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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

歴史のすばらしい贈り物--日本国憲法(IV)--(続・続)保身の宮沢俊義教授「8月革命」論

 前回のブローグで、右派の論者、江藤が

もともと存在していたからこそ「復活」が可能なのであり、帝国憲法と「民主主義的傾向」は、決して相互矛盾的価値関係にあるものではない、と解し得るのである。

 主張したこと、これは子供騙しの論理であることを述べました。

 ただ、歴史を見る時は、論理・本質と同時に、具体的な事実・細部を見ること、それらが相互にどのような関連にあるかを見ることも重要です。

 ここで江藤が念頭においているのは、帝国憲法下で存在した天皇機関説のようなものでしょう。天皇機関説は、確かに、大正デモクラシーという民主主義的な傾向を反映する帝国憲法解釈でした。

 では、そのような民主主義的傾向を反映する解釈も許した憲法なんだから、それは民主主義的傾向と「相互矛盾的価値関係にあるものではない」と言えるでしょうか。

 ここでYes(言える)と答える人は、民主主義や民主主義憲法というものを理解していない人です。あるいは帝国憲法を読んだ事のない人でしょう。

 天皇機関説の本が発禁となり、その講義が許されなくなるような危機が迫った時に、明確に、天皇機関説を唱える自由を守ってくれる、そうした自由を守るためのあいまいでない文言がある、発言者(国民)の立場から注意深く、明確にそうした自由を守った規定がある、それが民主主義憲法というものです。

 帝国憲法天皇機関説を弾圧する側に回りました。この歴史的なテストで、民主主義の憲法としては、不合格になったのです。

 それはそうでしょう。帝国憲法の第1条は、こう書いてあります。

大日本帝国ハ 万世一系ノ天皇 之ヲ 統治ス

 

 これは、「神の子孫たる天皇が日本を統治する」という意味ですから、この憲法天皇機関説を弾圧する根拠になったのは「必然」です。

 いざっ、という時に国民、民衆の権利を守るのが民主主義憲法です。

 これが民主主義的な感覚というものです。

 またこの感覚に支えられた民主主義は、誰にもわかる、肌から感ずる民主主義です。それは、誰にもわかる明快な言葉で、読んだ人がそのまま理解、共感でき、それを自分のものとして主張できる文言となって現れます。

 天皇機関説というのは、民主主義的傾向の「反映」でしたが、上記の意味では民主主義的な感覚を持つ人々(つまり民主主義的傾向の担い手)の主張を直接に表すものではありませんでした。

 天皇機関説の唱道者達は、この憲法--神の子孫たる天皇統治に始まる--を変えるべきだ、と主張することはありませんでした。

 帝国憲法の枠内で、「解釈」によって民主主義的なものを正当化しようとしたのですが、それを誰が解釈するかという点については従来通りでした。自分達体制内エリートであり、官僚であり、政治家であり、つまり支配層でした。それが結局は自分達の首を締めることになったのですが。

 私は、民主主義(憲法)にとっての、言葉の明快さ、分かりやすさは、極めて重要だと思います。それがないと、解釈するのが国民自身ではなく、官僚だったり、「専門家」だったり、することになりがちです。

 右派、支配層の人々は、しかたなく民主主義を受け入れざるを得なくなると、なるべく民主主義にとって大切なキーワードを、できる限り曖昧化し、その解釈をできる限り、支配層や官僚にまかせるようにします。

 特にいざっという時には、支配層、官僚がその肝心のキーワードに当たる部分の解釈を決め、民主主義には役立たないか、逆に反民主主義的に機能するようにしたいわけです。

 第2次世界大戦敗戦直後の日本の支配層は、まさに、それを狙って、基本的に帝国憲法をそのまま維持しようとしました。

 さて、ここで宮沢俊義教授の「8月革命論」です。これに関する私の見解は、次のようにまとめられます。

 ①宮沢は、上記で述べたような民主的な傾向を反映した体制内エリートであった。敗戦後も基本的に「帝国憲法の少しの手直しの枠内で民主主義が可能である」と考え、政府内でのこの手直し作業に加わった。

 ②宮沢の上記の立場は、占領軍が、日本政府の帝国憲法の手直しを否定し、帝国憲法と根本的に異なる新しい民主主義憲法を求めているということを知ると、大きく変わった。つまり、帝国主義憲法擁護から、占領軍が考えたような民主主義憲法の方向を支持するようになった。

 ③宮沢の態度変換は、憲法学者としてのイニシアチブを維持することを動機とし、体制内エリート的感覚に規定されていた。

 憲法学者としてのイニシアチブを維持するためには、上記①の行動を正当化し、①から②の変換を正当化することが必要であった。そのためには、憲法論のレベルで、直接にこの正当化を試みること、そして憲法論のレベルでの議論をすることによって、同時に、議論を市民革命論にまで広げないこと、できる限り、議論を憲法論のレベルに納めること、が目指された。このような試みが、宮沢の「8月革命論」である。

 次回以降、宮沢の論述に則して、このことを論じていきます。