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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「洗脳」によるファシズム政権の侵略戦争正当化戦略と公明党の協力--「存立危機事態」の因数分解から見えること

 先日のブローグへのコメントで、他国、あるいは自国への武力攻撃がない場合、「自国への武力攻撃の恐れもないのに、『わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険』を理由に武力行使に踏み切ることができるとは、解釈できないのではないですか?」という質問をいただきました。

 その通りです。そのような武力行使は、明らかに国際法違反です。

 私の主張は、「武力行使」ではなく、「自衛隊出動」です。つまり、「わが国と密接な関係にある他国、あるいはわが国への武力攻撃がない場合でも、『わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険』を理由に自衛隊を出動できる」という解釈、運用をするに至るだろう、少なくともそれが「本来的なあり方である」としてそのように明記した法改正の方向を正当化するだろう、というものです。

 そしてそれは、公明党の協力を通じた、安倍ファシズム政権による侵略戦争正当化のための、人々に対する「洗脳」戦略に対応した成果でもあるのです。

 以下に説明します。

 

(防衛出動)

七六条一項 首相は次に掲げる事態に際し、わが国を防衛するため必要がある場合、自衛隊の出動を命ずることができる。  

一 ①わが国への外部からの武力攻撃が発生した事態、②武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められる事態。   

二 ③わが国と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、④これにより⑤わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。

 

 まず、議論を分かりやすくするため、適宜分割して番号を振りました。二は、いわゆる「存立危機事態」の第1要件と呼ばれるものですが、これによって、それが③④⑤へと「因数分解」されました。

 私の主張は、政府の運用または法改正の方向が、上記の一の②の後に、二の⑤が加えられる(コピペされる)ものとなる、というものです。

 この一に新しく加えたものを⑤’と書くことにします。①は、国際法上、武力行使が許され、②では、出動は許されますが、武力行使は許されません。⑤’による出動は、国際法上かなり疑問があるように思いますが、それ自体即違反とはいえないかもしれません。

 一では、⑤’は、自衛隊出動を正当化する理由になっており、二では、④⑤が集団的自衛権発動の範囲を限定するものとなっています。

 この④⑤は、公明党によって加えられたものです。それが実質的に制限になっていない、ということが批判されてきたのです。私もその批判に賛成です。

 しかし、問題はそれだけではありません。それどころか、この④⑤が加えられたことによって、人々の間に、意識しないうちに、⑤による自衛隊出動を正当化する「洗脳」が行なわれ、その方向での運用や改正が行なわれ得るようになっていくのです。

 まず⑤自体は、むしろ個別的自衛権に強く関連する内容を持っており、まさにそれは、ファシストが願望する戦争の正当化(戦前の戦争の正当化、これから起こす戦争の正当化)の論理(口実として都合よく用いられる)を表していることに注意すべきです。

 ⑤が、個別的自衛権に強く関連する内容を持っているということは明らかでしょう。例えば、憲法学者木村草太氏は、⑤を「日本の存立が脅かされる事態とはどんなものか。それは日本の主権が侵害されている場合です。主権侵害とは、日本への武力攻撃のこと・・・」と勝手に解釈しています(以下は、水島朝穂氏が指摘、批判していることです)。つまり木村氏は、⑤をむしろ個別的自衛権を成立させる要件として理解するのです。従って、彼によると、③かつ④かつ⑤の事態とは、個別的自衛権集団的自衛権も両方が成立している状態であり、言い方をかえて集団的自衛権発動についてみれば、それは、個別的自衛権が成立する範囲に限定されたことになります。水島氏が批判するように、公明党の犯罪的役割を擁護しているわけです。

 ⑤’を一に加えること(⑤’を個別的自衛権の正当化の根拠とすること)は、それが武力行使でなく、出動に止まるとしても、国際法上は非常に問題があるでしょう。また国内的にも、いきなり自衛権を正当化する論理として⑤が出てくれば、とんでもないものとして大きな批判を受けたはずです。

 ところが、集団的自衛権をテーマとして、その制限という形で⑤を堂々と出すことができたわけです。そして、法の条文として一度成立すれば、次には、それまでの議論での言葉への慣れやその法の文面への慣れを前提に、⑤’として一に加えようとすること、あるいはそのように運用しようとすることは、より容易になるでしょう。

 私は、こうした流れは、意図的、計画的につくれらているものだと思います。

 この間、この「存立危機事態」の第1要件の内容③④⑤は、戦争法案をめぐる報道によって、反対者による言及も含めて散々流布されました。本当は、それは③④⑤をセットとしたものです。しかし、疲れて仕事を終えて家に帰ってニュースを見聞きする勤労大衆の内、そのようなセットを意識して記憶する人はどのくらいいるでしょうか。頭に残るのは、⑤は自衛権を正当化する、というようなことではないでしょうか。

 つまり、この間の議論は、本当は③④⑤をセットとした集団自衛権に関するものだったはずですが、多くの人々は、⑤は、自衛権を正当化するものだ、と洗脳されていくのです。

 こうした宣伝戦略は、恐ろしいまでに効果的であり、私は、それは広報のコンサルタントによるプロフェッショナルな支援を受けたものと推察しています。ファシズムへの協力において、官僚ばかりでなく、民間も重要な役割を果たすのです。このような形で直接ファシストたちに協力する人々は、例え形式は、単なる商取引だとしても、倫理的な批判は逃れられないと思います。

 ⑤の理由による個別自衛権発動は、武力攻撃まで行かず出動に止まるとしても、国際法上、問題があるように思います。しかし、ファシズム政権にとってまず重要なのは、国内の人々を洗脳し、その支持を得ることです。国際法を正面から破るのはまずいが、そうでなければどうにでもなると考えているのです。

 また自衛隊出動が実際になされた場合、秘密保護法によって、自衛隊出動が②に該当してなされたのか、⑤'に該当してなされたかは、秘密にされるでしょう。仮にそれが、運用によって⑤'という恣意的な理由付加によってなされたとしても、それに対する批判を、さしあたっては(場合によっては永遠に)避けることができるからです。

 そもそも、戦争関係は、すべて秘密になるでしょうから、自衛隊出動がなされたということ自体、たとえそれが衆知の事でも、秘密指定がなされるため、公的文書によってそれに関するデータを得ることは、不可能になると考えたほうがよいと思います。

 公明党は犯罪的な役割を果たし続けてきました。歴史によって断罪されることは明らかだと思います。戦前の戸田会長がファシズムの犠牲者であったのに、何という歴史の皮肉でしょうか。