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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

国家と国民--2013年、2014年の皇后の発言

 今、国会の集団自衛権の議論に集中すべきと思うのですが、今日は一休みします。

  一昨日の東京新聞(6月1日)に、五日市憲法に関する記事が出ていました。明治憲法以前に多摩五日市(現あきる野市)で民間の人々が作った憲法案です。

  この憲法案は、東京経済大学色川大吉という先生とそのゼミ生達によって、1968年(明治元年から100年後)になされました。私も昔から多摩が生活圏のせいで、何となくその発見の経緯や憲法作成の背景、その中身に関心、親しみを覚えています。

  それで、昔このブローグのために書きかけたものを思い出しました。

  引用が主なので、少し長くなります。

  論評も少しだけしてありますが、天皇制論に踏み込んだものではありません。

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  最近、皇室から憲法や戦争に関する発言が続いている。それは、安部政権の方向性に対する危機感を表明したものと考える。このことについて多くの論者が触れており、私も新聞やそうした論者に触発されて、宮内庁のサイトで皇室の発言を見直して、強い印象を受けた。一般に、多くの情報を忙しく集めて次々と最新の話題を追うよりも、ゆっくりと考えることが重要であると思う。そうした考えに基づいて、皇室の発言を取り上げたい。いくつかを以下で引用し、コメントする。

  まず、最初は、2013年10月の皇后の79歳の誕生日のメッセージである(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html)。これについては、水島朝穂氏のサイトでも触れられている(http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/1111.html)。

 

問1 東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが,なお課題は山積です。一方で,皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの1年,印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。

 

皇后陛下

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  5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

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  この1年も多くの親しい方たちが亡くなりました。阪神淡路大震災の時の日本看護協会会長・見藤隆子さん,暮しの手帖を創刊された大橋鎮子さん,日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん,映像の世界で大きな貢献をされた高野悦子さん等,私の少し前を歩いておられた方々を失い,改めてその御生涯と,生き抜かれた時代を思っています。

 

    質問では、全く触れられていない憲法の話、明治憲法に先立った自由民権運動に連なる「五日市憲法草案」のことが、分量的にも内容的にも、形式的な回答ではあり得ない、まさに皇后にとって「印象に残る」ものとして語られている。

  政府の秘密保護法案の閣議決定が2013年10月25日、この回答が直前の10月20日の誕生日ということを考えると、そこにあるメッセージ性を強く感ずる。

  しかも、こうした皇后の意見は、近頃の新聞記事だけを見ていてというものではなく、彼女の長い人生、精神形成に根ざした深いものであることは、次に引用する、2014年の誕生日の質問と回答をからも推察できる(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h26sk.html)。

 

問2 皇后さまは天皇陛下とともに国内外で慰霊の旅を続けて来られました。戦争を知らない世代が増えているなかで,来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。

 

皇后陛下

 今年8月に欧州では第一次大戦開戦から100年の式典が行われました。第一次,第二次と2度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い,共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。

  私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。

 戦後の日々,私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが,戦中戦後の記憶は,消し去るには強く,たしか以前にもお話ししておりますが,私はその後,自分がある区切りの年齢に達する都度,戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか,と思いを巡らすことがよくありました。

 まだ若い東宮妃であった頃,当時の東宮大夫から,著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で,中でも,帰国への期待をつのらせる中,今年も早蕨さわらびが羊歯しだになって春が過ぎていくという一首が特に悲しく,この時以来,抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと,その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に,心を向けるようになりました。

 

  ここで取り上げた回答において、第2段落は、極めて重要な意味を持っている。この回答の第1段落は、世界中の何らかの意味でのリーダーが語る言葉としては、特段のものとは思えない。また第3段落は、第4段落のシベリア抑留の問題への言及を準備している。この二つの段落だけならば、同年代の人々の様々な人生を思うという、やはり特段の話ではないとも言える。しかし、第2段落の存在が、他の3つの段落で語られる思いの光彩を全く異なるものとしている。

  第2段落は、多感な少女期に体験したこと、戦犯の処刑という判決によって、国家と国民という構図が、何か直感的に突きつけられるものとなったこと、それが今も忘れられないことを率直に語っている。そこでは、当然のことながら「終戦」ではなく「敗戦」の語が、段落全体の自然な緊張感を支える一部として用いられている。

  80歳の現在、こうした思いを語るということ自体が、国家と国民という問題設定の構図を、この原体験とともに自分の中で維持してきたこと、それが現時点でも異例の切実性を持っていることを意味しよう。

  しかしそれは、仮に民間の立場のままでいたとした時にあり得るような原体験への執着、固着とも質的に異なるものであることに注意すべきであろう。

  皇后は、民間から初めて皇室に入った人間であり、彼女の立場故にあたかも原体験が時間軸の方向へ立体化されたかのような感覚のように思われる。第1段落で語られた国際平和構築への感動は、こうした思いを持つ人間によるものであったのである。前年の誕生日の際の五日市憲法草案への言及も、こうした思いと直結していると理解できよう。

  しかし、直接の言及はないが、2つの発言を通じて皇后が一番の伝えたいメッセージは、現在の平和憲法--国民は、2度と国家の誤りによって戦争に引き込まれない権利を持つ--こんなすばらしい憲法を手放してはいけない、ということではないだろうか。

  私はそう読む。