hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

朝日新聞デジタルヘッドライン「南京事件に否定的な本 中国でホテル批判」にびっくり

 ネット上に、朝日新聞デジタルヘッドラインというのがあります。その1月19日のヘッドラインに、「南京事件に否定的な本 中国でホテル批判」というのがありました。同じこの本のことを東京新聞の見出しでは、「南京虐殺否定の本」となっています。これだと意味がわかりますが、朝日新聞の「南京事件に否定的な本」というのはどんな本か、意味が不明です。

 ヘッドライン、見出し、というようなところにその新聞のセンスが縮約されており、南京虐殺の事実の認定を避けようとする朝日新聞の姿勢が、よく現れています。

 しかし、さらに中身を読んでみて驚きました。延与光貞、川口敦子、岩崎生之助の3氏による署名記事で、見出しだけでなく、記事全体が南京虐殺の評価を避けるだけでなく、一件「中立」を装いながら、積極的にアパホテルを擁護する工夫に満ちたものになっています。

 その「論理」を追うと、南京虐殺については、中国政府のいう被害者数に対して、日本政府が「どれが正しいかの認定は困難」としていると紹介し、続いて、アパグループ言論の自由の主張が紹介されます。他のコメントする人々からも、営業の自由、表現の自由、経営の自由という言葉が、短い記事の中に次々と出てきて、アパグループの行為が擁護され、それを通じて事実上その主張内容まで擁護されています。

 中身と関係なくこうした自由を主張することによって、中身まで正当化できるかのやり方は、言論人として最も恥ずべきことだと思っていましたが、ジャーナリストと名乗る人達が堂々とそれをやっているのです。

 ホテルや刑務所等に、聖書を配る団体の話が出てきて、聖書をおいたことによって感謝されている例も紹介されています。これも、宗教の本があっても感謝されることもあるくらいなんだから、政治的主張の本があってもいいではないか、ということを言いたいのでしょう。中身を問わないまま、自由があるから批判はするな、というのはおかしな議論です。 

 この記事は、論理がありません。

 2020年東京五輪パラリンピックに向け、海外から多くの観光客の訪問が見込まれるなかでの今回の騒動。外国人観光客の旅行事情に詳しい広岡裕一・和歌山大教授(観光学)は「明らかに公序良俗に反するならともかく、ホテル側にも表現の自由、経営の自由がある。不快に思う人には泊まらないという選択肢もある。騒ぎすぎるのも良くないのではないか」と話す。

 「騒動」というのが、この3記者の認識であることがわかります。さらに、この「騒動」は、観光客の多寡という文脈の中におかれます。観光学の先生が「外国人観光客の旅行事情に詳しい」という理由で、コメンテーターとして採用されます。この先生の結論は「騒ぎすぎるのも良くないのではないか」ということですが、何が良くないのでしょうか。騒ぎすぎると観光客が減るのが良くないということか、つまらない話題をマスコミは取り上げるな、ということなのでしょうか。

 それも十分ありますが、それだけではなくて、このホテルに対する批判を営業の自由に対する妨害として認識していて、ホテルに対する批判自体を封じたいようです。

 ここで、「選択肢」として個人として泊まらない(黙ってそれだけして、その後も黙っている)という行動があげられています。一方的にこうした「選択肢」が限定されるわけですが、私たちには本来的にもっと広い「自由」があります。

 もし、自由という論点での議論をしたいなら、ホテルによる表現の自由を用いた表現内容に対して、今回の動画を使ったような批判する自由があり、営業の自由に対して、事実や倫理に基づいた買・不買の個人的判断、さらに不買運動の自由もあるのです。

 新聞のような現在形で社会性を持った言論機関は、形式的に自由を議論するのではなく、主張の内容の妥当性をジャーナリストらしく追求すべきでしょう。そうすれば、不買運動が「正しい」のか、それが「不当な営業妨害」なのか、読者の判断に寄与することができるでしょう。

 朝日新聞、あの3記者は、そうしたアプローチを避けることによって、アパホテルの味方となっている、そのように私は思います。