hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシズムとは?

 ファシズムとは何か、ということを遅ればせながら、書きます。そうすると、何故、統一戦線が必要か、ということもわかってきます。

 ファシズムというと、イメージとして、戦前の日本、言論の自由がなく、弾圧があって、教育も戦争賛成で、・・・、国民は不自由で暗い暮らし、というものかもしれません。

 でも、国民は不自由だったのでしょうか。不自由だと感じた人はどれぐらいいたのですか。弾圧された人はどれだけいたのですか。弾圧された人は、その家族も含めて数えても、国民の一割にも満たなかったのではないですか。

 ファシズムは、多数派を得るために、宣伝を重視します。そこでは嘘、詭弁がテクニークとして堂々と使用されます(テクニークという言葉がかわいそうですね)。そして通常、宣伝が功を奏して、選挙を通じて政権につきます。

 権力を一度手にすると、権力の源泉が国民にあるという民主主義の精神は全く無視し、権力という支配力を最大限に発揮します。これは、形式的には合法的です。

 ①マスコミを脅しによって手中に入れます。その肝要性をよく知っているからです。権力獲得以前からの宣伝重視の延長です。

 ②全権委任法や非常時大権法のような、さらに国家権力を最大強化する法律を制定します。

 ③国家と国家を支持するファシズム組織以外の社会組織、運動は、すべて無力化されます。意見をいっても無視されたり、あるいは弾圧されたりします。民間の会社も、ファシズムを支持すればもうかり、批判すると仕事ができなくなったりすることが露骨に行なわれます。

 ④国家の強制性、暴力性が表面化します。その点で、国家とファシズム組織の連携が支配において重要な役割を果たします。国家ができないこと(暴力や暴力的表現)を代わりにファシズム組織が行なうことで国家権力は、パワーアップします。後者は前者の庇護の下に、高揚感、解放感、パワー感を得ます。

 これがファシズムです。こう書くとずいぶん恐ろしい体制ですね。

 でも、想像してください。こういう体制ができていく途中で、何割の人が、自分は不自由だと感じるか。何割の人が、自分は暴力の対象にされていると感じるか。こういう体制が完成した後でも、何割に達する人が恐ろしい体制の中で生活していると自らを認識しようとするでしょうか。

(続)ファシズムとは?--その目的(役割)とイデオロギー

 前回のブローグで、言いたかったことの一つは、ファシズムは、ある程度民主主義が成立した社会で出てくるものだ、ということです。ファシズムは、民主主義では目指す国家や社会、目指す国家の行動や社会の行動が実現できないと考えるので、本質的に民主主義を敵視し、民主主義を破壊する体制--強権的な国家体制--を作っていきます。

 では、ファシズムは、何を目指してそうした強権的な国家をつくるのでしょうか。それは、戦争準備、戦争遂行です。ファシズムは、民主主義的な体制の下では、効果的、効率的な戦争準備、戦争遂行ができない、戦争準備、戦争遂行に専念できないと感じている勢力の運動であり、民主主義を破壊して、戦争準備を行ない、戦争を遂行します。

 従って、ファシズムイデオロギーは、排外主義的なナショナリズムであり、普遍性を持った民主主義や人権思想への憎悪に基づいたものとなります。

 ファシズム勢力の中と周りには、そうしたファシズムが目指す国家や社会において、あるいはそうした国家や社会の建設過程において、権力的、イデオロギー的、社会的なパワーを持つことを目指す人々・組織が群がっています。国家は戦争状態において、その権力性、暴力性を極大化して表現しますが、彼らは、そうした権力性、暴力性に志向し、惹かれる人々・組織とかなり重なっています。

 現在、自民党は、ファシズム党であり、ファシズム運動としては、ほとんどマスコミが報道しない神道系の宗教団体が重要です。ファシズム運動、ファシズム組織の効果、機能という観点から見るならば、例えば、朝日新聞の元記者の就職を妨害したマスコミ、電話やメール、脅迫状の類は、ファシズム運動としての重要な要素を構成していることを見逃してはならないでしょう。

 ファシズム勢力が、どんな戦争準備、どんな戦争遂行を考えているのか、については次回以降に議論します。