潜在的な統一戦線について(1)
民主主義の要は、2つあります。一つは、選挙であり、もう一つは、デモ、集会等の直接意思表示です。
選挙は、通常のマスコミの報道や生活の中で形成された民意を反映させます。
デモや集会の参加は、いわばライブとして、特定の大きいテーマに関して政治生活へ参加することであり、そのテーマに関する国家と市民の意志形成過程を活性化させます。
音楽やスポーツにおけるライブ・ファンと同様に、デモ、集会参加者は、民主主義政治におけるライブ参加者であり、為政者や議員に直接影響を与え、さらに、他の有権者にも民主主義のあり方や大きなテーマに関する論点の深い理解に影響を与えます。
生き生きとした民主主義、高い質の民主主義は、ライブ参加者が存在することのみによって実現できます。
しかし同時に、ライブに来ない有権者を含めた、選挙というものも、極めて大切です。先に述べたようなライブ参加者の存在意義は、ライブ参加によって、為政者、議員、有権者に影響をもたらし、それを通じて生き生きとした民主主義、高い質の民主主義に貢献することにあるのですから、それは当然でしょう。
例えば、音楽のバンドで、オレだけが本当のファンで、ライブに来たことがないような奴は、そのバンドをわかってない、というようなことをいうなら、独善の自己満足でしかありません。
現在、選挙のことが非常に重要になってきていると思います。今年中に衆議院解散の可能性もありますし、確実に来年には参議院選があります。
反ファシズム勢力は、これらの選挙で絶対勝つ必要があります。だからそのための方策が必要です。
現在、国民の多数派が戦争法案に反対しており、学者、文化人、自民党の元重鎮達を含めた政界でも反対の表明が広がってきました。市民団体、労組等の反対活動も活発化しており、国会内では、共産党、社民党、山本太郎と生活の党、民主党が反対の姿勢を継続しています(維新は、どうなるかわかりません)。
マスコミは、大新聞については、産経、読売、日経が戦争法案賛成、それ以外が反対(に好意的)といって良いでしょう。
もっと、個人や団体による戦争法案反対の意思表示がなされ、それが報道されれば、私達はさらに有利になるでしょう。
客観的に見て、大きな構図としては、戦争法案反対派、安倍ファシズム政権反対派にとって、最大限有利な条件が整いつつあります。
学者、文化人、保守派、マスコミといった、普段声明を発したり意思表示しない人々が、反ファシズムの立場に立つことを明確化させつつあるわけです。
私は、こうした情勢と運動の底には、戦争法案反対の意思だけでなく、さらに反対を実現するための選挙における政治的統一行動、統一組織を求める願望が潜在していると思います。この願望は、私の願望であり、私達の友人達の願望です。
私は、先に述べたような客観的な情勢、人々の統一を求める願望の広範な存在を、潜在的な統一戦線が存在する状態、と呼びたいと思います。
つまり私は、潜在的な意味では、すでに統一戦線が存在している、と考えています。
潜在的な統一戦線が、顕在化して現実の統一戦線になるには、政治的指導者達が鍵です。彼らが合意して、中核となる組織を形成すれば、たちまち反ファシズム勢力は、様々な形でそのまわりに集結するでしょう。
「潜在的な統一戦線」という概念、それがすでに存在する、という主張は、私なりに社会科学的な基礎を持っていると思っていますが、同時に、私の希望が込められた概念であると指摘されるなら、それはその通りです。
私は、すでに存在する「潜在的な統一戦線」を壊してほしくないのです。これを顕在化して本当の統一戦線を生み出す仕事は、民主主義をなのる政治的指導者達の義務です。
すでにある「潜在的な統一戦線」を大切にしていくこと、それを顕在化していくことが絶対必要です。それを壊すことは、歴史的課題、世界史的課題に対する背任だと強調したいと思います。
次回以降に、より詳しく論じます。