hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「反ファシズム統一戦線」と「野党共闘」--その1

 ずっとお休みしていましたが、このブローグを再開します。

 去年末に家人の病気があり、入院、リハビリ施設への入居、また私の仕事も重なる、等もありました。

 しかし、ブローグのお休みの一番大きな理由は、現在のファシズム状況の中で、どのように行動すればよいのか、私自身、明快な「解」を持つことができて来なかったことにあります。

 このブローグの目的は、家族や友人の、さらに友人の範囲で反ファシズムのための行動を促進することにありました。去年の夏の段階では、そのための「解」は、国会前のデモに集結することでした。

 しかし、このブローグの目的を少し変えて、すぐ行動につながるような「解」を提示することはさておき、まずは反ファシズムの意志を表示し、あるいは行動のための筋道を思索していくこと、とします。

 私が先に、意思表示や思索よりも「行動」を目標としていたのは、あの時期は、第一に、何よりも反ファシズムのための行動が求められており、そして、そのための行動が何であるか、その「解」が明快であったことです。そして、第二に、意思表示や思索、あるいは評論や論説的なすぐれたブローグはいっぱいあるので、オリジナリティの欠ける一つのブローグを加えることに、積極的な意味を見出さなかったことにあります。

 しかし、先に述べたように事情が変わってきました。今でも反ファシズムのための行動が求められていることは全く変わっていませんが、何が「正解」なのかは、去年の夏ほど明快ではない(少なくとも私にとっては)、ということがあります。そして現在のような情勢の中では、オリジナリティの有無と関わりなく、反ファシズムの意志表示をすること、思索を語り合っていくこと自体に意義があると考えるに至りました。

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 このような思索の最初の最重要のテーマ(私の主張)は、思想としての反ファシズム統一戦線と手段としての野党共闘とは別物だ、ということです。

 このことを何回か続けて議論したいと思います。まずは、現在の野党共闘の「中心」たるべき存在の民主党民進党)の姿勢、性格と反ファシズム運動の関係について書きます。

 あの10万人のデモ(集会)は、歴史に刻まれるものとなり、以下に述べるように大きな成果をもたらしたと思いますが、私達が望んだ水準からいえばやはり不十分でした。

 あの時のすべき行動としての「解」は、明快でした。もし、30万人、あるいはさらに50万人のデモが押し寄せたなら、戦争法を止めることができた可能性があります。もし、止められなかったとしても、そうした数のデモ隊が集まっていたとすれば、今の民主党民進党)の姿勢を全く異なるものにする--反ファシズムの姿勢を明確にし、それを何よりも優先する姿勢を具体的に表す--ことになっていたでしょう。

 確かに、10万人のデモ隊は、民主党の顔を少しこちらに向けさせることになったものの(蓮舫議員が国会前などで幾度かアジテーションの演説をしていましたね)、同時に、「選挙で当てにできる票としてはこの程度ね」と値踏みさせる程度のものとなってしまいました。

  次回に続けます。