hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

私達の課題としての子供の権利

 昨日は、私の高校時代の「政治活動禁止」のことを話しました。

 次に、現在の話です。生徒の政治活動ではなくて、授業が問題にされたことが報道されています。

安保関連法案:山口の高校授業で模擬投票…県教委は問題視(毎日)「模擬投票は先月24日に2年生の『現代社会』の授業(45分間)であった。生徒たちは同22日の授業(同)で、教諭が配布した日経新聞朝日新聞の記事を参考に政府与党の見解や野党の

 

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生徒たちが自分の頭で考えて、仲間と意見を交わし合って議論して、その後で「どのグループの意見が一番説得力があったか」を生徒に判断させるというのは、民主主義のプロセスとして全く問題無い。選挙権引き下げに伴い、必要かつ有効な「思考と判断の訓練」とも言える。それを、山口県の浅原司県教育長

(続き)は全く尊重せず、逆に「問題視」「配慮が不足していた」「指導が不十分だった」と全否定する。生徒や教師が萎縮することを狙う「威圧」を、教育長が行う。「政治問題に意思表示しない」あるいは「政治問題に個人としての考えを持たない」のが「政治的中立」であるかのような錯覚を教えている。

 また、今回、選挙権を18歳以上の者が持つことになって、どう教育するかということが新聞記事などのテーマになっています。

 上の山口県の場合もそうですが、日本の教育が根本的に間違っているのは、まず、教育は子供・生徒の権利を満たすものである、という発想がないことです。

 それが無くて、「指導」という考えが来ます。 

 しかし、日本も批准している下の「こどもの権利条約」を見てください。

第12

  1. 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
  2. このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。

第13

  1. 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
  2. 1の権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
    1. 他の者の権利又は信用の尊重
    2. 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護

第14

  1. 締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。
  2. 締約国は、児童が1の権利を行使するに当たり、父母及び場合により法定保護者が児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利及び義務を尊重する。
  3. ・・・

第15

  1. 締約国は、結社の自由及び平和的な集会の自由についての児童の権利を認める。
  2. 1の権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。

 

 

 これだけ詳しく規定があります。

 直接に決定に関わる権利がないことを別とすれば、基本的に成人と同じ権利を持っているのです。

 教育は、こうしたすでに子供達が持っている権利を尊重すると共に、そうした権利を子供達が十全に自覚、発揮できるようにすることです。

 でも、日本の教育は、上の例のように、全く違いますね。

 政府や教育長が、先生や学校をコントロールし、実質的にこどもをコントロールします。君が代や日の丸の強制もこれです。

 そして、「政治問題に意思表示しない」あるいは「政治問題に個人としての考えを持たない」ように教育します。

 実はこれは、多くの親が子供に望むことでもあります。何故なら、社会に出た時、「政治問題に意思表示したり」あるいは「政治問題に個人としての考えを持ったり」すると、かえって特別視され、苦労するからです。

 つまり、社会も「政治問題に意思表示しない」あるいは「政治問題に個人としての考えを持たない」ことを望んでいます。

 あまりに権利と現実のギャップがありすぎますね。

 でも本当に、「政治問題に意思表示したり」あるいは「政治問題に個人としての考えを持ったり」すると、苦労するのでしょうか。

 「意思表示しない」「考えを持たない」ほうが、楽なのでしょうか。

 「意思表示しない」「考えを持たない」ことが、深刻な形で自分達に還ってくること、それはほんの70年前の歴史が教えていました。

 でもその歴史をかなり忘れかけていたのです。

 ファシズム政権は、それを思い出させてくれました。

 歴史を真剣に受け止めることによって、子供達の権利を真剣に尊重すること、そのための教育を実現することが真剣に追求されるようになるでしょう。

 ファシズム政権は、70年前から積み残っている課題を、子供の権利という形でも、私達に提起しているように思います。