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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「天皇問題」の実践的重要性

 21日付けのブローグへのコメントで天皇の行動の評価について質問がありました。前にも記した通り、このブローグは、友人の友人の範囲を想定していますので、気楽に、質問、ご意見ください。

 象徴天皇制の問題は、統一戦線を形成する上で重要な実践的問題であり、したがってまた重要な理論的問題です。今回は、私の持っている答を述べるのではなく、何でこの問題が重要なのかを説明します。

 天皇の慰霊について、「天皇の気持ちは分かるが、ああいう行動は安倍政権に有利に働くだろう」「慈悲深く素晴らしい天皇というイメージを人々に与えるから」という言い方は、原則的な立場を表明しているようですが、実際のところは、非実践的な評論です。

 では、天皇に何と言いますか?「政治的行為だから、慰霊は止めなさい」というのでしょうか。それがだめなら、マスコミに「報道するな」というのですか。それとも、「どうしようもないが、我々だけは無視することにしよう」ということになるのでしょうか。

 慰霊は確かに利用されやすいですね。では、東北への地震被害者への見舞いはどうでしょうか。これも「止めろ」と言いますか?「憲法に明記されたこと以外は一切やってはだめ」と言いますか。誕生日等のメッセージはどうですか?あるいは、「慈悲深く素晴らしい天皇というイメージを持たされた人々」と連帯の可能性はないのですか?

 私も、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯する等と言いながら、少し意地悪な言い方をしますが、「あなたの気持ちはわかるが、私はどう行動したらいいかわかりません」「感情を共有すればいいのですか」ということになりますね。

 私達は現在、君が代、日の丸の押し付けや天皇の政治的行為という憲法違反に対しては、批判、対決すべきである、という姿勢を一貫させています。しかし、それ以外の「天皇問題」はなるべく「ふた」をしておこう、という「方針」を持っていて、理論的検討は、ほとんどしていないように思います。それが実践的に正しい、原則的な態度でしょうか?

 過半数の有権者を味方とすることを視野に入れるならば、上記の問はすべて理論的かつ実践的な問題ではないでしょうか。

 あるいは、私達自身が戦後70年をどう総括するか、という問題において象徴天皇制の問題は避けられません。そして、その総括の上に私達の行動があるべきではないでしょうか。

 海外での報道でも、安部首相の言動と対比するような形で、皇室の言動や写真が掲げられたものを見かけます。このようなものがどのくらいあるのかは、わかりませんが、特に戦後70年である現在、世界史の中で日本を見るような眼を持つ人々にとって、このような対比が現れてくるのは、事実の反映で自然なことだと思います。感情論から距離を置くためには、そうした外からの目も役立ちます。

 もちろん問題は、外国の報道機関にどう理解してもらうか、と言うことではありません。私達自身が、感情のレベルから、理論、歴史的視野を持って、行動のレベルに議論を広げなければならない、と言うことです。

 この問題は、答を探っていくうちに、さらに非常に根が深い重要なものであることが、明らかになってきます。今日はすでに長くなったので、それは次回以降にします。