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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

天皇の政治的行為、発言をめぐって(4)--その具体的な場面(a)

 今日の国会前集会に参加してきました。

 12万人参加ということでしたが、私は福島瑞穂氏や落合恵子氏等、女性の演説の多い宣伝カーのすぐ前にいましたので、なかなかライブ感が味わえました。

 運動に関して、一つ、私が前から主張していることですが、選挙をどうするのか、という問題があります。

 例えば、今後の運動提起として、今日壇上から、与党に戦争法案反対の電話やファックスをと呼びかけがありました。

 それが本当にパワーとなるには、選挙のための反安倍・立憲統一連合がアイデアレベルでも、多くの人々の口にのぼっている必要があります。

 ところが今、全くそれがほとんど話題にならないのは不思議でなりません。別の機会に議論したいと思いますが、下からそうした声を上げない限り、政党自身の中や運動のリーダーたちの中からは、これまでと同様、反安倍・立憲統一連合のような議論は出てきそうもありません。

 しかし、せっかくの運動のパワーをアップし、広げるには、その議論は有効で、必要と思います。

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 (前回のブローグの続き)

 最初に、天皇の政治的行為、発言が止めようも無く、かつ重要な影響力を持ったと考えられる事例を挙げましょう。

 昭和天皇は、戦後にも重大な政治的な発言を行っています。発言というよりも、政治的な行為と言うべきものです。

 第1は、沖縄メッセージです。昭和天皇は、1947年9月19日、昭和天皇が側近の寺崎英成を通じて、GHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルト氏に、「アメリカによる琉球諸島の軍事占領継続を望む」「沖縄占領は日米双方に利益をもたらし、共産主義勢力の増大を懸念する日本国民の賛同も得られる」等と述べていました。*1

 憲法が施行されたのは、この4カ月前の5月3日です。

 第2は、1971年の国連における台湾の地位支持発言です。これは、最近のアメリカの公文書公開によって分かったことです(東京新聞2015-07-31)。

 

 米外交文書によると、七一年六月二日にマイヤー大使と会談した佐藤首相は「天皇は建前上、政治問題に関心を持たないのだが、(蒋介石)総統が過去において日本のために多くのことをやってくれたと述べた」とした上で、天皇による「蒋介石支持」の意向を大使に伝えた。 

 

 第3は、1973年、国会の防衛二法審議を前に当時の増原恵吉防衛庁長に対しての発言です。

 

「国の守りは大事なので旧軍の悪いことはまねせず、いいところを取り入れてしっかりやってほしい」という昭和天皇の発言を紹介し、「国会での防衛二法の審議を前に勇気づげられました」と述べた問題だ。「天皇の政治利用」と批判され、増原氏は辞任に追い込まれた。

 (東京新聞2015-07-31)

  

 これらは、いずれも憲法に反する大問題です。ところが、これらは隠されてきたか、あるいは話した大臣の方が批判されたのです。

 ほとんどマスコミなどにおいて、系統的に問題化されなかったことですが、昭和天皇憲法に反し、統治者意識を持ち続けて、振る舞ってきたと考えられます。

 上記の第2、第3の例は、「内奏」と呼ばれる、閣僚による天皇に対する国政についての説明、それに対する質問(下問と呼ばれる)の際になされたものです。

 茶谷誠一象徴天皇制君主制形態をめぐる研究整理と一考察-国法学的方法論と「君主制の歴史的・社会的機能」論の視角から-」『文学部紀要』47号(2012)は、次のように結論づけています*2

昭和天皇は、日本国憲法の施行以降も主要閣僚への「内奏」要求や、自身の政治意思の伝達など、戦前の「立憲君主」時代の政治的権能を引き続き行使していた。しかも、天皇は、憲法学や国法学に無知なため、このような行動をとったのではなく、戦前の帝王学や即位後の進講を通じてこれらの学問に精通しており、日本国憲法国民主権という前提も理解したうえで、確信犯的に国政関与への道を探り続けていた。

 http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/213/1/bungaku-47_39-54.pdf

  

 ただ、天皇の「意識」が統治者であり続けたとしても、法的に見れば、憲法によって政治的権能は全くありませんから、不当な権限の行使というようなことはなかったということになってしまうのかもしれません。

 つまり、我々の側で、現行憲法下での天皇に対して可能な批判は、「統治者として指示を出した」ということではなく、政治的な発言を行った、ということになります。

 ただ隠されてしまえば、国民にはわからないのです。

 また、増原大臣のように隠さずに言っても、主に批判されたのは、大臣の方で、彼は「天皇の発言の政治的利用」という咎で、辞任することになりました。

 つまり、天皇との関係に絞ると、何らかの場面で天皇が政治的発言を始めてしまえば、それを止めることは事実上不可能であり、できることは、その場にいる者や事後的にその発言を知った者(国民)が、それを批判することしかないように思います。

 閣僚と直接会う場面となる「内奏」や高級官僚や学者と会う機会である「進講」の内、前者の「内奏」を無くしてしまうことは、可能だと思います。

 しかし、象徴天皇制での下で、天皇に人格を持っていることを認めるならば、例えば外国賓客の接待における教養の必要から、「進講」までなくすことは無理でしょう。

 そこで、天皇が「進講」等の場で政治的発言を始めた場合、それ自体を物理的、肉体的に「阻止」することは、事実上不可能であると思います。

 次回は、天皇の公的行為の際の政治的発言を検討します。

*1:詳しくは、

【沖縄メッセージ】昭和天皇実録では直接触れず 沖縄の軍事占領継続を望んだのか?

*2:こういう論文は、アカデミズムのしかも専門だけですませるべきものではないと思います。(逆にそこですんでるので、天皇タブーのようなものを破れるのかもしれませんが)。