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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

事実や真剣な意見を、静かに尊重すること--自由で民主主義的につながるために

 コメントの中で、大学の中で、先生や学生が一緒になった戦争法案反対の動きが生じてきていることを、指摘していただきました。

 影響力の大きい、すばらしい変化です。

 テレビをつけると、タレントを並べたバラエティ番組にぶつかることが多いです。皆で、スゴイッ、と笑うべきところ、コイツ、バカッ、とばかにして笑うべきところ、司会者やタレント達が巧妙な役割分担をして、あうんの呼吸で楽しく進行していきます。

 このような番組は、海外でもあるのでしょうか。もちろん、いっぱいあります。ホテルでテレビスイッチをつけると、この手の番組が出てくることは少なくないように思います。

 しかし、少し前のブローグでも触れてきたように、日本はこうしたポストモダーン的な流れの最先端にあり、それはまた、日本の「遅れ」の表現でもあります。

 最近では、「空気を読む」ということが、必ずしも美徳ではないという雰囲気が出ているように思います。

 しかし、若者の間で、デモや集会に行くと、「イタイやつ」と言われることがまだまだあるそうです。

 実を言うと、「イタイ」という言葉は、なんとなくわかっていたつもりでしたが、改めて、ネットで調べてみました。そうすると、「イタイやつ」とは、本人はかっこう良いつもりだが、客観的には非常識で、そのギャップがイタイタしいやつ、ということで、やはりバラエティ番組で多用されたらしいことが分かりました。

 完璧なディスりかたですね。「イタイタしい」という評価の表現採用も、効果的なディスりかたとして、「ザ・完璧」といった感じです。

 真面目にやってこんな風に言われて、皆がワハハ、と笑ったら、次の言葉も行動もなくなってしまいます。もう立ち上がれなくなってしまいます。

 誰だって、「イタイやつ」と言われるのを避けるようになります。

 ここで気をつけなければならないのは、「客観的には非常識」という説明がありましたが、実際には、客観的というよりは、「世間と異なる」「多数の人と異なる」「世の空気と違う」ということです。

 そこで、真剣に何かを語ろうとする人、行動する人がいる時は、「イタイやつ」と言う前に、まず、その人のいう事実や意見に静かに耳を傾けること、それが必要ですね。それが、互いに自由でありながら、民主主義的な関係を持ってつながることになります。

 大学の先生が一緒に立ち上がったことは、「イタイやつ」といったディスりかたを無くし、真剣な語り、行動をリスペクトする雰囲気、場を作っていくための重要な貢献をなすでしょう。

 「大学はバラエティ番組の延長ではない」という、それこそ常識を、今、学生と先生達が行動で示して、「再建設」してくれているのです。

 

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 大学だけでなく、公共の空間全体で、私達は、事実を静かに受け止め、真剣な意見に静かに耳を傾けることが苦手なようです。それを少しでも変えていくことが、民主主義的な世界スタンダードに近づくために必要です。

 下は、想田氏のフェースブックからの引用です。

 

7月29日 14:23

 「ふさわしくない」って思う人は他人をだまらせるのではなく、逆のメッセージの垂れ幕で対抗すればいいのに。みんなどんどんやりたいことやればいいんだよ。

フランスの映画祭で感心したのは、閉会式のときに突然垂れ幕持った人たちがステージに乱入して政治的な演説を始めたんだけど、誰も静止しない。結局乱入者の演説が終わるまで閉会式を10分くらい中断し、みんなで演説を聞いてたよw。他人の言論の自由を尊重する姿勢、さすがフランスだと思ったね。

それと比べるのもなんだけど、たかが垂れ幕くらいで「ふさわしくない」だの「迷惑になる」だの、どんだけ不自由なんだって思うよ。

→七夕飾り:安保法案批判の垂れ幕撤去…「ふさわしくない」 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20150725k0000e040213000c.html