「守れ日本を・・アベから」、「守れ沖縄を・・アベから」--リアリズムの話
「アベから日本を守れ」、「アベから沖縄を守れ」--これは、金曜の集会で、「おっ、いいな」と思ったシュプレヒコールです。
国際政治のリアリズムというようなことを言う人がいます。
例えば、藤原帰一氏は、
日本は米国と同盟を結んでおり、その日米同盟は既に東アジア国際関係の現実を構成している。日米両国の緊密な軍事協力が可能となるよう法制度を整備することが好戦的な政策であるとは必ずしもいえない。
(朝日新聞2015年6月16日夕刊)
と述べています。
7月10日のTBSのNEWS23でも、「法案は抑制的だ」と言っているようです。私はこの番組を見ていないのですが、上記の記事と内容は一致しているので、間違いないでしょう。
このような見方を、しばしば「リアリズム(現実主義)」「国際政治のリアリズム」と呼びますが、言葉にだまされてはいけません。
「法制度を整備することが好戦的な政策であるとは必ずしもいえない」とか「法案は抑制的だ」とかいうのは、法の文字面だけの「非現実的」な話です。
法案が「リアル」に「抑制的」ならば、自衛権発動の具体的な歯止めがあるはずです。
本当の現実は、ほぼ同時間に国会前で佐藤学氏が語っていた、「人道支援」や「集団自衛権」の名の下で、「1990年湾岸戦争以来200万人以上のこどもが殺され」、「2003年のイラク戦争だけで50万人以上のこどもが殺されてきた」とことです。
私は、このブローグで何回か、一度戦争状態に入った時、どうなるか、戦争を実施するためのこの法案が通った時にどうなるかについて議論し、危機感を表明してきました。
「リアル」かどうかは、この法案が通った時に何が起きるか、ということをどこまで事実、経験、理論に基づいて、「リアルに想像できるのか」という問題です。
未来を予測することはできません。だからこそ、事実、経験、理論を「リアルな想像力」で結びつけてイメージし、行動することが重要です。
私は、多くの人々の主張--秘密保護法は、国民から重要な情報を隠し、またそうして戦争準備・実施・継続・責任隠しを可能とする法だ--に共感を表明してきました。
現在、この主張は、まさにリアリティを増してきているのではないでしょうか。
例えば、長谷部恭男氏は、秘密保護法制定に協力した人です。しかし、現在は、戦争法案に反対する論陣の重要な一角を担っています。
彼は、秘密保護法制定の時は、この政権の危険性、この政権の意図・政策の危険性を「リアル」に捉えていなかったのです。
しかし今、同じ政権が堂々と憲法を超えることを宣言しているのを目の前にして、彼は「リアル」な世界を見直したといえましょう。
是非、「法の表面だけでものを見てはいけない」、「現実・経験・理論をリアルに想像することの必要性」を人々、学生に実体験に基づいて伝えていって欲しいと思います。
本当のリアルな危機は、外からではなく、内からやって来ています。そして、今止めないと、本当にやばい。
「アベから日本を守れ」、「アベから沖縄を守れ」