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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

人間的公務員「天皇」制のために(7)--難しい政治的位置にある「共和制派」

 共和制を理想とする「共和制派」勢力・支持者は、現在、最近の天皇の「お言葉」をめぐって、政治的に非常に難しい判断を求められていると思います。

 この共和制派は、「現時点での積極的共和主義派」と「現時点では象徴天皇制を容認する消極的共和主義派」、に分類できます。

 「現時点での積極的共和主義派」を積極派と呼ぶことにします。

 積極派は、現時点での象徴天皇制の廃止を主張します。現在の憲法解釈も極めて厳格に行ない、天皇の公的行為は、憲法に示された10の国事行為のみが許される、とします。

 これに対し、「現時点では象徴天皇制を容認する消極的共和主義派」を消極派と呼びましょう。

 消極派は、基本思想として、共和制を支持しますが、象徴天皇制の廃止が現在的な政治課題と上がっているとは考えません。

 憲法解釈については、天皇の公的行為の範囲は、憲法において列挙された10の国事行為以外についても認めるものとし、それが憲法の基本精神(国民主権、平和主義、基本的人権)に沿ったものであれば、違憲であるとは考えません。

 私自身は、消極派です。

 積極派は、私が以前、シンボルマーク論と呼んだ考え方といえます。

 ここでは、積極派の議論から始めて、その議論が論理的一貫性を持っているのに、今日の処方箋として実践性が欠けるものとなっていることを、歴史的な過程を含めて、少し詳しく見ていきたいと思います。

 澤藤統一氏のブローグ国民が「天皇を思いやる」という滑稽(2016.08.21)が、この積極派の現時点での問題把握を分かりやすく示してくれます。

 まず、澤藤氏は、毎日新聞の次の投書を引いています。

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天皇陛下のお気持ちを聞いて」

    (無職男性70歳 千葉県市原市

 天皇陛下が、現在のお気持ちを述べられました。
 「全身全霊」をもって象徴としての天皇の務めを果たしてきた、というお言葉に、頭が下がる思いがしました。私たち国民は、象徴としての天皇陛下がおられることが、当たり前で、何も疑問を感じないで今日まで来たように思います。
 国民は天皇、皇后両陛下に励まされ、生きる希望や喜びを感じてきました。これも「全身全霊」、陛下の無私のお心によってなされた行いであり、感謝しております。
 国民は、今まで、国民の象徴である陛下のことを、どれほど、思いやることができたのでありましょうか。陛下のお気持ちをお伺いするまでは全く無関心であったように思います。
 「人間天皇」として老病死は避けられない現実であります。陛下のお気持ちは、よく理解できました。このお気持ちに応え、政府は、早く対応を検討し、元気なうちに皇位を、継承できるようにしていただきたいと思います。 

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 その上で、氏は自らの主張を次のように対置します(議論のために、若干の省略を行ない、また、段落区切りを増やし、論点ごとに、番号を振りました)。

 

 ①・・・投書の文中に、「国民は天皇、皇后両陛下に励まされ、生きる希望や喜びを感じてきました。」とあります。天皇や皇后の励ましが生きる希望や喜びとおっしゃるあなたの言葉は私には到底信じがたいものです。もし、これがあなたの本心から出たものだとすれば、それはまさしく信仰の世界の言葉です。天皇・皇后は、いくつかの「神」や「教祖」に置き換えて読むことができます。・・・

 ②「全身全霊」をもって自分の努めを果たし、そのことで社会に寄与してきた人は天皇に限らず無数にいます。障がいを持ち、貧苦の中で、あるいは逆境に耐えてきた方に対してではなく、衣食住に苦労せず、国民の税金で生計を立ててきた天皇に、特に頭が下がる思いというのは、どうしても私には解せないことです。

 ③天皇家の私的な家計収入に当たる内廷費は今年度3億2,400万円です。天皇天皇としての勤めを果たすための宮廷費は、55億4,558万円。宮内庁の運営のために必要な費用は、まったく別で109億3,979万円。そのほかに、皇族(4宮家)の生計維持のための皇族費が、2億2,997万円となっています。

 内廷費や皇族費は、一切税金がかからない純粋な「手取り」です。もちろん住居も保障されていますから、天皇家も皇族も結構なご身分なのです。

 ②こんなに恵まれた天皇が、税金を負担している側の国民から、「どれほど思いやることができたのでありましょうか」と思いやりの声をかけられることは、滑稽ではありませんか。

 ②人間はみな平等。これは文明社会の公理です。誰の命も平等に大切。誰の人生も平等に価値あるものです。生まれながらの貴賤はありません。貴を認めるから賎なる観念も生じます。価値のない人生はない。まったくおなじように、家柄だの血筋だのの尊さもありえません。

 ④「象徴としての天皇陛下がおられることが、当たり前で、何も疑問を感じないで今日まで来たように思います。」
 それでよろしいのではありませんか。

 ⑤敗戦によっても天皇制が断絶せずに永らえたのは、日本を共産主義勢力からの防波堤とするためのGHQの思惑でした。「GHQに押しつけられた象徴天皇制」といってよいと思います。

 ④押しつけられたものにせよ、現行憲法にその存在の規定がある以上、存在自体は「当たり前」で、しかも普段は「その存在や天皇の言動に特に関心も疑問を感じない」というありかたこそが、憲法の想定するところだと思います。

 ⑥最後に申し上げますが、天皇制とは、取り扱いに注意を要する危険なものです。その危険のみなもとは、天皇が政治的に使える道具であることにあります。国民が、天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほど、天皇はマインドコントロールの道具としての危険を増すことになります。あなたにとっては不本意でしょうが、あなたの投書も、そのような象徴天皇の危険性を増大することに寄与しているのだと、私は思います。
(2016年8月21日)

 

 氏の主張は、

①投書者による天皇崇拝は宗教的信仰と変わらないものであること、

②投書者による天皇に対する評価の仕方は、人間平等の価値に反していること、

天皇制の維持に税金が大きく用いられていること、

④象徴天皇は、憲法の規定によって、シンボルマークのようなもの(木石、もしくは人形やロボットのようなもの)でなければならないこと、

象徴天皇制は、GHQが、反共産主義の砦として設定したこと、

天皇制は、政治的な道具とされる危険な要素を持つこと、

と、まとめられます。

 これらは、理路整然としていて、ほとんど反論の余地がありません。

 ④を除く、①②③⑤⑥の論点については、私(消極派)も賛成します。

 しかし、この立場に立った時、しかし、天皇の提起(「お言葉」)に対する実践的な回答は、何なのでしょうか。

 ④という回答も、一つの回答です。しかし、それは、無回答(つまり、「黙っていなさい」という回答)と同じことです。

 あるいは、共和制への移行を提起するということも、この立場の一つの論理的帰結ともいえます。

 しかし、一方で澤藤氏のようにこの立場を堅持する人もいるでしょうが、おそらく共和制に共感する人々の中でも、多くの人が、そうした回答は、ことさら一般の人々(自覚的共和派以外の人々)の反感をあおるようなものであり、現在、政治的に不可能だということも認めるのではないでしょうか。

 私は今の時点から見ると、共和制積極派の持つ困難は、歴史の出発点に埋め込まれており、時間の経過とともに、ますます、その立場をそのままで実現することは、難しくなってきていると思います。

 もともと憲法の基本原理は、共和制的なものでできており、象徴天皇制は、GHQの占領支配の都合から、下からの革命的な変化を防ぎ、既存の政府・統治機構を利用するという意味で採用されているものと理解できます。

 つまり、GHQとしては、憲法象徴天皇制条項の厳格運用がなされたとしても、それが、共産主義勢力が多数になって共和派を占めるというようなことと関係なければ、全く問題がなかったでしょう。

 GHQにとっては、GHQの統治に都合がいいかどうか、ポツダム宣言の「民主的傾向の復活と平和的な政府」という国際公約の建前に沿った外観を持っているかどうか、が問題で、政府が共和派かどうかということは、ある意味ではどうでもいいことだったといえます。

 またGHQは、ある程度時間が経って後(憲法ができたり、独立したりした後の過程)の憲法運用や長期的見通しについては、詳しくは考えていなかったでしょう。

 しかし、日本人自身の共和派にとっては、このGHQ象徴天皇制案を提示し、それに基づいて、現憲法が制定された時点が、象徴天皇制を厳格に運用する最大の可能性が存在した時点であったと思います。

 つまり、天皇の公的な行為として、憲法に規定された10の国事行為のみとし、他は一切認めない、とするためのチャンスは、新憲法が実施される、その瞬間こそにありました。

 その最初の国会開会式では、天皇の「お言葉」が述べられる等という憲法に規定されていないことはやるべきではなかったのです。

 しかし、実際には、憲法が施行されてからも、昭和天皇、政府、国会の3者が、憲法規定を守らず、あるいはそれに沿った厳格な運用を行なわないままでした。

 そして、共産党だけが、国会開会式における天皇の「お言葉」に対して欠席してきたものの*1、何十年もの間、天皇の「公務」は、政府と天皇自身の希望によって拡大してきました。

 ただ私は、この経験を経て、共和派の主張が実現しなかったことが、現在の問題を引き起こしている、というようには考えません。逆の言い方をすると、共和派の主張どおりに、憲法規定の厳格運用(シンボル・マーク理論に沿った運用)がなされていたとしても、長期的に見ると、現行憲法自体に解決が難しい矛盾が内在していたと考えます。

 仮に、現行憲法の下で、共和派にとって理想的な統治が進められ、憲法規定の厳格運用がなされたとします。

 その場合でも、政府の側からイニシアチブを持って(つまり国民主権を明確にして)、天皇の生前退位や女性による世襲も含めて規定した法律を作ることが必要となったし、象徴天皇としての役割に関して、シンボルマーク論では対応しきれない場面が出てきて、天皇憲法に沿ってどのように行動すべきかについて、議論が必要となっただろう、というのが私の考えです。

 何故そうなるかというと、3つの理由があります。

 第1は、澤藤氏が指摘した①のような「天皇教」崇拝の人々(投書者)が、現在もかなり存在することです。これらの人々を「理論的に」説得することは、不可能でしょう。

 第2には、新憲法の出発点では、可能と見えたシンボルマーク論は、生きた人間に対しては、憲法の精神と反するものとなってしまうことです。

 法律論を超えて、「これは無理」、「おかしい」と感ずる人が多くなってしまうことは押さえられないと思います。

 第3に、いくら厳格運用しても、象徴天皇制があり、天皇が生きた存在であり、従って政治的思想を持つ者として存在する以上、その行動や発言が、政治的な意味を持って現れること、現れようとすることは、抑えきれないからです。

 私の提案は、こうした状況に対処しようとする一案です。

 また長くなりました。次回以降に続けます。

 

 

*1:共産党は、戦争法廃止のための野党共闘を方針とするようになって、上記の国会開会式の欠席方針を改めました。理由は、共産党が現行の象徴天皇制に反対しているように誤解されるから、というものです。

 確かに、欠席理由がむしろ、象徴天皇制に忠実であろうとした結果であるということは、ある程度勉強していないとわからないでしょう。メディアは、政治観測的な記事を書くよりも、そういうことをきちんと伝えてほしいものです。