危機が生み出す「市民」--理論的メモ (1)
昨日は、SEALDs主催の国会前集会に行ってきました。村山元首相の挨拶もありました。
私は、今の事態は日本史、世界史に刻まれる重要なものと感じていますので、集会での盛り上がったライブ感がたまらないです。
同時に、社会科学研究者として、狭い専門を超えた問題意識を強く触発されています。
そこで、いつも重要な提起をして、学ぶべき材料を示唆してくれているのが、「世に倦む日々」氏です。
今日は、私自身のメモとして、氏の提供している材料について議論しておきます。
理論的な議論の前に、彼の鋭いツウィートを2つ、コピペします。
一番驚いたのは、細野豪志による、これから中東に派遣される自衛隊員は民間人の女性や子どもを射殺することになるから、そうしてもいいように、罪に問われないよう刑法上の措置をしとけという質疑だった。テレビで見ながら唖然とした。現職の自衛隊員に、国会でそう要求してくれと頼まれたんだそうだ。
天皇陛下や皇后陛下までが、異例の所感を出して反戦を言い、護憲の発言に踏み込んでいるのだから、商店街の店主が反戦の垂れ幕を出したっていいんじゃないの。法案反対は国民世論の圧倒的多数だ。反対の声を上げるのは今しかない。異例づくめで政府に対して反戦の声を押し通すしかないじゃないか。
こういうのが国会で街でやられているわけで、私達も冷静でいるのが、難しい状態になってきていますね。
それだけに、連帯の中にお互いに冷静さを入れるチェックのようなことが必要です。
ちょっと違ったタイプの人とおしゃべりするのも、気分転換に良いかもしれません。
静かな音楽を聞くとかヨガをするとか。
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私が、「俺様ルール」の不思議--「遅れた」日本、「進んだ」日本(2)で書いた枠組みは、柄谷行人の『世界史の構造』を意識したものです。
「世に倦む日々」氏による「脱構築」「左翼・右翼」「市民革命」「立憲主義」「平和主義」といった問題提起について、私は柄谷行人の立場からどのように答えるかを考えていました。何故なら、柄谷行人の『世界史の構造』が、現代世界を理解する上で最もトータルな理解の枠組みを与えていると考えるからです。
柄谷行人は『世界史の構造』の中で、市民革命を低く評価しています。しかし、その国家論から、憲法の平和主義を高く評価しています。
また、近年の言動で、反原発運動のデモを称揚し、自らも街頭に立つ等、市民運動や直接的民主主義的な運動を肯定的にとらえていることは間違いないようです。
ところが、7月20日に鶴見俊輔氏が死去し、上野千鶴子氏が追悼を書いたことを契機として、「世に倦む日々」氏が柄谷行人の「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」という論文を発見しています。鋭い嗅覚です。
この論文は、私が疑問に思っていたことや、それを超えた普遍的な問題を扱っているすばらしいものです。
こうした論文の発見や評価は、重要な仕事です。(学会的にいえば、「業績」たるべきものですが、今の学会はそういうことは評価しません、蛇足ですが)。
たんにそれだけでなく、私が感じるのは、こうした議論、過去の論文の発見、評価は、まさに、現在のような政治情勢の中でこそなされていくものであるということです。
私は柄谷行人の『世界史の構造』を、出版された2010年に読みました。市民革命の評価についての疑問を持ちましたが、その疑問は切実性を欠いていて、単にアカデミックな疑問のままでした。
しかし、2011年の東日本大震災、原発事故に対する人々、政府の対応は、私のうっすらと感じていた、「日本社会は戦前と変わっていないのではないか」という疑問を、確信に変えてしまいした。
2013年には、秘密保護法の成立がありました。
そこで、市民(社会)をめぐる私の問いは、切実なものとなってきたのです。
長くなったので、次回以降に続けます。
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