hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシスト・チャイルド武藤貴也衆院議員の「理論」的源泉(3)--岡本行夫氏の「リアリズム」

  

 武藤議員のブローグで取り上げている戦争法案を正当化する議論の批判の続きを行ないます。

 今日は、7月13日の平和安全法制特別委員会の公聴会での元外交官の岡本行夫氏の発言です。

 

 一九九四年、イエメンの内戦で九十六人の日本人観光客が孤立したとき、救ってくれたのはドイツ、フランス、イタリアの軍隊でした。二〇〇〇年からだけでも、総計二百三十八人の日本人が十一カ国の軍用機や艦船などで救出されてきました。一九八五年三月、イラン・イラク戦争でイランの首都のテヘランが危機になり、日本人二百十五人が孤立しましたが、日本の民間航空機は、危険だからとテヘランまで飛んでくれませんでした。それを救ってくれたのはトルコでした。トルコ政府は、テヘランに派遣した二機の救出機のうちの一機を日本人救出に当て、そのために乗れなくなってしまった何百人かのトルコ人は陸路で脱出させたのです。日本では報道されませんでしたが、二〇〇四年四月、日本の三十万トンタンカーのTAKASUZUがイラクのバスラ港沖で原油を積んでいた際に、自爆テロボートに襲われました。そのときに身を挺して守ってくれたのは、アメリカの三名の海軍軍人と沿岸警備隊員でした。彼らは日本のタンカーを守って死に、本国には幼い子供たちを抱えた家族が残されました。みんながみんなを守り合っているのです。

 

 岡本氏は「世界の現実」を見なければと言いますが、「 みんながみんなを守り合っている」というような情緒的な表現が得意な様です。

 邦人保護というテーマでナショナリスティックな感情を呼びやすいものを、情緒的に議論する人物が、「現実」を語る時は要注意です。

 3つの角度から、この議論を批判的にとらえる必要があります。

 第1に、この海外邦人の保護の問題は、基本的に今回の戦争法制の問題点となっている集団的自衛権とは関係がありません。海外邦人の保護の問題に焦点を当て、情緒的に賛意を得ても、それは、集団的自衛権の必要性、正当性への賛意を得たことにはならない、ということです。

 今回の戦争法案は2つあり、そのうちの1つは、10個の法律(改正や新設)をまとめたものです。まとめたこと自体が、無茶苦茶ですが、その10個を含む法律の一部がこの邦人保護に関わるものです。

 武藤氏のブローグや産経新聞の報道の仕方は、情緒的に訴えやすいところに焦点を当て、全然関係のないもの(実はそちらが重点であるもの)を正当化しようとするテクニークです。

 第2に、岡本氏は、自衛隊による(武力を含む)海外邦人の保護を個別的自衛権の行使として捉えていますが、これは、国際法でも問題含みであり、実際には、危険な考え方です。そして、政府による憲法解釈でも憲法違反として禁じてきました。

 まず、日本の過去の戦争は、海外邦人の保護を理由に始められました。

戦争の多くは「邦人保護」に始まる: 戦闘教師「ケン」 激闘永田町編

  また、アメリカは、1980年のテヘランの米大使館に監禁された米国人を奪回軍事作戦、1983年のグレナダの左翼クーデタを潰すための侵攻作戦も、1989年の独裁者ノリエガ将軍捕獲のパナマ侵攻作戦も、すべて「米人保護」のための「自衛」を名目としていました。

【自衛隊】歴史が証明する軍事力による「自国民保護」の危うさ - 3ページ中5ページ目 - まぐまぐニュース!  

 また憲法との関連では、次のように、憲法9条に違反します。

在外自国民の生命・財産に対する侵害・危険はわが国に対する武力攻撃には当たらず、その保護のための武力行使は、国際法上の当否は別として、わが国憲法上は自衛権の行使としては許されない、というものである。わが国は、在外邦人への攻撃は国家への武力攻撃には該当しないと解釈しているため、国家への武力攻撃をもって発動する自衛権は海外在留邦人の救出には適用できない。

(橋本靖明・林宏「軍隊による在外自国民保護活動と国際法」『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年 2 月) 97 頁)

 

 これを見ても分かるように、自衛権というのは、いわば自衛という理由で戦争をする権利というのが本質です。ですから、それを、自国民救出の場合に適用して、軍隊を他国に派遣するということが、国際法上、疑義ありとする論者が少なくないのは当然でしょう。

 まして日本の憲法9条の下では、認められないのは当然の話です。

 第3に、何よりも、武力を行使を前提とした自衛隊派遣による海外邦人救助は、憲法の平和主義の精神に反します。憲法9条が存在することやそのあるべき解釈は、憲法の平和主義の精神から来るものですが、平和主義の精神には、9条の解釈の問題に止まらない重要な意味、実績があります。

 自衛隊派遣の準備、実施は、これまでの憲法の平和主義の精神の実践による国家や人々の日本(人)に対する信頼を壊します。

 ところが、岡本氏は、先の公聴会で次のように言っています。

私はむしろ国際安全保障環境の変化をみれば、行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛は以外はすべて黒と判断してきたことが果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったのかどうかを考え直す時期だと思うのです。

  つまり、「海外で日本人の生命と財産を守る」ということを、実質的に軍事力をもってすることを常態として考えろというのです。

 しかし、憲法の平和主義の精神は、国際間において軍事的な対応の必要をもたらさないように努力すること、国際的な紛争において軍事的な解決を目指さないこと、といえます。それは、国家間ばかりでなく、外国の様々な主体との関係についても同様といえましょう。

 この間の中東におけるイスラム国勢力の拡大は、アメリカなどによる軍事的対決による解決という方策の失敗を表しています。また、ジャーナリスト後藤氏の拘束、殺害といった事態は、軍事的に強硬なイスラエルに日本が与する姿勢を示したことをきっかけとしました。

 特に戦争状態が多く見られる中東諸国では、日本が軍事的な対応を行わない国家であるということが、国家や人々による日本に対する信頼を築いてきました。それが、日本人の安全に大きく寄与してきたのです。

 今こそ、何故、イスラム国のような勢力が台頭したのか、何故、日本人もテロの対象とされるような状態に至りつつあるのか、といった問題を考えるべきです。ただ邦人救出に軍事力を用いるという姿勢は、かえって日本人を危険にするものといえます。

 では、実際に必要となった自国人救助はどのように行ったら良いのでしょうか。

 2つの方法が提案されています。

 一つは、警察権の範囲で解決を図り、警察(その特殊部隊)を派遣することです。

 もう一つは、国連に救出隊を組織して、その行動により解決を図ることです。ただし、これはこれから国連で議論すべきことで、また、おそらく各国の軍隊を組織したものとなるのだろうと予想されます。そうであれば、私は、自衛隊の参加は憲法違反でできないと考えます。

 

 以上、3回にわたってこのシリーズを書いてきました。

 ファシストの「理論」は、①日本は優秀だ、②人々をだます宣伝技術(哲学)よりなること、実際に使う主張は、論理整合性、文脈など関係なく、都合のよいものを他から持って来て、「効果的」に「宣伝」することを指摘しました。

 武藤議員のブローグで引用された田中耕太郎氏と岡本行夫氏の議論がそれでした。

 これら二人の議論自体が間違っていること、そしてまた、武藤議員が二人の議論を、文脈など関係なく引用し、戦争法案を正当化するために「効果的」な「宣伝」を行おうとしていることを、示してきました。

 このシリーズはこれで終わりです。