取り返しのつかない「戦争法案」--最高裁判事達の責任
私は、小さな失敗や場合によっては中くらいの失敗はした方が、人生は豊かになると思います。しかし、取り返しのつかない大きな失敗(大きな怪我や命にかかわるもの)というものがあり、それは避けるべきです。
私の危機感を言い換えると、戦争法案の成立は、国家や民族にとって、この取り返しのつかないことに相当します。
第2次世界大戦後の復興を、先人の努力の賜物だ、といいます。それはありがたいと思いますが、同じ努力があったとしても、日本国家や日本民族に復興できないような罰を与えよう、破壊、隷属化しようという国際的な合意があったなら、この復興は無理だったでしょう。歴史的な幸運の要素が大きいと考えます。
今再稼働しつつある原発が大きな事故を起こせば、日本社会、経済、国家は、大打撃を受けるでしょう。私はその可能性はあると思っていますが、それは、地震という自然現象で、私達の側からは予測できないので、一種の賭けで突き進んでいます。
これに対し戦争法案の成立は、社会的なプロセスであり、ファシスト勢力とそれに協力する勢力がより力を持ち、自由になることを意味します。
彼らは、秘密保護法成立以来、たいへんのスピードで突き進んでいますが、自然に対する賭けと異なり、必然的に我々、民族、国家を大破滅に陥れます。大地震は、もしかしたら、一万年は起きないかもしれません。しかし、ファシズムは、破滅まで突き進むことでしか、自己を保てないからです。そして破滅に至って、ようやくストップします。ただし、この破滅は、私達の破滅を意味しますが、もしかしたら、ファシスト達とその協力者達の多くは、第2次世界大戦の時にそうであったように、生き延びまた権力を持ち続けるかもしれません。
私は、ファシズムの協力者達として、官僚と大資本を挙げてきて、その責任に度々言及してきました。
しかし、協力者という言葉は適切ではありませんが、非常に重い責任を持っている人々がいます。それは、最高裁の長官、判事達、その経験者達です。
報道によれば、9月1日に、山口繁という元最高裁長官が、安倍政権の集団的自衛権、戦争法案を違憲と断じています。
彼は、現在の情勢を見て良心に耐えきれなくなって、取材に応じたのでしょう。
こうしたタイプの人物は、家族、友人、同僚、その他まわりの人から見て非常に真面目で、今回の発言も、ぎりぎりのところで、その真面目さの現れ、良心の現れとそれらの人々は評価するのでしょう。
実際、仮に彼の発言をきっかけとして、存命のすべての元最高裁長官、判事達が、違憲を発言を始めれば、戦争法案が廃案となる可能性は、極めて強くなると思います。
でもそういうことでも起きない限り、私は、彼にも社会的な責任を本当に感ずるならば、もっと早く、一カ月前にそれを言ってほしかったと言いたい。このファシズムの展開という、これから起きる歴史的事実についての責任から個人的に逃れるためではなく、本当にそれを止めようとするなら。
砂川事件の時の最高裁長官が事前に米側と接触していたことは問題外としても、憲法を守る(憲法に基づく判断を行う)はずの最高裁判所が、そのように機能してこなかったことが、安倍ファシズム政権を育て、今のように野放しにしている(政府と国会が無法の「野原」になっている)重要な原因です。
安保を判断しない「統治行為論」、地域による国会議員定数格差の問題で、違憲だけど違憲でないという「違憲状態」論--これらは、憲法には書かれていない、最高裁が勝手に違憲であるものをそうでなくするために作り出した概念です。*1
こんなことは、それ自体許されないことです。そして、これこそが、今ファシズムの誕生、跋扈のための重要な条件となっています。その歴史的責任は、決して逃れられるものではありません。
憲法には、裁判官は、良心、憲法、法律のみに拘束されると書かれているのですから。