hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「反ファシズム統一戦線」と「野党共闘」--その3--切り札を最初から捨てた「野党共闘」

 また誤解を避けるために最初に述べておきますが、市民運動が進めようとしている趣旨に沿った野党共闘を、私は支持します。これは、「市民・野党連合」とでも呼んだ方がいいと思います。私の言いたいことは、以下でより明らかになるでしょう。

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 去年、国会で戦争法強行採決が行なわれた直後、共産党は、戦争法の廃止のための「国民連合政府」の提案を行ないました。これは、採決前の闘争の終わりの局面において準備されていたものと考えられますが、この提案の前提となっていたのは、おそらく、市民運動民主党維新共産党の間になされた「野党共闘」の約束だっただろうと想像します。これは、これらの組織が一堂に会して作られたものではないでしょう。すでに戦争法反対運動を展開する中で、市民運動が「野党共闘」の推進役、これらの党との相互の媒介役のようなことを行いなっていました。そして最終局面に至って、採決を見越して、その後の闘争をこの「野党共闘」でさらに進めていこう、というかなり固い約束(密約)が、関係者の間で取り交わされたのではないでしょうか。

 このことは、私も以前このブローグで書きましたが、政治の裏というようなことは、私のような者には全くわかりません。ただ、SEALDsは、野党共闘という路線を早くから比較的明確に掲げていました。また、国会前の集会において、強行採決の数日前から「野党共闘」というコールを奥田愛基氏が始めていました。

 同じくその時にブローグにも書いたことですが、日本社会の政治環境では、党派色をあまり出さない、「野党共闘」という主張(スローガン)は、SEALDsや学者・市民団体にとって掲げやすいものであり、その意味では自然なものでした。

 しかし、反ファシズム統一戦線運動と「野党共闘」とを同一のものとすることはできません。反ファシズム勢力の統一と拡大という趣旨に沿った野党共闘だけが、求められていたはずです。

 共産党が「国民連合政府」の提案を行なった時、私は、共産党が反ファシズム統一戦線を受け入れたことの当然の論理(帰結)として、それが遅すぎたことを指摘しつつも歓迎しました。

 そして続いて、共産党「国民連合政府」を実現するための組織論として、統一戦線組織についての提案を行なうだろうと思って見守っていました。

 ところが1カ月、2カ月待って分かったことは、共産党はそのような組織論の提案は持っていず、あえていえば、市民運動と同じく「野党共闘」が共産党の反ファシズム運動のための組織論のすべてだった、ということです。

 私は驚きました。これは、切り札を最初から切ったゲームというよりも、切り札を最初からどぶに捨てたようなものではないか、と思いました。民主党民進党)の側からいえば、「野党共闘」という結論が最初からあるならば、何を言っても自分達の思う通りになる、ということです。

 そして、実際の展開はほとんど民主党のやりたい放題に近いものになっているように思えます。共産党は、すぐに国民連合政府構想と切り離して「野党共闘」を進めるという譲歩を行ないました。それでも、民主党はなんだかんだと共産党との共闘には実質的にけちをつける態度を露わにしてきました。同時に維新と合体しましたが、それは戦争法反対のためではなく、ただ議席獲得の条件をよくするためです。

 こうした事態は、前回のブローグで指摘したように、民主党のもともとの性格によるものであり、同時に、前々回のブローグで述べたような10万人に止まった戦争法反対運動の力量、そして共産党の力量を反映したものです。

 しかし同時に、「野党共闘」という政治・組織戦略、スローガンの立て方にも大きな問題がある、といってよいと思います。ゲームにおいて、力量そのものをすぐ変えられことはできませんが、弱いならばむしろ弱いなりに戦略を練ることが求められます。

 共産党は、仮に「野党共闘」という「約束」(密約)にコミットしていたとしても、市民運動と違って、党派性や主体性を打ち出すことが当然、自然の立場にありました。市民運動が本来的に求めていたものを考慮しつつ、ある意味ではより自由に表現して、運動全体の組織戦略を提案し、市民運動と議論するプロセスがあってしかるべきだったと思います。

 では、何故共産党も「野党共闘」しか述べない、ということになったのでしょうか。

 一つは、「野党共闘」が戦争法反対運動における重要な契機になる可能性を見た、ということはあるでしょう。しかし、仮にそのような可能性(夢)をも少しは見ていたとしても、共産党にはより現実的な判断が当初より強く働いているように思います。

 今回の戦争法反対運動における国会前集会の参加者数は、組織動員と個人参加の双方があります。共産党は、組織動員の数をかなり正確に把握していて、したがってまた個人参加の数を把握しているでしょう。

 つまり、今回の闘争において、運動や党組織の力量(その弱さ)を、組織として一番正確に把握したのが共産党であった、ということができると思います。

 その中で、自分達の党派の最大限の生き残り、拡大を方針として、市民運動が掲げる「野党共闘」をそのまま受け入れる、という方針を選んだのではないか、というのが私の推測です。それは、戦争法反対の多数派を6月の参議院選で形成するということを、現実に目指すのではなく、「野党共闘」を誠実、無条件なまでに追求する姿勢を、市民勢力や国民一般に示すことによって、自分達に対する支持を広げる戦術のように思います。

 前回のブローグで、ファシズム下の議員の「日常」を、ただ本人の議席保持欲求に基づくものとして描きましたが、共産党の場合は、議員や議員候補者個人の欲求ではなく、組織の生き残りやプレゼンスの拡大が動機であるのですが、それが逆説的に「野党共闘」という形で表れているように思えます。

 私は、共産党のこのような態度は妥当性があり、他者が容易に批判できるようなものではないと考えます。

 しかし、政治言論の中で、野党共闘がキーワードとなり、反ファシズム統一戦線という本来的な観点が、せいぜいのところ暗黙化されたものとなってしまうことには、危惧を覚えています。

 次回に続きます。