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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「芸術は政治だ!」--岡本太郎のこと(7)--”あかとんぼ”と”かながわ憲章”のこと

 私が岡本太郎のことを取り上げたのは、日本文化・芸術における「怒り」の感情の正当な位置について論じたかったからです。ただ、今日も本論に入らず、回り道をします。

 「あかとんぼ」という三木露風作詩・山田耕筰作曲の名曲があります。

 この3番の歌詞は、

 

   十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた

 

というもので、「(昔は、農村の女性は15歳になると労働力や労働力たる子供を産むため結婚するのが普通であった。)そして、あのねえやもその後の消息もわからなくなってしまった、と歌っている」というのが普通の解釈で、私もそのように理解していました。

 ところが、誰だったか覚えていませんが、「違う。これは、身売りを歌っている」という指摘があって、ハッとしました。

 もし、身売りという指摘が正しければ--私は正しいと感ずるのですが--「あかとんぼ」全体の解釈が全く異なってきます。

 「あかとんぼ」が発表されたのは1921年です。他方、東北からの身売りが増大したのは、昭和恐慌以来、特に1930年代に入ってとされています。ですから、話が合わないようにも見えます。

 ところが、最近の研究では、確かに1930年代にも増加していますが、1900年代に最初の大きな増加があった可能性が明らかにされています(安中進)。

 三木露風は、カトリックの洗礼を受けています。当時の文学者達は高い教育を受け、彼らは求める真理、芸術、社会は一つのものと信じており、したがってまた社会状況に敏感で、互いに影響し合う存在でした。

 露風がカトリック教徒になったのは、そうした社会的な信念、行動の表れでしょう。

 ただ特に日本近代文学に見られる一つの傾向として、ここには、社会的なものを個人の内面という内側に閉じ込めていく要素を見て取ることができます。

 「身売り」という残酷な現実を、「嫁入りして、便りもなくなった」という叙情的な詩に託す時、彼の静かで深い諦念の感情がより強く染み渡ってきます。

 --あるいはさらに、「嫁入りした」という表現は、詩人の「発明」ではないかもしれません。それが、娘を身売りせざるを得ない親(達)の「生(なま)の言葉」であったとするなら、その親(達)の日常的な諦念こそが、露風のそれを裏打ちする実体であった、ということになります。

 あの美しい童謡は、全く異なった世界を見せてくれているように思えます。

 しかし、ここで問題です。

 諦念の気持ちが強ければ強いほど、深ければ深いほど、それはそこにとどまるものでしょうか?

 それは、怒りの感情とは厚い壁によって隔たれていますが、とはいえ、怒りの感情のすぐ隣にあるものなのではないでしょうか。

 

 ・・・・

 

 話が飛びますが、7月に神奈川県の障害者福祉施設で、多くの方が殺傷される事件がおきました。

 これに対して、10月14日に県議会全会一致で、次の憲章を採択したとのことです。

 

ともに生きる社会かながわ憲章

   ~この悲しみを力に、ともに生きる社会を実現します~

 

 平成28年7月26日、障害者支援施設である県立「津久井やまゆり園」において19人が死亡し、27人が負傷するという、大変痛ましい事件が発生しました。
 この事件は、障がい者に対する偏見や差別的思考から引き起こされたと伝えられ、障がい者やそのご家族のみならず、多くの方々に、言いようもない衝撃と不安を与えました。
 私たちは、これまでも「ともに生きる社会かながわ」の実現をめざしてきました。
 そうした中でこのような事件が発生したことは、大きな悲しみであり、強い怒りを感じています。
 このような事件が二度と繰り返されないよう、私たちはこの悲しみを力に、断固とした決意をもって、ともに生きる社会の実現をめざし、ここに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めます。

 

一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします

一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します

一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します

一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます

 

平成28年10月14日 神奈川県

 

 

  私は、この殺傷事件について、首相が殺傷行為を非難する声明を出すべきだとしましたが、その後の新聞などの論調が、「私達のホンネのところで差別意識がある」というようなもので埋まっているのにうんざりしていました。

 そこに、この憲章です。

 私は違和感を禁じ得ません。

  説明的な前文において、「悲しみを力に」「強い怒り」という言葉ができてますが、私にはそういうものは伝わってきません。

 というか、この文章をそのままとりますと、

これまでも「ともに生きる社会かながわ」の実現をめざしてきた・・・その中でこのような事件が発生したこと 

 に対して、「大きな悲しみ」「強い怒り」を感じていることになります。

 そうじゃないでしょう。

 神奈川県の知事や公務員、あるいは議員、さらに県民が「ともに生きる社会かながわ」をめざして努力したかどうか--ということは関係ありません。

 殺された人々の無念--それこそが、怒りの原点でしょう。彼らの人権はどこへやられたのか。

 この憲章のどこを探しても、この殺された人々の無念、それへの共感がありません。

 痛ましい、悲しみ、怒り、こういう言葉が散りばめられているのですが、この殺された人々の人権を共有するところから来る本当の強い怒りがないので、憲章の本体部分の最重要原理たる第1項の

私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします

が、迫力を持って響かないのです。

 さらにいうと、この憲章の文章の中での「私たち」の当事者性がすっきりしなすぎます。

 

この事件は、障がい者に対する偏見や差別的思考から引き起こされたと伝えられ、障がい者やそのご家族のみならず、多くの方々に、言いようもない衝撃と不安を与えました。

  

の部分ですが、「事件は・・・伝えられ」という伝聞的な認識の状態で、「怒り」の感情が沸くものでしょうか。

 また「障がい者」「家族」「多くの方々」に「衝撃と不安を与えました」というのですが、これは、「私たち」の「悲しみ」や「怒り」とは別事として並べられています。

 殺された人々と彼らこそが、悲しみと怒りの主体ではないのか。

 そうでないならば、ここで「ともに生きる」「私たち」とは何者なのか。

 どういう資格、権利を持って「悲しみ」「怒る」のか。

 これまでも「そういうことがおきない様に努力してきたのに、事件が起きたから悲しみ、怒る」のか。

 

 

 あまり、理屈っぽすぎると言われるかもしれません。が、怒りをめぐる芸術論はまだ続きます。