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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

統一戦線運動が打破をめざすもの--小選挙区制が生み出した自民党執行部独裁と「民主党的なるもの」

 一昨日のブローグに、次のようなコメントをいただきました。

しかし、統一戦線はおたがい相手の良いところを評価して手を組むべきと思います。
「ただ議員になりたい、ただ権力を持ちたいという人々が集まった、現在の民主党のようなもの、あるいは小沢新党のようなもの」という発言は、気になります。

 これまで何度か、統一戦線運動において政党レベルの共同の問題は鬼門だ、と述べてきたように、これは難問です。

 私が「正解」を述べられるようなことではなく、より経験やセンスのある人達が提案し、運動の挑戦的実践を通じて、これだというようなもの、が得られていくべきだと思います。

 しかし、日本の政治を考える上で、つまり今の私達の市民革命を考える上で、重要な問題があるので、改めてその芯になる部分について議論しておきます。

 まず、選挙や組閣において、現在の民主党と共同しろというのは、統一戦線運動内部で、かなり抵抗感があるのではないでしょうか。

 民主党長島昭久集団的自衛権行使に賛成の立場から質疑していることを指摘して、「世に倦む日々」氏は次のように言っています。

 

法案阻止に全力傾注すべき野党が、集団的自衛権行使に賛成の議員に質疑させて、法案を阻止できるはずがないじゃないか。民主が国会でやっていることは、対案の宣伝とプロレスごっこだ。あれだけ憲法学者が論戦の武器を与えているのに、一切活用しようとしない。市民に対する裏切り行為ですよ。

 

 私もその通りだと思います。

 共産党民主党(全体)と共闘をすることを拒否するのは当然でしょう。

 統一戦線運動としても、他にオプションがあるなら、長島氏のような議員が少なくない民主党、それらをこのような形で国会質疑させる者がリーダーである民主党と組みたいとは思わないでしょう。

 そしてまだオプションの可能性が存在します。それが、立憲新党です。立憲新党が民主党のようになってはならないことは自明のことです。

 もう少し、この問題を深く見ておきます。

 この問題は、小選挙区制、政党補助金新自由主義、という構造的要因と議員志望者の動機を考慮する必要があります。話を単純にするため、小選挙区制に焦点を当てます。

 共産党社民党等の理念とそれに基づく運動を母体とする党は別として、一般に議員志望者は、議員になりたいという強い動機を優先的に持つ人々です。さらに、議員としての経験があり、当選確率の高い人々は、政権にアクセスすることへの強い動機を持ちます。

 したがって大きな政党、与党に所属しようとする動機は高まります。しかしそのような大きな与党は、誰でも所属させ候補者とするのではなく、有形無形の制限を設けて、与党に「ふさわしくない」人々の排除を行ないます。

 与党から排除された議員志望者は、自分達で大きな政党をつくろうとします。

 小選挙区制の下では、こうした大政党傾向が、志望者間の政策・イデオロギーの相違よる分離傾向よりも強まります。

 さらに小選挙区制の下では、上記の結果、それぞれの大政党の内部では、多様な政策傾向やイデオロギーの相違があるにも関わらず、一定の条件では、党執行部による独裁が可能となります。

 小泉政権の時に、マスコミが面白がって宣伝した、郵政民営化反対者に対する「刺客」の成功が、自民党内におけるこの独裁を確立しました。

 この執行部独裁の下に、現在のファシズム政権が可能となりました。

 もちろん、独裁がいやならば、自民党を出て行けばいいのですが、議席や大臣の椅子が大切なのです。

 公明党は、集団としてこの独裁に奉仕し、その代わり、同じく議員の椅子と大臣の椅子を保持しています。つまり、基本的に同じ構造の中におさまるわけです。

 他方、自民党以外の大政党が作られていく過程では、小沢一郎氏の役割が重要でした。氏自身の政策理念はもちろんあるわけですが、それと別に、氏は、議員(志望者)の中にある議席願望、権力願望を嗅ぎ出し、それを自分の高い選挙技術と結びつけてまとめあげる能力が非常に高い人でした。

 彼のそうした能力の発揮は、彼の率いる自由党民主党への合流、民主党政権の誕生によって頂点に達しました。

 小沢氏は、客観的にいえば、小選挙区制が強める大政党志向議席や権力のためなら政策理念による違いを「超え」ようとする大政党志向を、自民党以外の人々の間で促進、実現する役割をしたのです。

 彼自身としては、自分の政策理念を実現するために、様々な新党を作ったり、合流したつもりかもしれません。しかし、皮肉なことに、民主党が与党となった時点で、多くの民主党議員にとっては、彼の役割は終わっていたのです。

 社民党から民主党に移った辻元議員の例も、議席、権力志向の例としてわかりやすいですね。

 民主党の「失敗」には、2つの側面があります。

 第1は、民主党指導部がまだ弱くて、党が全体としてバラバラだったことです。しかし、指導部権限が強化確立して良くなるか、悪くなるかは、実は、一概にはいえません。私は、ここに問題の本質があるとは考えていません。

 第2は、国民の自民党政治を変えてほしいという期待に応えられなかったことです。この点は、明らかに失敗で、国民を政治から遠ざけることとなったという意味では、罪ともいうべきでしょう。この失敗は、この党が議席、権力へのアクセスを最優先することによってできてきたことに由来するもので、必然的でした。

 中選挙区制はぬるま湯だったが、小選挙区制は生死をかけた真剣勝負だといって推奨する人がいます。

 そうではありません。小選挙区制は、新自由主義と共に、勝てば(議員の椅子や大臣の椅子を得れば)正義とされる、議員志望者達の政治世界にある虚無的な側面を極端なものにしたのです。

 私達の運動--戦争法案反対、立憲主義擁護という主張の実現を目指す運動--は、こうした虚無的要素が支配しようとする世界に全く異なったダイナミズムを持ち込むものです。

 すでに、自民党では村上誠一郎衆院議員が執行部に反旗を翻しました。

 民主党戦争法案反対、立憲主義擁護の姿勢をとるように促し、党内でも真にそうした姿勢を守る勢力が力を持ちうる状況を作ろうとしています。

 統一戦線運動の中に、どう民主党が位置付くか、立憲新党が実現するか、こうした問題は、この運動自体がさらに大きくなっていき、どのようなダイナミズムを生み出すかにかかっています。