民主主義って何だ!(その9)--沖縄で私達は何を見つめるのか--近代国家と民主主義
共同通信の世論調査(5月28、29日)によると、「日米地位協定を改定するべきだ」という回答が71.0%にのぼった、ということです。この数字は、今後を考える上で何を意味するのでしょうか。また、今後維持される数字なのか、減少していく(あるいは増加していく)数字なのでしょうか。
それは、このような世論を支える一人一人が、沖縄の何を見つめているのか、にかかっています。
私は、前回安倍政権の沖縄への残酷さについて、それが政権のファシズムの欲望--軍事的「理由」を最優先する姿勢、そのために、「弱者」に対しては極端に強権的姿勢を誇示する--という性格に由来することを指摘しました。
ファシズムは、確かにそうした意味で「弱者」を利用しますが、では、「弱者」を作ってきたのは誰でしょうか。
私達は、ファシズム政権が成立する以前の歴史に目を向けなければならないと思います。そしてそれを、このシリーズで議論してきた近代国家や民主主義といったテーマの中に位置づけて理解すべきです。
それによって、より確かさを持って、ファシズム政権と対決することができるようになるでしょう。
古関彰一 『平和憲法の深層』(筑摩書房)によると、日本敗戦後すぐに、沖縄は、行政権は占領軍、アメリカにあるとされましたが、潜在的にその主権は日本にあることが認められ、住民は日本人とされていました。
ところが、戦後初めての女性も参政権を持った1946年の衆議院選挙では、逆に沖縄の住民は選挙権を奪われました。
これは、法的にも実質的にも、何重にも理不尽なことです。
第1に、この選挙は、新しい日本国憲法を決定する議員選挙でした。日本人である沖縄住民を排除する正当な理由はありません。
第2に、こうして本来主権者を構成していた沖縄住民を排して成立した議会、政府が、沖縄に関する重大決定を行なってきました。1951年のサンフランシスコ講和条約、安保条約は、アメリカによる沖縄占領・支配を認めたものです。
第3に、連合国が示し、日本が受諾したポツダム宣言においても、日本における基本的人権の確立が謳われていました。それを遵守することは、連合国と日本政府双方の義務でした。
従って仮に、沖縄が軍事的、政治的な経緯によってアメリカの支配の下に入りざるを得なかったとしても、そして仮に、以上の第1と第2で述べた状況に至る経緯にやむを得ない事情があったとしても、日本政府は、沖縄住民の基本的人権を擁護するための最大限の努力、措置を行なう義務と権利を持っていました。
そうした観点からの自覚、政治的問題設定は、日本政府には全くありませんでした。
また特筆すべきは、昭和天皇による「沖縄処分メッセージ」についてです。これは、そして新しく成立したばかりの憲法を正面から侵しながら、沖縄の人々の人権を守ることと全く逆の提案--米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望むとうい意見表明--を、連合国最高司令官顧問シーボルトに対しおこなっていたことが明らかにされています。*1
明治維新に始まる日本の近代国家、絶対主義的天皇制の最後の君主たる昭和天皇、それを「根底から覆したはず」「民主主義の出発点」たる、1946年の衆議院選挙、この年および翌年の新しい「日本国憲法」の公布および施行を、私達は厳しい目で、見つめ直す必要があります。
実はこうした視点は、政府だけでなく、私達にも欠けていました。この点について、前に論じた市民革命の意義という観点から続けていきたいと思います。
*1:宮内府御用掛であった寺崎英成を通じての1947年と1948年の2度にわたるものであった。