hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

2017年の始めに思う(2)--反戦運動、労働運動、市民運動の国際的な連帯の表明を--その1

最初に少し脱線します。

 咳が少し出るのが続くので、近所の耳鼻科に行きました。待っている間に、漫画が目に入って、適当に手にとると、<佐伯かよ>の『緋の稜線』第5巻で、惹き込まれていきました。作家も作品も全く知らなかったのですが、奥付を見ると、この巻の発行年は1989年となっていました。

 自分の髪の毛を黒くしようとして墨を塗るこどもを、胡桃沢教授が「君はハーフではなくて、ダブルなんだ。これからの時代は君のような人を求めている。時代が求めているから君のような人が存在しているんだ」と諭す場面があります。

 ただ「ダブルだ」というのではなく、時代が積極的に要請している存在として表現しているところに、作者の姿勢の深さを感じます。

 この作品は、1994年に日本漫画家協会賞優秀賞をとっていますし、1993年に慰安婦問題に関する河野談話が、1995年に終戦50年の村山談話が出されています。また、このブローグでも触れましたが、2000年に河野外務大臣によって、第2次世界大戦時、ビザを発行して大勢のユダヤ人を救った杉原千畝の名誉回復がなされています。

 今振り返ってみて、日本において、リベラルな社会的、政治的な流れが結晶化して表現されたのはこの頃までです。

 脱線が長くなりそうなので、言いたいことをまとめます。

 現在アメリカの大統領選におけるトランプ当選に示されるように、極右の台頭は日本だけの現象ではなく、世界共通のものです。

 しかし、日本の現象は、その現れ方、表現の仕方がいかにも日本的で、節目や「角」というものが不明確で、いわばだらだらと前後が続いていきます。気をつけて社会科学的な見方をしようとしないと、歴史的な事件、事柄の意味がわからないまま、その時々の流れに流されていってしまいます。

 ですから、日本の社会的・政治的な事柄は、むしろ無理やりにでも論理的で普遍性を持った枠組みで捉える努力が必要だと、この漫画を読みながら、改めて感じました。

 さて、「2017年の始めに思う」と題して、その第2の論点を書きます--もう、1月の半ばを過ぎてしまいましたが。

 まず結論を言いますと、国際連帯を表明する必要性です。

 本当は、国際連帯の「表明」ではなく、国際連帯の「実現」「実行」であるべきです。しかし、それはたいへん難しく、すぐに実行はできないことも多いと考えます。それでも最低限、「表明」ならできます。

 たんなる口先の表明は無意味だ、という意見もあるかもしれません。が、現在のように世界各国で極右がさらに力を持とうとしている時に、これに反対する勢力が、積極的に国際連帯を表明することは、それだけでも必要で有意義なことと考えます。

 具体的に問題を考えましょう。トランプは、工場を米国内に作れ、と言っています。これに対して、私達はどう対応したら良いのでしょうか?メキシコ人やメキシコ政府は、このアメリカの政策に直撃されると見られていますが、彼らはどう対応しているのか、あるいはどう対応したら良いのでしょうか?

 ヒットラーナチス政権は、アウトバーン道路の公共投資策やフォルクスバーゲン計画等によって、深刻だった労働者の失業問題を解決し、その支持を揺るぎないものにしていったと言います。

 封馬達雄  2015.『ヒトラーに抵抗した人々:反ナチ市民の勇気とは何か』(中公新書)(8-9ページ)から引用します。

 

国民大衆には、失業不安と見通しのない生活の解決が最大の関心事であった。誰もが社会的な転落と窮乏の不安をかかえていた。若者たちは恋人がいても結婚できず、夫婦は安心して子どももつくれなかった。中間層の人びとには、物価が数千倍になり通貨が紙くずになった一九二〇年代前半のハイパーインフレの体験が、トラウマとなっていた。失業苦にあえぐ人びとは、ヒトラーが経済問題を解決してくれるように切望していた。彼らがナチ党に期待し支持したのもそのためであって、過激な反ユダヤの人種論を打ち出すナチ思想に共鳴したからではなかった。ヒトラーは終始平凡な一般女性たちの高い支持を集めていたが、彼女たちの回想からもヒットラー支持が失業問題の解決と直結していたことがわかる。

 

 ナチスに限らず、戦前日本の歴史研究書を見ても、現状が驚くほど当時と重なっています。そしてそれにも関わらず、警鐘を鳴らすメディア、人々が少数派であることも驚きです。

 ただ、安倍政権に批判的な人々が、失業問題をどのように捉えるのか、トランプの雇用政策をどう捉えるのか、そういうことを論じたものが私の目には入ってきていません。歴史を見れば、この問題の決定的重要性が明らかであるにも関わらず、です。

 私自身も、決論的にどのような政策がとられるべきなのか、具体的に述べられませんが、しかし、はっきりしているのは、各国の労働者がナチズム、ファシズムのような形を典型とするナショナリズムにとらわれていくのではなく、労働者の国際的な連帯の方向をまず宣言し、それを実践的に模索しながら、実現・拡大していくべきということだろうと思います。

 以前、このブローグでグローカルな連帯の必要性を述べましたが、基本的にはそれと同じことです。

 次回に、この問題をさらに、理論的な角度から深めて論じたいと思います。