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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシスト・チャイルド武藤貴也衆院議員の「理論」的源泉(2)--田中耕太郎元最高裁長官補足意見

 ファシストの「理論」というものは、2つの要素で成り立っています。

 第1は、「日本民族は優秀である」というものです。これは、過去、現在、未来永劫の真理です。「優秀」=「支配」=「自分(達)は絶対権力」となっています。さらに、「絶対権力」=「全能感」=「精神的・物理的暴力への志向」とつながります。

 第2は、宣伝技術「哲学」です。これは主にウソを信じ込ませたり、言うことをきかせるためのものです。例えば、「ウソは大きなウソほどばれない」といいます。反倫理的であるために、大胆に技術として割り切るようなスタイルで表現されます。この大胆な技術性は、第1で述べた「全能感」につながるものであり、反倫理的であることによってひるむのではなく、逆に快感を覚えるようなファシズム的感性に支えられます。

 こうしてみると、ファシズムには、普通の意味での理論らしい理論がないことが分かります。彼らは、都合のよい理論を、よそから持って来たり協力者から提供を受けたりして、理論の必要を間に合わせます。

 そして後は、その理論を、自らの宣伝技術(哲学)によって声高に叫ぶということになります。(ただし、その宣伝技術も、具体的なレベルでは広告会社のコンサルを最大限利用します。)

 今日は、自民党や武藤氏が戦争法案合理化のために持ってくる「理論」として、「砂川最高裁判決における田中耕太郎最高裁判所長官の補足意見」を検討します。

 まず、下に、武藤氏が引用している「補足意見」の部分を示します。これだけ読んでも、理解が難しいので、後で説明を行ないます。

 

 「要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
 我々は『国際平和を誠実に希求』するが、その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。」

 

  砂川事件とは、1957年に基地拡張に反対したデモ参加者が、米軍基地に侵入したこと、およびそれをめぐる裁判を指します。

 簡単に言うと、まず、東京地裁は、侵入者を無罪としました。理由は、簡単に言うと、安保条約による米軍駐留は憲法9条に違反しており、侵入を罰する適正手続きに欠けるということです。

 これに驚いた米国と日本政府は、高等裁判所を抜いて、最高裁判所での判決を求める上告を行ないます。

 この時の最高裁の長官が田中耕太郎氏であり、彼は、この裁判の長も務めます。

 田中氏は、裁判(官)の独立性を守るどころか、米軍と政府に配慮して極秘の接触を持ったことが、後の米国の資料公開によって確認されています*1

 彼が、地裁判決の結論である安保条約の違憲性を否定しようと考えていたことは明らかです。

 しかし、結論的に言うと、最高裁判決においても、安保条約の合憲性を積極的に言うことはできずに、「高度に政治的な問題は違憲かどうか判断できない」(統治行為論)と、判断を逃げる形をとりました。

 それでも、地裁の判断を覆すために、次のような理屈を作りました。「日本には、固有の自衛権がある」「憲法9条によって、日本政府が命令する戦力(軍隊)は持つことができない」「しかし、憲法9条は、外国政府が命令する戦力(外国軍隊)なら、国内に駐留させて良い」「そのような外国軍駐留は、日本の固有の自衛権の実現策である」。

 ずいぶん無理やりな理屈ですが、今日でもこれが安保条約の現実を実質的に認める法的な根拠となっています*2

 ところで、裁判長であった田中氏の積極的な安保条約肯定論、合憲論は、さすがに最高裁の合議において退けられたわけで、それが上で述べた、「統治行為論」です。

 以上のことを背景とすれば、最高裁判決における田中氏の補足意見がどういうものか、わかってくるでしょう。

 実際に、この最高裁判決の田中氏の補足意見部分を読んでみると、長いにわりに、主張は伝わってきません。どうしてかというと、これも無理な論理をこねくりまわしているからです。

 どうやれば、安保条約肯定論、積極的合憲論が出てくるのでしょうか。

 その要点は次の部分です。

 防衛の義務はとくに条約をまって生ずるものではなく、・・・自然的、世界的な道徳秩序すなわち国際協同体の理念から生ずるものである。・・・政府がこの精神に副うような措置を講ずることも、政府がその責任を以てする政治的な裁量行為の範囲に属するのである。
 本件において問題となつている日米両国間の安全保障条約も、かような立場からしてのみ理解できる。本条約の趣旨は憲法九条の平和主義的精神と相容れないものということはできない。

 

 彼によれば、国際協同体の理念から、まず、防衛(自衛)の義務が生じます。

 そして、この自衛を「真剣に」考えると、安保条約の必要性が分かるだろう、というわけです。実は、これはあからさまには書いてないことなのですが、つまりその判断は、政府が行なう(行なった)わけです。

 さらに、国際協同体の理念から、安保条約が正当化されます。それは、特に説明がありませんが、ここで、「日米両国間の安全保障条約も、かような立場からしてのみ理解できる」といっているのは、「安保条約=国際協同体の理念の具体化」だという宣言です。

 これは単なる宣言で、その前にもその後にも、何故、安保条約が国際協同体の理念の具体化といえるのかの説明は全くありません。

 二国間の「同盟」と国際協同体(の理念)を等値するような議論は、問題外でしょう。合議の他の裁判官も、相手にしなかったと推察されます。

 さて、武藤氏の引用部分は、以上のような無理な議論が行なわれているということを念頭におけば、理解できるでしょう。

 つまり彼の引用は、上記の「(安保)条約の趣旨は憲法九条の平和主義的精神と相容れないものということはできない」に対応した部分です。

 武藤氏の引用部分をあからさまな表現で要約すれば、「憲法の平和主義は、世界各国の自衛義務(戦力を保持し、行使し、あるいは同盟関係を結ぶ)から理解されるべきである」ということです。

 そうすれば、憲法9条は、「日本の自衛のために安保は必要だ」「安保は、国際協同体の理念を実体化したものだ」という論理を妨げるものにはなりません。

 しかし、まさに、武藤氏が引用した部分のこのような憲法第9条の解釈は、無理筋であって、他の裁判官も認めがたいものであったのでしょう。

 また、最高裁判決の補足意見は、あくまで一裁判官の意見であって、判決の持つ法的な効力とは何の関係もないものです*3

 かなり長くなりましたが、ファシスト達が行う宣伝活動がどういうものか、様々な主張の文脈など関わりなく、都合の良い部分を切り取って、都合よく解釈、宣伝することや、彼らのいう「合法性」「合憲性」がどのようなものか、良く示していると思います。

 また、重要なのは、この田中耕太郎氏のように、権力者やファシストへの倫理的、法的にあってはならない協力者の存在です。田中氏自身権力者ですが、法的には、独立性を保つべき人物でした。強く批判されるべきです。 

 

*1:水島朝穂氏のホームページ

直言(4.15) 砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

*2:先に述べたように、裁判長の裁判の独立性を疑わせる行為が明らかになったのですから、この判決自体の有効性が疑われます。本来、再度裁判をやり直すべきです。

*3:ただ、しばしば補足意見に注目されるのは、最高裁でどのような議論があったか、今後の動向はどのようなものと考えられるか、という点での示唆があるからです。

 今回のように、戦争法案が違憲かどうかを議論する根拠として最高裁判決を持ってくる時に、補足意見を持ってくることは全く問題外の態度です。