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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「反ファシズム統一戦線」と「野党共闘」--その5--まじめに平和を求める保守勢力との連帯の「見える化」を

 手違いで、「反ファシズム統一戦線」と「野党共闘」--その2--議員達にとってのファシズム下の「日常」が公開されていませんでしたのでそれを公開しておきました。これも、ご覧ください。

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 今まで長々と書いてきて、結局何が言いたいかといえば、今求められている「反ファシズム統一戦線」のキモは、まじめに平和を求める保守勢力との連帯の「見える化」を行なうこと、組織戦略、スローガン、運動の旗を、そうした保守勢力との連帯の「見える化」に沿って作り、掲げていくことだ、ということです。

 私は、去年共産党が「国民連合政府」構想を発表した時に、続いて、上記で述べたような保守との連帯の組織が提起され、実行されると期待、あるいは思い込んでいました。

 何故そのように思い込んだかといえば、当時「赤旗」紙上に元自民党長老達(野中、古賀、加藤の各氏)が、戦争法を強く批判して登場していたからです。

 ところが共産党の側からも、その後何も新しい提起は無く、「野党共闘」が運動における唯一のスタンダードの戦略、スローガンとなってしまいました。

 確かに、強行採決後の戦争法反対の運動は、選挙(闘争を準備する)運動に向かっていました。そうした中で、選挙に直結する政党勢力間の「(野党)共闘」は、わかりやすい方向です。

 他方、元自民党の長老達は、党内での権力、選挙組織基盤という点で、すでに「終わっている」人々であり、逆に言えばそういう立場だから、正直に安倍政権批判をすることができたわけです。仮に、彼らとの「連帯」が何らかの形で形成されても、それが選挙におけるパワーとしては、ほとんど意味をなさない、というのが選挙をよく知っている人達の判断なのではないでしょうか。

 しかし、私は逆の意見です。権力や議席へのギラギラとした欲望を「終わった」人々の見解だからこそ、ちゃんと聞いてみよう、という人も多いはずです。国民の多数はもともと、平和憲法擁護派です。ただ政治、選挙、権力、議席、というとたんに戦争法反対という政策、言葉以外の利害、要素を感じ取って身構える、という人も少なくありません。

 このシリーズのその2で述べたように、ファシズム下では、議員や議員候補達は、主義主張で動くのではなく、議席獲得、権力獲得の動機をより強くしていきます。そうした中で、むしろ、権力や議席へのギラギラを持たない老人の訴えは、より国民の中に響くのではないでしょうか。

 私が期待していたモデルを述べましょう。

 元自民党長老達のような人々が戦争法に反対する立場を明確にして、「反戦争法のための保守懇談会」のような組織を作ります。まずは、組織として力がなく、象徴的、顧問だけ的な存在に止まってしまう感じがあったとしても、全国的、中央の存在としてそれがあることが重要です。

 次に、去年の戦争法反対の運動の中で、多くの市町村、県議会で、戦争法反対あるいは慎重審議を望む決議がなされていました。それには、多くの保守系議員が関わっています。特に市町村レベルの議会では、自民党公明党を名乗らない保守系が多く、その中には真剣に戦争法に反対している人もいます。

 そのような人達が、「反戦争法のための保守懇談会」に結集するようになってくれば、少しづつ、政治勢力としての形、パワーを持つようになります。元議員だったような高齢の人も参加してくれればいいです。数は多い方がいいですが、数は絶対ではありません。

 そこで、共産党がこの「反戦争法のための保守懇談会」との協力関係を作り、参議院選や衆議院選での自党候補を下ろし、反戦争法のための保守懇談会」の推薦候補を、共同候補とします。

 このモデル(やり方)と、現在の市民運動による「野党共闘」とどこが違うかというと、まじめに平和を求める保守勢力との連帯がはっきりと「見える化」している点です。

 そうすると、第一に、より広範な国民が、政治に対する不信感を払拭して、つまり安心して、戦争法反対のための運動に合流することが可能となるでしょう。第二に、民主党民進党)の「事実上の受け皿は自分達だけだ」という傲慢な態度は、新しい選択肢の出現によって変わらざるを得ないでしょう。より、国民の戦争法反対に真剣に応える方向へ態度を変えさせるものとなります。

 このようなこと(「反戦争法のための保守懇談会」の成立と共産党の共同)が、参議院選挙に向けて、全国で仮に3カ所ほどででも実現できれば、現在の「野党共闘」もずいぶん異なった様相を呈していたのではないでしょうか。

 次回に続けます。