hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシズムの目的、イデオロギーと歴史的コンプレックスの感情

 このブローグの目的は反ファシズムの運動に連帯し、その前進を目指すことです。

 「世に倦む日々」氏は、丸山真男のファシズム論の中で、まず、ファシズムという概念が学問的概念でないかにいう、現在の政治学の風潮を批判しています。そして、丸山真男の1957年の論文『ナショナリズム軍国主義ファシズムによって、その立憲主義の否認と国際主義の排撃に注目しています。

 私も基本的に同様の立場から、ファシズムとは何かについて、その行動の特徴、それを支持する勢力、その目的等を書いてきましたが、ファシズムの思想・イデオロギーとは何か、安倍政権支持勢力のイデオロギーがそうしたものなのか、について書いていなかったので、今日はそれを述べます。

 行動の特徴と思想・イデオロギーは一体的に捉える必要があります。さらに、それらは世界史的な中に位置づけられて理解する必要があります。

 私が書いていることは、度々触れている柄谷行人『世界史の構造』に触発されたアイデアに基づいています。

 国家というものは、常に戦争を準備します。しかし同時に、平和のための交渉、努力を行ないます。近代国家では、国内の統治と国際的な体制は、一体的なものです。

 世界大戦が始まって以降は、戦争の技術、国家による国民統治の技術は破壊的、圧倒的に強大化しつつありますが、同時にその分だけ、国際的、国内的に平和を希求する声も高まっています。平和を希求する声は、結局のところ、国内的な人権とさらに国際的な人権を求める運動と重なっていきます。

 ファシズムは、こうした中で、戦争の準備と遂行のみに特化した目的を持つものであり、それは、国際的に自分達が不当な扱いを受けてきた、受けているという感情を背景にして、自分達は特別にすぐれている、それを認めさせる必要がある、自分達より劣ったと見做す集団にはそれにふさわしい境遇や態度を押しつけなければ我慢ならない、という思想・イデオロギー・態度を持ちます。

 ナチス反ユダヤ主義、ドイツ国民優等思想は上記のものでしたし、安倍ファシズム勢力の国家神道主義、日本優等思想、歴史修正主義的な極東裁判に対する強い憎悪、慰安婦問題の歪曲の態度も同様です。

 ファシズムは、不当な扱いを受けている理由が、ただ物理的な力の不足、戦争の敗北のせいだと考えています。だから、物理的な力を持つこと、すなわち、軍事力の回復、増強を追求します。

 このような国際的な関係に対する考え方と、国内における権力主義的、暴力的な政治姿勢とは一体です。 

 面白いですね、丸山真男が指摘した立憲主義の否認と国際主義の排撃は、それぞれ国内的なことがらと国際的なことがらです。上記の議論と符合しています。

  ところで、ナチスに特徴的ですが、それは、近代国家、民主主義的形式を前提としていて、合法性の外見を保持することにこだわりました。しかし、立憲主義の否認は、実質的には立憲主義が要請する合法性と対立します。どのようなプロセスでファシズムが成立するにせよ、ファシズムは実質的に立憲主義を否定する点が、その把握において重要です。

 すなわち、現代政治分析においてむしろ重要なのは、外見的な合法性がいかに実質的な価値(立憲主義や民主主義)を破壊してきたのか、という問題設定のはずです。

 私は、現代の「主流」の政治学には、「科学的」であるために、外見でことがらを把握、判断し、合法性、民主主義といったことがらを、形式的に規定、把握する傾向を感じます。先にブローグで取り上げた一橋大学中北浩爾(政治学)教授の「選挙があるので民主主義である」という議論もそれです。

 また「主流」政治学では、以上で書いてきた歴史的な背景を考慮しながら思想、イデオロギーの機能を捉えるというようなことも、「科学的」でないとされる傾向があるように思います。

 しかし私は、安倍政権の性格を正確に捉えるためには、以上で述べたようなファシズム--行動と目的と思想・イデオロギーを歴史的視野で、そして、国内政治と国際政治を一体的に捉える--という視点からの接近が必要、有効と考えます。

 私自身は政治学者ではありませんし、そのような分析を本格的にやる能力もありません。けれど、一市民として現在の危機的事態を危機として把握することが何よりも重要だと考えます。多数の人が少しでも早くこの危機的事態を理解した時、その破滅的結末を避ける可能性が広がると思います。