hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

(続)深く響く音

 安倍政権が、戦争を平和と言い換えていることは、ダブルスピークとして強く批判されています。真逆のことを平然と語るわけです。

 単に2重基準を用いる、とか本来の言葉の意味と反対のことに言葉を悪用する、とかいうことを超えた醜悪さを感じます。

 昨日のブローグで書いたバンドン会議より3カ月前の2015年1月19日のことです。イスラエルに訪問した安倍首相は、ホロコースト記念館視察を行い、杉原千畝に言及し、「彼らの勇気に私たちは習いたい。こうした日本人がいたことを私は誇りに思う」と述べたそうです。

 杉原千畝氏は、戦前リトアニア領事代理であった時、多くのユダヤ人にビザを発行して、ナチスの魔手から命を救ったことで知られています。私達が誇るべき人物です。しかし、外務省は、戦後長い間、杉原氏を訓令違反として冷遇し、その名誉回復を行なったのは、以下の通り、何と2000年になってからのことです。その時の外務大臣が、河野談話河野洋平氏であったことはさもありなんです。そうでもなければ、永遠に名誉回復はなかったでしょう。

これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。

 

— 2000年10月10日の河野洋平外務大臣による演説

 これは、ウィキペディアからの引用です。ウィキペディアは、玉石混交ですが、この項目はとても丁寧な内容です。関心がある方は是非ごらんください。

 

 さて、今回の訪米の2日目、2015年4月27日、また安倍首相は、ワシントンのホロコースト記念博物館を訪れ、次のように述べています。「・・・本日はまた、人間の善意についての希望を思い起こさせてくれる、特別な出会いがありました。リトアニア杉原千畝が発給したビザによって命を助けられた人々との面会です。一人の勇気ある行動が、何千という尊い命を救うことができました。そして、彼のビザで日本に向かったユダヤ難民を助けた日本の人々も少なからずいました。・・」

 

 2日前、2015年の6月17日、国会の党首討論で、共産党の志位委員長が、「後方支援」なる概念に関して、「国際法上の概念があるのか」と質問したのに対し、「憲法との関係において整理した概念だ」と応えています。

 その日の私のブローグで、安倍政権によって、「国民の生命、自由、幸福追求の権利」が、自衛権発動の口実とされることについて論じました。

 ここでは、憲法やその中心的な精神が、利用されています。

 河野談話の破壊を目指すファシストが杉原氏を利用し、憲法破壊を目指すファシスト憲法を利用し、平和をあざ笑うファシストが平和主義を「積極平和主義」として利用する--なんとも醜悪としかいえません。

 私達は、これを許さない、深く響く音を、統一戦線として高らかに共鳴させていかなければなりません。