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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

安倍ファシズム政権の危険性を感じた時--いく人かの実例

 国会で参考人として呼ばれた3人の憲法学者が、そろって戦争法案を違憲と断定したことが報じられています。やはり、基本、根本というもの、すなわち憲法が、歴史的緊急時に議論の戻るべくして戻る場所となりますね。

 ところで今日のブローグは、私たちとは異なった立場からも様々な人が、安倍ファシズム政権の危険性を感じつつあること、それを態度、行動に表しつつあることを、批判的に見ておきたいと思います。

 長谷部恭男氏は上記の参考人の一人(与党推薦)で、過去に秘密保護法を推進した人です。澤藤氏は、今度の態度について「研究者としての信念を持っていると見直さざるを得ないhttp://article9.jp/wordpress/ (2015年6月4日)」と言っていますが、違うと感じます。

 長谷部氏は、秘密保護法では、私が前に指摘したファシズム勢力の第一グループ(官僚・大資本)を支援することを自分の経歴上のプラスと感じていたのでしょう。そして、安倍政権ファシズムぶりをあまく見ていたのです。ところが、この秘密保護法が成立して以来のファシズムの怒濤の前進を見て、自分の果たした役割が歴史的、世界史的な汚名とともに永遠に記録されること、それが国会という誰もが見ていて言い逃れを許されない場において記録されること、それを、さすがに認めることはできなかったというべきでしょう。

 私は、政界あるいは御用学者界というものに関心がなかったので、一人一人について、個人史的に追跡しているわけではありません。しかし、秘密保護法成立以来、政権に協力的な立場にあったその他の人々の中でも、少しずつ変化(非常に微妙なものも含めて)があるように感じます。

 長谷部氏に続いてすぐ思いつくのが舛添都知事です。彼の場合、秘密保護法成立後に自民党の支持を得て知事になったものの、かなりの始めより、おれは安倍とは違うよ、という態度を示してきて、今やオリンピックの国立競技場問題では、こんな連中とは一緒にやっておれんよ、という感じです。彼の場合は「変化」というより、地がすぐに出たといってもよいかもしれません。都知事選でも、極右の票は、田母神俊雄候補へ行ったわけで、その支持を必要としないことも関係ありますね。   

 それから、佐々木毅という政治学者がいます。東大総長も務めた人で、1994年の小選挙区制導入を推進し、2014年7月より、選挙制度調査会の座長もしています。

 彼は、東京新聞に月に1回ぐらいのペースで「時代を読む」というコラムを担当しています。

  その2013年12月1日付けで、この年を回顧した「回顧と予感」では、成立したばかりの秘密保護法について、最後に、次のようなつけたりをしています。

 [来年に向けて注目したいことの一つは]特定秘密保護法案をめぐって政権・政府とメディアとの緊張関係が久しくなかったレベルにまで高まったことである。これは将来にわたって、予測しがたい波乱要素になる可能性を秘めている。

 これは、「時代を読む」というより、いわゆるKY、「空気を読む」というやつですね。「来年もまた空気を読みたい」というわけです。こういう姿勢の人が、第三者機関と称する選挙制度調査会の座長に任命されることになります。

 それでも、2015年5月24日付けのコラム「安保法制と外交力」では、これから行なわれる国会での戦争法案審議を前にして、次のように述べています。

 ここに日本の外交力の実態が浮かび上がる。先の十三兆円や安保法制は、外交力不足を資金や人員でカバーする伝統を一歩も出ない。今回の安保法制論議が分かり難いのは、個別的自衛権なら持ち得た具体性から自衛隊の活動を解き放つことで「どこへ向かうのか」という形で外交への問いがあらためて提起され、これに対して積極的平和主義だけでは十分な答えにならない点に起因しているように見える。国会では法制度をめぐる議論も歓迎するが、外交戦略を踏まえた議論も期待したい。

 ここでは、論点を外交力という方向に逸らしつつ、実質は、やはりKY路線を踏襲しているようです。

 ただ、「積極的平和主義だけでは十分な答えにならない」等と、わずかに批判者ぶっているところは、露骨なKY路線では、最近の露骨な安倍ファシズムと一緒にされてしまう、という警戒心が無意識的にでも現れてきたようにも思えます。

 安倍ファシズム政権の危険性を感じた時、どのような態度、行動をとるのか。政治家や「研究者」の実例を見ました。

 私達も、同様に試されていると思います。