ストップ・ザ・安倍ファシズム--鳥越候補の勝利のために
このブローグの目的は、すべての可能な人との連帯によって、安倍ファシズム政権を倒すことにあります。
都知事選では、そのために鳥越候補が圧勝することを願い、応援したいと思います。
政治というのは、思う通り動かないものです。
今回の野党候補選出過程について批判があるようですが、批判・不満を持ったままでも、安倍ファシズム政権を倒す立場に立って、すべての都民が鳥越俊太郎氏を応援してほしいと思います。
関連して、気になったことがあるので、述べておきます。
斉藤美奈子氏が、東京新聞のコラムで宇都宮氏がよく勉強している、ふさわしい、という意味のことを述べていました(2016.7.13)。
さらに、web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第五十二回で、宇都宮氏の立候補取り止めを、次のように論評しています。
至上命令は選挙に勝つこと。そのためには、都知事職に強い意欲をもって準備してきた候補者をつぶしてもいい。そういう判断だったわけですよね。
それは「組織の勝利のためには個人は犠牲になっても仕方がない」ってことでしょ。そういうのを何というか。全体主義というのよ。「個人の自由と権利は何にもまして尊重されるべきである」というリベラリズムの思想とは百八十度逆です。
たんに斉藤氏の考えというだけではなく、今でも、宇都宮氏とその支持者の人々の間にはかなり強いしこりがあるらしいことが様々な形でうかがえます。
ただ、今回の宇都宮氏の立候補取り止めの要請を通じた鳥越氏への候補統一が、「『個人の自由と権利は何にもまして尊重されるべきである』というリベラリズムの思想とは百八十度逆です」という議論には違和感を覚えます。問題はそこにあるのでしょうか?
前回の都知事選でも、宇都宮氏と細川護熙氏の統一をめぐる動きがありました。それも、リベラリズムの思想と逆だと評価されるのでしょうか?
今回の統一への動きを進めたのは、前回の都知事選の経験、今回の参議院選の経験を踏まえて、確かに「至上命令は選挙に勝つこと」、「ここで負けては絶対にいけない」という強い思いです。
それは、「組織のため」ではなく、反ファシズム、原発再稼働反対、都民福祉の拡大、教育統制反対を主張する多くの人々の願いであって、今回は前回にも増してそれが強く共有されていた、ということではないでしょうか。