、人権を有する。 

②しかし、この第1条は、天皇(家)を除いた国民(主権を有する国民)による、天皇という特殊公務員の職務の存在・基本内容を示した、一方的な宣言である。

 一方的というのは、この職務の存在・基本内容は、主権を有する国民が一方的に決定するということ、天皇との交渉事項ではない、ということである。 

天皇になる資格のある者(天皇有資格者)で、かつ天皇になる意志のある者が、天皇になる。この資格の一つは、憲法尊重であり、当然この第1条尊重が含まれている。

 したがって、第1条は事実上、天皇になった者と主権を有する国民との間の契約という性格も持つ。 

④在位天皇の死去あるいは退位によって生ずる天皇有資格者は、憲法にしたがって職業選択の自由という基本的人権を有するから、天皇にならない自由を有する。

 このコロラリーとして、天皇は退位の権利を有する。ただし、先に述べたように、天皇の役務への就任は(労働)契約の成立を意味するから、退位も契約内容に拘束される。

 退位に関わる契約内容は、本来的に当然天皇の役務への就任契約の事前に示されるべきものであり、皇室典範に定められるべきである。  

天皇有資格者が、就任の意志がないことを表明した場合、次の有資格者の就任意志の有無が問われる。

 最終的に有資格者が存在しなくなった時は、象徴天皇不在となるが、実質的な国家運営に困ることは全くない。

 そのまま、名実ともに共和制へと移行することもできるし、有資格者を改めて、決め直すこともできる。

 しかし重要なことは、仮に、天皇有資格者以外の国民の総意として「象徴天皇を有したい」という意志があったとしても、それを有資格者が受け入れることを義務化することはできない、ということである。 

⑥現在、退位の問題と関わって、天皇就任の潜在的有資格者の減少について、懸念する声がある。懸念する自由は誰にでもあるが、有資格者がいなくなってしまうこと、象徴天皇制が廃止されることは、この憲法の基本的な性格を変えるものではない。

 このことは、憲法学において、「憲法の3大原則(平和主義・国民主権・人権尊重)の変更は、憲法改正限界を超えるが、象徴天皇制の廃止は、憲法改正限界の中にある」という形で表現されている。

 言い換えれば、象徴天皇制廃止(あるいは象徴天皇不在状況)は憲法原則上あってはならないことではない。したがって、議論をいつも必ず当然の如く「どうしても天皇有資格者を十分に確保しておかなければならない」というところから始めるマスコミのや「識者」の論調は憲法論の視野を狭めるものである。

 

 以上で述べたような、天皇という地位・職務の契約による特殊公務員としての性格は、昭和天皇から平成天皇への代替わりによって明確になったことと言えます。

 何故なら、昭和天皇の場合は、結果としてはこの特殊公務員の地位に就いたわけですが、その以前は絶対的権力者であり、その権力を占領米軍によって取り上げられるという歴史的条件の中で、基本的に占領米軍との交渉を通じて得た地位です。

 その際、占領米軍側にとって重要なことは、天皇の絶対的な権力を実質的に奪うことであり、天皇の側にとって重要であったことは、天皇の支配の外見が持続することを制度的に確保し、それによって、天皇の戦争責任への追及を回避したり、財産の保持や経済的な国家への寄生を持続し、社会的なプレゼンスや権威を護る、という実質的な利益を少しでも可能にし、増大させることでした。

 象徴天皇制は、この両者の妥協的合意を反映しますが、基本的にこの制度の実質的な立法者としての米軍の意図と力によって作られるものとなりました。

 前回述べたように、この時点での象徴天皇制の焦点(中心的な機能)は、昭和天皇から絶対的な権力を剥奪することにありました。

 さらに憲法は国会での議論と議決を通じて成立しますが、この象徴天皇制の焦点(中心的な機能)が天皇から絶対的な権力を剥奪することにあったことは同じです。

 これに対し、平成天皇はすでにある新憲法の枠組みの中で、天皇に就任するということを選択して天皇になっています。

 このことは、平成天皇が就任時に、「国民の皆さんとともに憲法を護る」という意味のことを宣誓したことに表れていて、これによって、国民との契約が成立したといって良いでしょう。

 そこで、本来、象徴天皇の職務内容が問題となるのは当然であり、自然なことでした。

 

 実際、当事者たる平成天皇は、この問題を熟考した上で就任し、その後も熟考を重ねてきたように思います。

 ところが護憲派憲法学者は、基本的に、従来の見解を踏襲するままだったのではないでしょうか。

 (私は正直なところ、憲法学界のことは全く知りませんので、間違いであればご指摘ください。訂正します。)

 さて、上記で羅列した論点には、この職務内容の問題--象徴とは何か--がまだ含まれていません。

  私は前回、平成天皇がいう象徴活動が「憲法3原則に基づいていれば合憲である」と述べました。 

 また、かなり以前のブローグで、象徴天皇制のキモは、「象徴」と「世襲」にあると指摘しました。

 次回に、憲法第1条のいう象徴とは何か、という問題に焦点を当てて、これらを論じていきます。

 

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(1)

 もうすぐ憲法記念日です。

 政治情勢はすごい速さで動いていて、しかも、共謀罪辺野古基地、北朝鮮ミサイル発射に対するアメリカの対応、等重要問題が同時的に発生しています。

 私は、そうしたことをまとめて考えたり、他の人に訴えたりするための枠組み、思想は憲法だと思います。

 その中身の理解を通じて、今の憲法が魅力的なものだということを、どれだけ広い人々と共有することができるか、ということが鍵です。

 その点で、憲法における象徴天皇制をどう解釈するか、ということが非常に重要だと思います。

 このことは、このブローグで何回か取り上げてきました。その続きです。

 タイトルで、「象徴天皇制廃止」と述べているのですぐこれを実現する、すべての人々の平等化を図る、と思われるかもしれませんが、急ぎ過ぎてはいけません。「歴史を通じた」ということで私が言いたいのは、時間をかけて、歴史の筋道にしたがって進んでいこう、そうして象徴天皇制廃止、共和制の実現へ至ろう、ということです。

 護憲勢力にとっては、象徴天皇制は過去の残滓であり、右翼が政治利用する危険性を多分に持ったものです。

 したがって護憲運動においては、象徴天皇制は負の意味を持ち、新しくできたすばらしい憲法の中身を支える構成要素としてはあまり触れられないものでした。

 あるいは憲法解釈論として、明治憲法と対比して、天皇が絶対的な主権者であった状態から象徴に変わったという説明があり、天皇が再び権力を持つ状態にならないように警戒を怠ってはならない、という注釈が加えられました。

 私自身は、共和制主義者なのでこうした説明に賛成ですが、でもそれだけではだめだと思います。この説明は、いわゆる憲法の3大原理(平和主義・人権尊重・国民主権)との関連性がありません。

 話が飛ぶようですが、オリンピックの5輪マークや東京オリンピックロゴマークというものがあります。あれらにはたいへんなアピール効果があります。

 シンボル(象徴)、シンボルマークというのは政治的にはもっともっと重要です。

 日本国憲法の第1条は、

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 と述べています。

 この一番最初の条項をどうとらえるか、という問題、象徴をどのように理解するかというのは大問題です。

 テレビや雑誌でほぼ一年中私達は、この「象徴」または象徴の家族の写真やそれに関わることがらを見せつけられています。

 さて、古くから現在まで続く憲法(解釈)論としての焦点は、憲法に明示された国事行為以外の天皇による公的な行為を認めるかどうか、ということにあります。退位に関わる天皇の「お言葉」の中で言及されていた天皇による「象徴活動」は合憲なのかどうか、ということです。

 護憲派憲法学者は、憲法に明示された国事行為以外は認めない、という立場が基本的なようです。

 それに対し私は、結論を先に述べますと、その合憲性の問題への解答は、時間とともにかわってきた--新憲法制定時は憲法明示された国事行為以外は認めないのが正解であったが、現在は憲法の3大原理に基づく象徴活動は合憲であるとするのが正解である--と考えます。

 この変化の区切りの目安を述べるなら、昭和天皇から平成天皇へと代替わりしたことがこの変化に対応します。

  私の主張が、時代が変われば解釈も変えていい、というようなご都合主義ではなく、逆に、共和制主義と護憲を、「歴史を通じて」徹底するためのものであることを説明しようと思います。

 1945年の敗戦によって、日本が新しい民主国家に生まれ変わったことを内外に宣言したのが、1947年5月に施行された新憲法です。

 この時は、その時まで(国内的には)絶対権力者であった天皇が「象徴」に変わった--つまり、権力としては無力化された--ということが、内外に対して示された最も大事なポイントでした。天皇の無力化と新憲法の3大原理は自ずとセットで理解されるものでした。

 他方、もし天皇が完全に無力化されれば、象徴としてすら残されず、つまり完全な共和制が実現していたでしょう。この意味では、象徴としての天皇が残されたのは、共和制支持勢力天皇制支持勢力の妥協の産物であり、それは昭和天皇自身の希望、妥協を含んで形成された合意です--新憲法は旧憲法の改正という形式によって成立していますから、このことは昭和天皇の合意を形式面でも示しています。

 それにしても、今まで絶対権力であったものが、象徴に変わったわけですから、共和制主義勢力にとっては、基本的な勝利が得られたといえます。

 この新憲法の立法意志から言えば、第1条は、天皇の無力化が主旨だったのですから、天皇の影響力を厳格に制限することは当然で、そのために、第7条における天皇の国事行為の列挙が、それ以外の公的行為の禁止を意味することは、ごく当然の憲法解釈であったというべきです*1

 新憲法における象徴天皇制に関わる条項の機能としては、いわば現人神とされ、戦争責任の核にあった天皇を無力な人形のようなものとすること、が意図されていたというべきでしょう。

 仮に、この条項が厳格に運用され、そしてそのまま、無力化が徹底され、共和制憲法制定へと進んでいれば、議論は必要なかったのですが、現実の歴史はそう単純には進みませんでした。

 政府は、国会開会式における「お言葉」を始めとして、様々な憲法に規定された以外の不適切な公的行為を行わせました。

 私は、そうした公的行為は、昭和天皇の側が憲法の規定を盾に拒否することが可能であったと考えますが、彼は拒否しませんでした。

 昭和天皇自身も統治者的な意識が連続していたこと(1947年の沖縄の米軍占領継続を望む「沖縄メッセージ」など、明らかに憲法違反に類する行為を犯している)、様々な範囲の周囲の者達も、戦前からの天皇制の習慣・言動をできる限り維持することを望んでいたことがあるでしょう。

 特に国会の開会式における天皇の「お言葉」は、天皇の無力化という憲法によって明確化された歴史的課題から見れば、倒錯的なものであったといえますが、しかし、国会という国民主権が最も徹底されるべき場において、共産党を除いたほとんどの野党議員もそれを問題にしてきませんでした。

 ただ事実問題として、新憲法の下で、昭和天皇の権力は無力化され、時間の経緯とともに、そうした無力化がほぼ確定すると、憲法第1条の天皇を象徴化することの意義は、自ずと戦前の絶対的権力の否定、無力化ということから、象徴としての積極的な意味の付与へと変わってきます。

 特に、昭和天皇から平成天皇に代替わりした以降には、天皇の権力としての無力化という課題はほとんど意識されなくなりました。

 憲法解釈の問題として現れてきたのは、何故、天皇を象徴化するのか、という問題です。

 それは、以前は天皇が絶対権力だったから、それを無力化するために象徴化したのですが、もうすでに無力化されたわけですから、無力化を理由とする象徴化の必要はなくなります。積極的に、天皇世襲化された天皇を象徴化することの説明が必要となります。あるいは、過去との対比においてではなく、現在において象徴ということの中身が積極的に何なのか、ということが問題となります。

 若い人が、憲法の最初の第1条を読んで、普通に感じることは、象徴って何?ということではないでしょうか。

 私は護憲の立場に立つ共和制主義者として、日本国憲法の中とそのあり方のこれまでの経緯に、このような現在的な意味で、天皇世襲化された天皇を象徴化することの理由と同時に、そうした象徴天皇制を廃止して、完全な共和制へと移行していくための歴史的展望を見いだしたいと思います。

 そうした展望を提供する鍵は、憲法を生み出した歴史的経緯と憲法の人権論です。

 次回に続けます。

 

*1:横田耕一「制憲前後の天皇像--象徴天皇制の解釈における〃連続性〃と〃断絶性〃序説--」(法政研究. 45, (1), pp. 26-64, 1978. 九州大学

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編8)--現在から見たフーコーの限界

 本ブローグ4月3日の記事で、潜在的なエネルギーを持つものをコントロールすることに焦点を当てる「新しい工学」の潮流と、<自由>や<競争>でエネルギーを持つ人間のコントロールを志向する「新自由主義」の潮流は、対応関係にあることを指摘しました。

 長くなりがちなので、結論を先に書き、簡潔にその根拠を書くように努めます。

 ①フーコーは、1970年代末に、新自由主義が統治テクノロジーであることを明確にし、その思想的ルーツがドイツのオルド自由主義にあり、また、その現代的なものとしてアメリカの新自由主義があることを明らかにしました。

 ②ところが、この統治テクノロジーの使用者である国家の支配力が、このテクノロジーによって強化されるとは考えず、逆に、国家は「減退」しているといいます。

  まず、②の問題点について述べます。

 フーコーは、「国家の減退、国家化の減退、国家化し国家化される統治性の減退の兆しがある」と述べています(フーコー [2008]『生政治の誕生 : コレージュ・ド・フランス講義一九七八-七九年度 』筑摩書房、p.237)。

 えっ! せっかく、新自由主義が統治テクノロジーだと喝破しているのに、これではだいなしです。

 これでは、新自由主義者の言い分がそのまま実現していることになります。「小さい政府」ということですね。

 また①については、フーコー新自由主義が統治テクノロジーとして合理性を持つものであることを強調し、またそれを単にテクノロジーとしてとらえます。そして、それが持つ資本主義との関連やイデオロギー性、そうしたことからもたらされる矛盾や破綻の可能性を議論しません。

 このような把握では、新自由主義が非常にスマートな支配方法として、未来永劫私達を支配するものとなってしまいます--これもまた奇妙なことに、新自由主義者の言い分(合理性の主張)がそのまま受け止められた結果というような印象を受けます。そしてそれは、一部のまじめなフーコー信奉者に、現代社会に対する絶望感を与えているようです。

 それに対し、私は、このブローグで依拠してきた柄谷行人アンディ・グリーンが指摘しているように、新自由主義は、逆に国家を強化するものだと考えます。

 そして注意すべきは、この国家の強化は、資本主義の危機に対応したものでもあることです。

 つまり第一に、新自由主義の本質は、資本主義の危機に対応するために、弱肉強食の「野蛮な」原理を経済分野に適用し、さらにそれに止まらず、政治、社会の分野全体に適用しようとするものである、と把握します。

 第二に、新自由主義は、その手法として、「新しい社会工学」としての新自由主義的統治テクノロジーの手法と成果を利用して「効率的」な支配--すべての分野における弱肉強食の原理の貫徹--をもたらそうとします。このテクノロジーは、「自由」「競争」「自己責任」を積極的に「生産」し、力のある者(国家や資本)がそれを思う方向に、「効率的」にコントロールしようとするものです。

 第三に、この新自由主義的統治テクノロジーが、「自由」「競争」「自己責任」「効率」といったキーワードによってとらえられる外観を持つことは、それ自体重要な意味を持ちます。つまりそうした外観は、本質的に「野蛮な」弱肉強食の原理を覆い隠します。この主義が普遍性を持った合理的なものである、という外観がもたらされるのです。

 しかし実際のところ、この新自由主義的統治テクノロジーの使用が、「効率性」をどの程度実現しているかは、疑問の場合が少なくありません。

 新自由主義的統治テクノロジーは、国家や資本にとって好都合な、本質的に野蛮な政策を実行するための手段を提供すると同時に、そうした政策を合理性や効率性を持ったものと見せかける、という二重のイデオロギー性を持っています。

 ところで、何故、統治性、統治テクノロジーという視点から議論しているフーコーが、新自由主義に関して、「国家の減退」や新自由主義の合理性の強調というような見方をすることになったのでしょうか。

 大きく言うと2つの理由があります。第1は、フーコー自身の方法論的、視点の問題です。彼は統治性の議論を、国家や資本と結びつけて行うことを意図的に避けています。

 もちろんフーコーは、国家が統治テクノロジーを使用する主体になる場合についても議論しているのですが、彼にとってそれは権力主体の一つのケースに過ぎず、特別な意味・意義を持たせてはならないのです。

 しかし、近代世界にとって国家は権力の特別の結節点であって、他の権力とは異なる極めて特別な位置を持つものです。詳論はしませんが、これは国家の起源、国際的な近代国家体制の成立といったことから理解されます。

 近代国家が強大なものになり続けていることは、各国の軍事力・軍事費が基本的に増加し続けたことに見ることができます。この30年くらいの間、対GDP比で見ると減少している国が多いですが、絶対額の実質で見ると、ほとんどの国で増加傾向が見られます

  アメリカについては、さらに70年前からのデータが簡単に見られますが、同様のことがいえます。

 こうした現象の実態がどのようなものであるかについては、ギデンズの『国民国家と暴力(松尾精文, 小幡正敏訳)』而立書房[1999]が、情報の問題も含めて論じています。

 またフーコーの「国家の減退」というとらえ方の背後には、彼が国家と資本の結びつきの問題を見ようとしないこともあります。

 しかし、この結びつきは、絶対主義の時代に見られた歴史的な過去のものというだけではなく、ずっと重要性を持ち続けています。

 国家の論理と資本の論理は別のものですが、基本的にお互いを支え合わないと自分自身を維持していけないのです。双頭で体は一つの生き物です(柄谷行人の表現)。

 特に資本主義の危機にあたっては、国家はその対応策実施の中心舞台となります。規制緩和や民営化といった施策は、国家の弱体化を意味するのではなく、その危機に対応するための要衝としての役割を果たしていることを意味するのであって、国家の重要性の認識を高めるものです。

  多国籍企業が国家を超えた力を持つ、というような考えもあります。しかし例えば、アメリカを根拠地とする多国籍企業がアメリカ国家を超えた力を持つ、という理解が間違いであることは、現在、トランプ政権の登場とそれに対するアメリカ大企業の対応によって明らかになっていると思います。

 フーコーが「国家の減退」を主張したり、新自由主義の合理性を強調することになった大きな理由の2番目は、彼が新自由主義に着目した時期があまりに早すぎた、ということがあります。

 彼の新自由主義に関する講義は、1978年に始まり、1979年の4月に終わっています。

 イギリスのサッチャー政権は、1979年の5月に始まりますから、フーコーはまだ、新公共経営論(new public management)の実践を見ていないことになります。

 サッチャーや1981年に米大統領に就任したレーガン等の新自由主義的政策が、大資本や投資家達の利害をいかに代弁したかも見ていません(ハーヴェイ[2007]『新自由主義 その歴史的展開と現在』作品社、参照)。

 日本の小泉政権の下では、様々な経済審議会において直接の利害者が発言権を持ち、決定を推進するということが堂々と行われました。

 こうしたことは、「国家の減退」や新自由主義の「合理性」といった見方ではとらえられません。

 さらに、私達は現在のファシズム段階から新自由主義の本質について振り返ってみることが可能となっています。

 例えば、安倍政権の下では、小泉政権をはるかに超えた利権の私物化がこれまた堂々と行われていますが、これは、小泉政権が用意した政治、社会環境との連続性の観点からとらえられるべきものです。 

 機会を改めて論じますが、日本に限らず、新自由主義は現在の世界各国のファシズム体制に繋がるものであったのです。

 つまり今私達は、新自由主義が、テクノロジカルな外見、普遍的な合理性、効率性を担保するような外見によって、その野蛮な本質を覆い隠す、統治テクノロジーであったことがよりはっきり理解できるようになってきたと思います。

 現在の国際的なファシズム体制の出現は、資本主義の危機が深まった段階、新自由主義のテクノロジカルな外見、普遍的な合理性、効率性を担保するような外見を維持した対応ができなくなった段階に対応しています。

 野蛮な弱肉強食を隠すことができなくなって、それが表に現れつつあるのです。

 私がフーコーの分析の弱点を指摘するのは、今日の後知恵をもってあげつらおうとしてのものではありません。それはフーコーに学びながら、今日のファシズムの誕生を理解しようとする立場からのものです。