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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシズム政権と呼ぶ理由(補)--正しいレッテル貼りの重要性

 以前のブローグで、議会や選挙が機能しているのに、ファシズムと呼べるのか、という論点を残しておきました。

 レッテル貼りを止めろ、という言い方があります。しかし、私は、十分な分析、思考の後に、ものごとの本質を示すわかりやすいレッテルをはるべきだと思います。そして、さらに議論を進めていく、というのが生産的なやり方だと思います。

 「積極的平和主義」「国際平和支援」とかのトンデモ・レッテルに抗して、権力者の嘘のレッテルや騙しのレッテルを剥がして、正しいレッテルに代えるのは、一人一人の仕事であり、ジャーナリズムの仕事であり、研究者の仕事です。

 私は社会科学の研究者なので、その立場から、安倍政権ファシズム政権と呼ぶべきかについて考えた上で、そう呼ぶべきだと結論を出しました。私達、私達の子供達以降の何世代にもおよび非常に重要な実践的問題を扱うのに、最も本質的、適切なレッテル、私にも他の人にもわかりやすいレッテルと判断しました。

 このブローグは、家族の友人、友人の友人を中心に想定して始め、実践的なことを論じようと思っていましたが、やはり、書いていると、実践と理論とは切り離せない、ということを強く感じます。

 安倍政権ファシズム政権だと呼ぶ人々が広がらないのは、冒頭で述べたような、「議会や選挙が機能しているのに、ファシズムと呼べるのか」という疑問がかなりある、ということも一因だと思います。

 私は、別の機会により詳しく説明しますが、「歴史構造主義」という立場から、そうした問題を見ようと思います。そこでは、形式的な機能ではなく、実質的な機能に注目します。

 議会や選挙は、国民と国家の関係において、国民の主権性に実体を与える装置です。

 国民の知る権利は、基本的人権の一つですが、それは国民と国家の関係において、国民の主権性を保証するために不可欠の重要性を持つものです。

 秘密保護法制定時に議会(の与党多数派)が行なったことは、第1に、議会による行政権の監視という権限を自ら放棄し、第2に、国家が無制限に国民の知る権利を犯すことを容認したということです。

 つまりこれは、国家と一体化した議会の与党多数派による、国民に対するクーデターというべきものだと考えます。これを機に、議会の与党多数派は、明白に、大政翼賛会化しました。公明党の翼賛会化の姿はわかりやすいですが、自民党内でも同じ力学が働いていることを見逃してはなりません。

 彼らは、それ以来、憲法に違反するような重要問題について、無条件で国家に追従する勢力として機能しています。

 安倍首相は、アメリカ議会において、戦争法案をこの夏までに通過させることを約束しました。また、10にのぼる異なった戦争関連法の修正などを一括法案として、提出しています。これらは、いずれも議会の立法権限を無視、愚弄するものです。少し前であったなら、与党といえども例えば議長名で抗議するなど、議会が最低限の反発を示すのが普通だったでしょう。今は、全くその可能性すら考慮せずに、安倍首相は「自由」にふるまうことがあたりまえになってしまったのです。

 議会は、国民の主権性を実質化するものとして機能していないのです。

 私達国民の主権を本当に取り戻すには、声を上げ、街頭に出て、集会に参加し、議会に圧力をかけ、議会を議会らしいものとし、さらに「ストップ・ザ・アベ」のスローガンの下に、選挙でも勝利していく必要があります。