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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

代替策を湧出し、豊富化する憲法の平和主義--南シナ海への自衛隊派兵に抗して(1)

 2013年に、秘密保護法が議論された時に、これが戦争を準備するものだ、という指摘がありました。しかし、かなりのマスコミとそれに影響された人々は、それを大げさなものと受けとりました。

 今回の戦争法案についても、当初は、戦争を準備するものであることを否定する与党の宣伝が影響力を持っていました。

 昨日の参院の答弁で、安倍首相は、「南シナ海での掃海の可能性を排除せず」でした。

 安倍政権を批判した「週刊新潮」の編集長が更迭されたことが報道されていましたが、今週の「週刊新潮」と「文春」の記事は、安倍政権批判は無く、「ブレーキ壊れた中国の『反日』『反日』『反日』」「『年金情報』流出犯は中国サイバー部隊!」と見出しが踊っています。

 今まで低く見えた戦争の可能性、あるいは地理的に遠くだったり、「国際協力」だったりしたために見えにくくされていた、武力による殺し合いという戦争の可能性と生々しさが、中国という具体名を指名することによって、急速に、現実的なものとして私達に迫りつつあります。

 こうした危機感が根拠を持つことを、改めて2点について確認します。

 第1に、安倍晋三を筆頭とするファシズム勢力にとって、中国との戦争は「欲望」であることです。

 彼らは、第2次世界大戦を、単に、軍事的力関係における敗北と考えます。そして国際関係を、基本的に軍事的な力関係によって捉えます。その意味で、彼らはアメリカに負けたことは認めますが、中国や朝鮮の人々に負けたことは認めません。

 彼らにとって、中国や朝鮮の人々に負けたということを認めることは、許しがたい屈辱です。ところがこれは事実であり、国際的にも認定されたことがらなので、常に屈辱感が忍び寄ってきます。彼らの価値観、歴史観からいって、それを払拭するには、ただ歴史文献や解釈を「修正」するだけでなく、再び軍事力で圧倒することによってのみ、この屈辱を晴らすことができるのです。

 このための道が、集団自衛権です。安倍晋三は次のように言っています。

 

「われわれには新たな責任というのがあるわけです。新たな責任というのは、この日米安保条約を堂々たる双務性にしていくということです。・・・・いうまでもなく、軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。実際にそういう事態になる可能性は極めて小さいのですが、しかし完全なイコールパートナーと言えるでしょうか。・・・双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の行使だと思います。この問題から目をそむけていて、ただ、アメリカに文句を言っていても物事は前進しませんし、われわれの安全保障にとっても有益ではないと思います。」

『この国を守る決意』(安倍晋三岡崎久彦著 2004年、扶桑社、p62-63)

 彼の軍事志向性が露になっています。 

 日本の若者がアメリカのために血を流すことによって、アメリカと同等(イコール)になる、といっています。もちろん、これは従属を深めることですが、彼の脳内では、第2次世界大戦における勝者としてのアメリカと敗者としての日本の関係において、日本を強者に戻す(イコールにする)ものである、と捉えられています。

 こうして、強者となった日本を、日本は決して敗北しなかったことの証として、中国や韓国、北朝鮮に軍事的に対峙させること、これが彼らが目指してきたことです。

 第2に、このようなファシスト達の願望とアメリカの軍を中心とする権力者達の事情、戦略が一致する事態が生じてきています。

 アメリカ国務副長官を務めるなどしたアーミテージは、2012年の段階で、秘密保護法、集団自衛権ペルシャ湾南シナ海における協力の強化、などについて「日本が一流国家になるために必要なもの」とした論文を書いています。

 アメリカは、今や単独で、軍事戦略を維持する軍事力、財政力を弱化しつつある一方、国際的にも有力で好意的な協力相手を減少させつつあります。例えば、英国でさえ、アメリカとの軍事協力には慎重になりつつあります。

 そうした中で、アメリカにとって、安倍政権の行動力は、むしろアメリカの戦略、要望に沿うものとして、歓迎されているといえましょう。

 ただ私は、アメリカが、安倍ファシスト政権がアメリカのコントロール下にあることについての過剰な自信を持っていること、および、安倍ファシスト政権のもたらす災禍を負うのは結局のところ、日本人とアジアの人々だと考えていること、を指摘しておきたいと思います。

 では、「日本が一流国家になるために必要なもの」は、集団的自衛権なのでしょうか。

 私は、オールタナティブ(代替策)は、憲法の平和主義の中に詰まっていると考えます。このことについて、次回以降に議論します。