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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシズム台頭の背景(2)--第一次大戦後の場合

 国際的な経済・政治競争、対立、ブロック化、等は、そのまま軍事的な競争、対立になるわけではありません。また、軍事的競争、対立、ブロック化が、そのままファシズムをもたらしたり、ファシズムの下で行なわれるわけではありません。

 競争、対立、ブロック化という力学の中で、重要なのは、国内的・国際的に、平和勢力、民主主義勢力が、歴史的経験を経ながら、育って来たことです。競争、対立、ブロック化が軍事的なものになるのを防いだり、戦争となるのを防いだりする重要な要素となってきたのです。

 第1次、第2次大戦とより大規模で、近代化された装備による戦争は、犠牲者も飛躍的に増やしました。それは、民衆レベルの反戦感情を根強いものとし、反戦運動反戦勢力を拡大しました。こうした状況の中で、多くの国々の指導者も、戦争を避けた方が良い、そのほうが国民の支持を得ることができる、という感覚を持ち、さらに国際的な合意を作り出してきました。国際連盟国際連合は、そうした方向の現れです。

 ところが、こうした反戦、民主主義と全く逆の流れが出てきました。それがファシズムです。彼らは、第1次大戦後や第2次大戦後にできた、上記で述べたような「戦後秩序」に不満、怨念を抱きつつ、直面する新しい競争、対立、ブロック化という事態に対処しようとします。

 まず、第1次大戦後を見ましょう。ドイツ国民は、パリ講和会議において負わされた膨大な賠償金を重荷だと感じていました。また、ドイツ、イタリア、日本の同盟3国(後進資本主義国)は、「軍縮によって、自分達の軍備が制限されるのを不当だ」「先進資本主義国と同様に自分達も植民地を持つ権利があるのに、それを持てないのは不当だ」と考えていました。

 ファシズムは、パリ講和会議以降の「国際戦後秩序」は、勝者によって押しつけられた不当なものだ、という信念(怨念)を持ちます。そして宣伝によって、国民の中にもその不満、不当感を拡大し、あおります。

 彼らは、力(武力)の信奉者であり、力が「正義」です。自分たちが不当な扱いを受けたのは負けた(あるいは武力が不足している)からであって、正当なる扱いを取り戻す(「正義」を回復する)には、力(武力)を持って、勝利するしかない、と考えています。こうした考え方も、同時に、宣伝によって国民の中に拡大します。

 ファシズムは、出発点においては民主主義の外形を装っています。しかし、権力を制限しようとする民主主義や平和を希求する反戦運動は本来的な敵です。特に、国内におけるそのような勢力は、激しい憎悪の対象となります。

 民主主義的な制度が、実際に、様々な勢力が自由な議論や活動を通じて影響を及ぼすという制度として機能するならば、それは廃止されるか骨抜きとなります。彼らは、力の信奉者として、まず、宣伝の力を最大限に利用し、続いて、権力につくとその権力を最大限に利用します。力の信奉者として、民主主義がある限り、宣伝の力が一時的でしかないことをよく知っているからです。逮捕、投獄などの物理的な弾圧がさらに進みます。

 しかし、ファシズム政権が民主主義を破壊することの意味は、国際的観点、世界史的な観点からより掴むことができるでしょう。これらの国では、民主主義やそれなりの議会制度があって、それらがあっては、戦争を準備、実行、拡大することが困難でした。ファシズム政権は、既存のものに代わる「新しい秩序の形成」を目指して、それは武力による勝利のみによって実現するという信念がありましたが、それを実施するには、民主主義を実質的に破壊することが必要だったのです。

 こうして、第1次世界大戦後の平和希求の動き、国際秩序形成、経済不況、競争激化、世界のブロック化、といった流れの中で、ファシズムの支配によるドイツ、イタリア、日本のファシズムブロックが形成されていくことと、国内での民主主義破壊が進んだことは一体となって進んだのです。