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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

統一戦線の論理と緊急的必要性(効用)--伊勢崎氏インタビューから考える

 5月23日(土)の東京新聞で、東京外国語大大学院の伊勢崎賢治教授のインタビュー記事が載っています。

 氏の議論をほんの一部ですが、紹介した上で、私は、統一戦線の緊急的必要性と効用を議論したいと思います。

熊倉)安倍晋三政権は憲法解釈を変更し集団的自衛権行使容認をはじめとする新しい安全保障法制関連法案を国会に提出しました。国連平和維持活動(PKO)拡大のため自衛隊の武器使用基準も緩和しようとしています。日本人が戦闘に巻き込まれる危険は増すのでしょうか。

伊勢崎)日本が米国と一緒に戦争をしたり、徴兵制になるようなことはないと思います。心配なのは、PKOに派遣された自衛隊が戦闘し、発砲などで事故を起こすことです。

  伊勢崎氏は、PKOについて経験があり、その専門家で、この後、具体的にPKOでの危険性を次のように指摘しています。

コンゴ(旧ザイール)で、四十もの武装勢力が台頭し、この十年間で約二百万人が死亡する、今世紀最大とも言うべき人道危機が起きました。国連安全保障理事会は二〇一三年、反政府勢力の船脚を目的に介入旅団の創設を認めました。こんな場所に自衛隊が派遣されたらどうなるか。停戦が破られても撤退できません。引きこもっていても住民が助けを求めて逃げ込んでくるかもしれない。保護しなかったら、批判されるだけでなく提訴される可能性もある。

 そして、氏の結論は次の通りです。

日本の果たすべき役割は非武装貢献です。領土のせめぎ合いには妥協点があるはずです。妥協すれば停戦監視のニーズが生まれます。そこへ非武装の自衛隊を送って停戦監視し、いい社会をつくり、現地の被害者意識をなくす手伝いをする。軍事力は必要ありません。

 明らかに、今、私が反戦争法のために連帯させていただきたい一人です。

 ただ、私の見方をいえば、伊勢崎氏と違い、次のようになります。

 ①国民の間で一番抵抗の少ない国際貢献としてのPKO自衛隊を出すことから始め、犠牲者を出す。国民を犠牲者を出すことに「慣らす」。靖国神社に祀る。批判者を「非国民」にする。

 ②米国の戦争に参加し、戦争、犠牲者を出すことにさらに「慣らす」。自衛隊が軍であることが事実として受け入れざるを得なくする。靖国神社に祀る。批判者をさらに「非国民」にする。

 ③完全に軍隊化した自衛隊を、政府が犠牲者が出ることを当然として「自由に」動かす。靖国神社に祀る。批判者をさらに、さらに「非国民」にする。

 伊勢崎氏の議論は、①だけに焦点を当て、②③はない(「日本が米国と一緒に戦争をしたり」することはない)だろうと予測しているのです。

 でも私にとって重要なのは、そうした伊勢崎氏との違いがあるにせよ、お互いが信頼感を持って、今提出されている戦争法制案に一緒に反対できるだろう、ということです。

 私にとって、分析的に議論することの重要性は、私が「確信を持ちながら、意見が違う人とも一緒に行動していく」ためであって、「意見が違う人とは一緒にやらない理由」を作り出すためではありません。こういう意味で、意見の違いを保留しながら、行動において一致していく、という統一戦線の論理を大切にしたいと思います。

 統一戦線に関して、以上のことを前提としながら、もう一つ伊勢崎氏のインタビューを読みながら、痛切に感じたことを言います。

 今、安倍ファシズム政権に反対する運動(統一戦線運動)の「大きな旗」が必要だということです。

 この「大きな旗」は、様々な場面で、問題の大きな構図、大局というものを、自他に示してくれ、その下での団結をしやすくするものとなるでしょう。以下で4つの場面を例示します。

 第1の場面は、そのような「旗」--特定の党派、組織の集合ではなく、多様な多くの人々が結集するものだ、ということが明確な組織--があれば、さらに多くの人がそこに結集しやすくなるということです。

 第2の場面は、それがあることによって、意見・立場の多様性が強みとなる、ということです。仮にこの「大きな旗」がすでにあったとします。伊勢崎氏のような方が積極的にその「旗」の下に集まっていただけるようなものを想定しましょう。その場合、伊勢崎氏が「日本が米国と一緒に戦争をしたり、徴兵制になるようなことはないと思います」と述べていることは、運動の力を弱めるものではありません。多様な意見の方々が、現在の戦争法制案の危険性を指摘し、行動に立ち上がっている、伊勢崎氏もその一人である、つまり、肝心の大筋がはっきりしているわけです。その上での、多様性はむしろ運動の強みとなるでしょう。

 第3の場面、非常に重要な場面での効果を指摘します。それは、マスコミでの存在感、ということです。現在は、与党vs野党とか、「改憲」vs「護憲」というような形式的な基準が報道がなされています。維新の党が野党となり、憲法破壊が「改憲」扱いされるわけです。これは問題の構図を混乱させ、人々の問題認識を混乱させます。混乱させるだけでなく、本来国民の多数の声にあたる部分は、ほとんど報道されない、という状態を許しています。この「旗」が少しずつでも大きくなっていけば、報道もこれに注目せざるを得なくなるでしょう。

 第4の場面は、選挙です。民主主義社会では、なんといってもこれが重要で、これ抜きでは画竜点睛に欠けるというものです。もっとも、この点にかかわるからこそ、実際には統一戦線ができない、と思われます。

 第4点については、次回以降に議論します。