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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

あかりちゃんならば、どんな始まりの言葉を探すだろうか?--総括(1)序論「歴史の弁証法」

 私達の運動のこれからの新しいスローガンは、どのようなものになるでしょうか。

 来年の2月が戦争法制の施行期日とされています。それ以前に、新しい政府を創ろう、そして戦争法制施行による死者を出さない、仮に施行期限を越えても、死者が出る前に新しい政府を、これが私の切実な気持ちです。特に、海外にいる日本人、自衛隊員やその家族にとっては切実さを感じざるを得ない、差し迫った課題です。

 それを、直に表したスローガンを昨日にアップしたバージョンでは掲げました。

 しかし、考え直しました。

 前に引用させていただいたあかりちゃんの言葉をもう一回、下に示します。

 

 

【あかりからのお願い】 終盤戦だからこそ、 内向きの盛り上がりに酔わないで。 自分たちの外側にいる人たちに語りかけて。 感動するのは後でいい。 感慨は5秒で捨てて、冷静に。 あなたの言葉は「いまやっと気付いた遠くの誰か」のためにある。 言葉を外へ。 丁寧に。丁寧に。

 

 

 何回読んでも素晴らしいですね。

 私のつくったスローガンに、自分で「だめだし」しました。

 <あなたの言葉は「いまやっと気付いた遠くの誰か」のためにある。 言葉を外へ。 丁寧に。丁寧に。>

 うーん。そーか。そーだよね。

 新しい政府、新しい始まりにふさわしいスローガンを、丁寧に、丁寧に考えなくっちゃ。あかりちゃんならば、どんな言葉を選ぶだろうか。

 

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 このブローグは、家族や友人、その友人を念頭の読者にし、様々な反安倍ファシズム政権の論調を紹介しながら、幅広い反安倍ファシズム運動の連帯の輪を広げていくこと、そして少しでも安倍ファシズム政権打倒の力を増やしていくことを目指して始めました。

 その中で、一つの力点は選挙に焦点を当てることでした。この点については、一般にネット上でもほとんど声が上がらず、少し上がっても高まっていくことがありませんでした。

 私は、そのことについては、戦争法案反対の声が高まるほどに、空中にキックしているようなもどかしさを感じ続けてきました。

 しかし、今やその選挙戦における勝利を目指す課題は、私の頭や狭い範囲にあるブローグの観念的な言葉に止まるのではなく、運動の高まりそのものが、自らそれを正面から掲げる実践的な課題、行動のための具体的な目標として認めるようになってきました。

 確かにそれを、運動が前進した結果としてのみ見るのは単純すぎ、ナイーブすぎます。現在の客観的な情勢がより困難を増してきているということから強いられた結果ということでもあります。

 しかし、これからは空中キックではなく、確かな手応えというか、足応えを得ながらキックをすることができます。それはやはり、運動にとって重要な前進です。

 このブローグがこのような前進にどの程度寄与できたかといえば、それはほとんど無に近いかもしれません。しかし、少なくともそうした前進を願う者の一人であった者として、同様の願いを持っていた多くの人、読者のかたがた、たびたび賛意のコメントをいただいたtouitusensenwoさんと一緒に、この重要な前進を、喜びを持って確認しておきたいと思います。

 

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 冒頭で、新しいスローガンのことを述べましたが、現在、これまでの総括を、運動参加者がそれぞれ行なうべき時期でもあります。

 このブローグは、当初私が予定していたよりも、私自身にとって必要なこととして、理論的な問題を考える機会となってきました。

 比較的少数でフレンドリーな世界の範囲であるにしても、外に向かって意見を表明し、コメントをいただく、という作業は、新しい経験であり、また、上記のように理論的な問題を考えるきっかけやそのための動機付けとなりました。

 私にとって、実践と理論ということの意味をリアルタイムで感じながら、私なりの実践を試みてきている半年間です。

 すでに長くなっていますが、ここで、私なりのこれまでの総括を始めます。今日はまず、序論として、弁証法という言葉の意味を明らかにしておきます。

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 英語でdialecticといいますが、それからdialog=対話と近い言葉だということがわかります。日本語の翻訳はほとんどが素晴らしいものばかりですが、「弁証法」は難しい響きばかりで「ハズレ」といっては苦労して翻訳してくれた人に失礼でしょうか。「対話法」とでも訳した方が私にはわかりやすいです。

 弁証法=対話法というのは、歴史的、社会的プロセスを事後的に解釈し、描写するやり方です。

 2つの対立的な主体が互いに主張し合って全体のプロセスが進んでいきます。その結果、全体はそれぞれの意図とは異なった方向へ動いていったり、対立の勝者が勝ったにも関わらず、全体としての結果には、勝者が当初考えたものと違った結果や意味(場合によっては反対の意味すら)がもたらされたりします。そして、全体としてのそのようなプロセスは、事後的に見ると「あたかも歴史や社会が当初よりそうした目的を持って、それに向かって動いているかに見える」、むしろ「歴史や社会は、そうした対立的な要素のぶつかり合いを通じて、<自己を実現していく>ように見える」という場合に、弁証法的なプロセスだ、というように描写します。

 わかりやすい例とはいえませんが、明治維新の時の尊皇攘夷と佐幕開国の思想や勢力の対立は、対立的な勢力のぶつかり合いが歴史を進めていったこと、彼らの表明した意図とは異なった形や意味を持って、最終的に、明治維新は近代国家を実現していったこと、それらを「弁証法的な」プロセスであった、という風に理解、描写することができます。

 弁証法的な理解、描写は、これまでの実践ベッタリではなく、ある程度実践から距離をおきながら、同時にこれからの実践を考える、つまり実践的な総括を行なうためには不可欠なものと考えます。