hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 VII (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(9))

訳の問題と関わって、the Nationという言葉が、フランス革命において、スローガン的な言い方、特殊な意味合いを持って登場したことを、何故だろう?という問題提起をしました。 その解答は、近代国家--固有の<<the state>>と固有の<<the people>>と固有の<<the geographical space>>の統合体--の固有統合</the></the></the>…

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 VI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(8))

前回の続きです。 日本国憲法における<国民><国家>という問題を、英訳と関わらせて理解しようとする時、議論していた方がよい問題として、<nation>という言葉の問題があります。 nationという言葉は、国民と訳されたり、国家と訳されたりします。何故でしょうか。ど</nation>…

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 V (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(7))

憲法第1条を論じようとして、「本丸」に辿り着く前に、予定以上に長くなってしまいました。悪い癖です。 「厳密」と称して、何をぐだぐだと言っているのだ、という疑問があるのが当然でしょうから、ここで、もう一度私の意図を明らかにしておきます。 第1条…

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 IV (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(6))

東京防災公園の憲法集会に参加してきました。山田火砂子監督のスピーチを始めとして、危機感にあふれていました。 2年前のみなとみらいでの憲法集会では、大江健三郎がたいへんな危機感を持ったスピーチを行なっていたことを思い出します。 私自身は、2013年…

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 III (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(5))

明日は、有明の防災公園での憲法集会に参加するつもりです。 それまでに、<X>が何故<天皇>なのか、という大問題に辿り着くことは残念ながら、できそうもなくなりました。 今日は、それでもできる限り先に進めるように努力します。 今回は、<P統合>(=<国民統合>)の説</p統合></x>…

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 II (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(4))

前回からの続きです。 第1条 <X>は、<S>の象徴であり<P統合>の象徴である。 <X>の地位は、主権の存する<Pの総意>に基づく。 <X>は、天皇、<S>は日本国、<P統合>は日本国民統合、<Pの総意>は日本国民の総意を表します。<S>はstateから、<P>はpeopleからとってきたものです。 前回、次の2点を論じました。 ・<S>は、日</s></p></s></pの総意></p統合></s></x></pの総意></x></p統合></s></x>…

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 I (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(3))

論文を書く経験を持つ方はご存じのことですが、書くということは自分で考えたことを表していくことです。しかしそれだけではなく、書きながら新たなことが見えてきたりします。 今回も書きながら何回も憲法を見直したりしましたが、この憲法のすばらしさ、特…

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(2)

前回の続きです。 日本国憲法の第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 には、重要な論点がいくつも詰まっています。 私の主張を加えながら、その論点を先に羅列します。 ①天皇も…

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(1)

もうすぐ憲法記念日です。 政治情勢はすごい速さで動いていて、しかも、共謀罪、辺野古基地、北朝鮮ミサイル発射に対するアメリカの対応、等重要問題が同時的に発生しています。 私は、そうしたことをまとめて考えたり、他の人に訴えたりするための枠組み、…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編8)--現在から見たフーコーの限界

本ブローグ4月3日の記事で、潜在的なエネルギーを持つものをコントロールすることに焦点を当てる「新しい工学」の潮流と、<自由>や<競争>でエネルギーを持つ人間のコントロールを志向する「新自由主義」の潮流は、対応関係にあることを指摘しました。 長く…

共謀罪法反対のために私達はどうすればいいのか--あかりちゃんを想い起こす

一昨日(4月6日木曜)、日比谷公園の共謀罪法に反対する集会、デモ、国会請願に参加してきました。「総がかり実行委員会」と「共謀罪NO!実行委員会」主催で、3700人集まったそうです。 久しぶりに、野外音楽堂の中に入ることができました。先々週の国会前…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編7)--ポパーのピースミール工学とフーコー

今回は、フーコーによる新自由主義を統治テクノロジーとしてとらえるという視点を、ポパーのピースミール工学という論点と関わらせて議論します。 私の見落としでなければ、フーコー自身がポパーに触れた箇所はないようです。しかし、フーコーの新自由主義の…

安倍政権を倒す新た波を--民主主義の再生(ルネッサンス)としてのデモ

23日(木曜日)、久しぶりに総がかり主宰の国会議員会館前の集会に行ってきました。 テーマは、共謀罪法案反対でしたが、ちょうど折から籠池証人喚問があり、その報告も半分ぐらいを占めました。 500人集まったとのことです。機動隊等の車はいっぱい配置され…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編6)--フーコーの新自由主義論とその限界C

前々回、フーコーの二つ目のすばらしさとして、新自由主義の新しさを浮き彫りにしていること、というふうに述べました。しかし改めて読み直してみると、「浮き彫り」というには明確さに欠いており、レトリックのような部分や彼自身が思考を試行的に重ねてい…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編5)--フーコーの自由主義論と新自由主義論B

フーコーの権力による人々の意識の支配という問題意識(これは、グラムシをつぐものです)から言って、彼が新自由主義を支配のテクノロジーとして捉えていたことは、彼の1970年代末の講演を知った今となっては、当然のことといえます。 しかし、支配のテ…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編4)--フーコーの役割と新自由主義論A

新自由主義が現在の国際ファシズム体制へとつながるという話をするために、新自由主義のことを論じ始めました。そして新自由主義が広がった理由の2つめの説明として、新しい社会運動、新左翼、全共闘などの体制批判派の中にも、政府(国家)や左翼政党・労…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編3)--1970年代の「批判的」勢力・理論

前回、普通の人々が何故新自由主義を支持したか、という問題を大雑把な社会心理の角度から議論しました。 「普通の人々」で言いたいのは、広範・多様な人々ということです。 しかし、数の面から見れば絶対的に多数ではないが、思想的・イデオロギー的に影響…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編2)--新自由主義は何故広まったか

新自由主義は、上級の国家官僚と資本家階級にとって好都合のものです。それが資本家階級にとって好都合であることは、説明を要しないと思います。 ところが、新自由主義が小さい国家というような言い方をされるために、それが上級官僚にとって権力強化の意味…

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編1)

今まで、このブローグの異なった箇所で、予告しながら延ばしてきた理論的な問題を、ここでまとめて議論します。 今回のタイトルは「グローカル」となっていますが、焦点はインターナショナルな方にあります。 資本主義の危機ということを論ずるに参考となる…

グローカルな実践と理論--実践編

前々回(http://hajimetenoblogid.hatenablog.com/archive/2017/01/17)の記事「2017年の始めに思う(2)--反戦運動、労働運動、市民運動の国際的な連帯の表明を--その1」に、touitusensenwoさんから、2つのコメントをいただきました。 「現在の労働者は…

朝日新聞にまたしてもびっくり--極端な二重姿勢は、社内外から言論の力を奪い、無気力を蔓延させる

「自由な報道による権力の監視は、民主社会を支える礎の一つである」 「権力と国民のコミュニケーションが多様化する時代だからこそ、事実を見極め、政治に透明性を求めるメディアの責任は、ますます重みを増している」 冒頭に引用したのは、2017年1月29日朝…

朝日新聞デジタルヘッドライン「南京事件に否定的な本 中国でホテル批判」にびっくり

ネット上に、朝日新聞デジタルヘッドラインというのがあります。その1月19日のヘッドラインに、「南京事件に否定的な本 中国でホテル批判」というのがありました。同じこの本のことを東京新聞の見出しでは、「南京虐殺否定の本」となっています。これだと意…

2017年の始めに思う(2)--反戦運動、労働運動、市民運動の国際的な連帯の表明を--その1

最初に少し脱線します。 咳が少し出るのが続くので、近所の耳鼻科に行きました。待っている間に、漫画が目に入って、適当に手にとると、<佐伯かよ>の『緋の稜線』第5巻で、惹き込まれていきました。作家も作品も全く知らなかったのですが、奥付を見ると、こ…

2017年の始めに思う(1)--反安倍ファシズム政権の運動を、「野党共闘」と呼ぶのはやめよう

また、少し忙しさでブローグをお休みしていました。忙しいといっても、個人的な事情で、ファシズム下の日常というのはこういうものと妙に納得します。 目の前のファシズム政権に反対して、私達ができることは、①選挙で反ファシズム勢力に投票すること、②デモ…

トランプ当選の意味(2)--現在の動き--ファッショ化への挑戦

イギリスのEU離脱では、離脱の旗をふった独立党党首のファラージが辞任(逃亡)するという茶番が起きました。ファシズム的な運動の中には、上から下まで、このような虚勢をはりたいだけの茶番的な人物達が混ざっていることは確かです。しかし、そのリーダー…

トランプ当選の意味(1)--過去をどう総括するか--新自由主義・グローバリズムの帰着点

少し忙しくて、ブローグをお休みしていました。その間の一番大きな事件は、アメリカ大統領選で、トランプが当選したことです。 新聞等に見る、何故トランプが勝利したかについての議論は、それぞれ理があるように思えます。 気になるのは、多くの場合、では…

「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(7)--”あかとんぼ”と”かながわ憲章”のこと

私が岡本太郎のことを取り上げたのは、日本文化・芸術における「怒り」の感情の正当な位置について論じたかったからです。ただ、今日も本論に入らず、回り道をします。 「あかとんぼ」という三木露風作詩・山田耕筰作曲の名曲があります。 この3番の歌詞は…

「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(6)--ボブ・ディランも日本に来るとこうなる

前回、ボブ・ディランをスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチと並べて議論しました。そうすることによって、スウェーデン・アカデミーが評価しようとしているものが、よりはっきりすると思ったからです。 私は、ロックやポピュラー音楽を知りませんので、ボ…

「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(5)--ノーベル賞は何を評価するのか?

昨日の朝刊に、ノーベル文学賞の発表がありました。そこで今回は、ノーベル賞受賞者を決定するスウェーデン・アカデミーは、何を評価するのか、という観点から議論します。 次回以降に、私達の日本の文化は何を評価するのか、ということにつなげていきます。…

「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(4)

[うんざりの2--来年公開予定の映画「サフラジェット」が・・・] チキささ‏@c_ssk #女性映画が日本に来るとこうなる 【未来を花束にして】原題:SUFFRAGETTE(婦人参政権論者) さて今話題の。僅かなトリミングで元のポスターより大人しい印象。「THE TI…