「70年間の平和」の国際的意味--"新しい平和体制"と"古い戦争体制"
日本は70年間、攻めること攻められることなく、また、直接には殺すこと殺されることなくここまで来ました。
それは、改めて憲法のおかげだと深い感謝の気持ちが湧きます。
小林節氏等、かつて改憲を語っていた多くの方が、現時点では、この70年の平和の重みを指摘し、そこから考える必要性、必然性を指摘しています。
私自身、憲法の意義、この70年の重みということについて、特にひしひしと感じ、考えるようになったのは、秘密保護法制定の時期以来です。
「日米安保」のおかげで平和だったのだろう、と主張する人がいるかもしれません。
しかし、米韓安保条約等、アメリカと安保条約を結んでいる国はいっぱいあります。
それらの国は、「集団自衛権」という名の、実はアメリカに対する義務として、例えばアメリカのベトナム戦争に加担することになりました。多くのベトナム人を殺し、自分達も死者を出してきたのです。
日本は、アメリカのベトナム戦争に、例えば日本を攻撃基地として利用させるという形で協力しました。しかし、憲法のおかげで、軍隊を出すことはなかった、米国もそれを要求できなかったのです。
確かに私達には、日米安保条約をどうするのか、という大きな問題が存在しており、それを考える必要があります。
日本国憲法と日米安保条約とは、平和をいかに作り出すのか、という根本的な観点において大きな矛盾があります。
私達は、この矛盾を歴史のダイナミックな動きの中に位置づけて、とるべき未来の方向を明らかにしていく必要があります。
そのために、まず、私達の「70年間の平和」を意味をちょっと異なった視点から考えてみましょう。
この「70年の平和」が他の国々、他の国の人々にとってどのような意味、重みを持っているのか、ということです。
まず、それは、日本への信頼を作り、深めるものとなってきました。日本が侵略し甚大な被害(死者2000万人)をもたらしたアジア諸国、特に、中国や韓国の人々、政府にとって、憲法という明確な制度的基盤のもとに、日本が「70年の平和」を維持してきたことは、大きな安心と日本への信頼を寄せるもととなってきたのです。
同時に同じく重要なのは、「平和は可能だ」というメッセージを70年という現実の重みを持って、世界の人々に伝えていることです。
「平和」は、1945年、日本の敗戦によって第2次世界大戦が終了した時、文字通り世界の人々の切実な願いであり、それは、アメリカ、ソ連、ヨーロッパの連合国諸国のリーダーも唱えた原理でした。戦後の多くの国際的な政策--国連、IMF、世銀、ILO--は、この原理に従って、実現され、構成され、運営され、あるいはその理想に忠実であろうとしてきたのです。
ところが、この70年間に様々ところで、様々な形で、平和は破壊されてきました。殺し、殺されるということが、ほぼ世界中の国々で、(しばしば集団自衛権の名の下で)行なわれてきました。
それは、2つの膨大な市民を含めた犠牲を出した世界大戦を踏まえて作り出そうとした「新しい世界平和の体制」を否定するものでした。「古い19世紀の戦争による競争と均衡の国際体制」へと、戻ってしまおうとするものといえます。
ですから、日本の70年間は、世界の人々にとって、奇跡であり、希望であり、そして羨望ですらあるといえます。
日本の70年間は、戦後世界が目指した「新しい世界平和の体制が可能である」ことを、様々な問題や不十分なこともありながらも、示唆し、提示しているのです。
憲法と憲法の下で生み出した平和という宝物は、私達の父母や祖父母達の努力にも負うものです。
しかし、それは同時に、多くの犠牲の中から到達した国際的な平和思想、平和運動からのプレゼントであり、世界の人々の希望の成果でもあるのです。
明日は、日比谷公園で18時30分より、集会があります。
世界の人々と一緒に、平和の希望を守り、拡げていくため、集会に参加しましょう。