天皇の政治的行為、発言をめぐって(3)--象徴天皇制の根本的矛盾
仕事がたまっていて、ブローグをお休みしていました。
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明後日の集会には是非とも予想を超えた人数の参加を願っています。安倍政権のやり方に少しでも疑問を持つ人は、友達を誘って参加、あるいは見学に来ませんか。
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これは、続きですが、これまでを読まなくても理解できるように書きます。
象徴天皇制は、天皇の政治的発言を「禁止」していると解説されていますが、実際には、この制度は逆に、天皇に対して政治的発言を要請し、あるいはその機会を提供するものです。
その理由は、2つあります。第1は、象徴といっても、物的シンボルやぬいぐるみのような存在ではなく、天皇には人格があるということです。
政府の解釈では、天皇にも基本的人権が保証されており、ただそれは、憲法やその地位から一定の制約が課されているというものです。
私も、天皇を単なるぬいぐるみのような存在、ロボットのような存在とするのは、政治的には最も無害化する方法とはいえ、非人間的な方法として賛成できません。
第2は、象徴という地位は過去の継承を含んでおり、その結果、むしろ政治的であることを逃れられないものです。端的には、対外関係、その特に第2次世界大戦に関わることで、日本を代表してしまう、ということです。
今日の東京新聞(2015.08.28)に、中国の「光明日報」が天皇に謝罪を要求する新華社の評論を掲載していると報じています。外から見て、天皇が政治的な存在であることを否定することは、ほとんど不可能です。
以上のように、天皇は人格性と象徴としての地位の双方を備えるため、政府は、天皇に対し様々な公的機会を提供したり、また、「内奏」という形を典型として、天皇と密接な関係を持たざるを得ません。
そして、それらでは、一般に天皇による発言が行なわれます。それらの場がどのようなものか、そしてそれらの場で、どのように政治的な発言を「防止」できるか、今日は書いている時間がありませんので、次回に続けます。