hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編2)--新自由主義は何故広まったか

 新自由主義は、上級の国家官僚と資本家階級にとって好都合のものです。それが資本家階級にとって好都合であることは、説明を要しないと思います。

 ところが、新自由主義が小さい国家というような言い方をされるために、それが上級官僚にとって権力強化の意味があることが見逃されてしまいます。

 行政活動の擬似市場化というような表現によってごまかされますが、それは、国家の領域を減らしているというよりも、コントロールや決定の影響力や範囲を、行政の中間や末端から国家中央へと実質的に集中させる統治のテクノロジーです。

 特に、福祉や教育など国民生活に直接関わる部分においてプロフェッショナル、半プロフェッショナルな人々の数が増え、それが福祉国家的な行政と密接な関係にある時、行政の中間や末端は、中央からのコントロールが困難な一定の自律性を帯びてきます。

 しかし国家の経済力の減退の中で、上級官僚にとって、福祉国家的な財政の拡大をストップし、国家権力による集権的なコントロールを取り戻すことは必至の命題になります。

 コンピューター関連のテクノロジーの発展という現実は、新自由主義の様々な概念や方法を、現実化して運用する方法を与えるようになってきました。例えば「擬似市場」「点数評価」というようなものを考えることは、はるか昔からありましたが、それは机上の空論に止まらざるを得ませんでした。コンピューター関連のテクノロジーの発展が、その現実化を可能としたのです。

 コンピューターのような物的手段ばかりでなく、社会組織や情報収集・処理に関わる技術(社会技術的手段)の発展が付随していることはいうまでもありません。

 例えば、「擬似市場」の形成に関わる「点数評価」は、そのために設置された「専門家委員会」が行なうようになりますが、それらは、いずれも一種の社会技術です。

 そうした委員会の実際の機能は、福祉国家的な社会の中で自律性を帯びてきたプロフェッショナル、半プロフェッショナルな人々や行政の中間・末端レベルが実質的に持つに至った権力を、「本来」の権力者である国家中央と資本に取り戻すことに貢献することです。

 ですから、世界中で国家官僚と資本家が一緒になって新自由主義を採用したのは当然ですが、なぜ、普通の人々もこれを支持したのでしょうか。

 新自由主義は、最も広く深く浸透し、長期化しています。(あるいは、長期化していましたが、今やそれは、国際ファシズム体制へと移行しつつあります。)

 何故でしょうか?

 人々の心理に沿って、福祉国家の意義を考えながら議論しましょう。 

 一番大きな理由は、人々は新自由主義を支持したのではなく、資本主義を支持、信頼したということです。

 1970年代に福祉国家体制が困難を迎え国際的に凋落を始めた時に、しかし特に先進国では事実上資本主義以外の選択肢は存在しないように見えました。

 失業がないといった社会主義の魅力は、先進国における福祉政策で輝きを失っていた上、社会主義国における様々な政治抑圧、人権侵害が深刻なものとして知られるようになっていました(柄谷行人  2006.『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』岩波書店)。

 他方、福祉国家という成功体験は、非常に大きなものでした。そして大半の人々にとって、この成功は、福祉政策の成功というよりは、資本主義の成功ということが根源的なものでした。福祉国家の成功は、資本主義の成功の成果に過ぎないものでした。

 であるならば、資本主義の中でなんとかうまい策を見出して、どうにかまた昔の繁栄を取り返そう、ということになったのです。

 福祉国家が行き詰まり新自由主義へ至る過程で、いくつかの経済政策(経済理論)が唱えられ、試みられました。世間の人はどんな政策や「理論」があったか思い出せないでしょう。意地悪くいえば、いずれも経済学者、いわゆるエコノミストが商売の種にした上で、長期的に見ればいずれも失敗して、最後に新自由主義が採用されたのです。

 それは、資本主義に信頼を寄せる人々にとって、これまでの失敗してきた理論と違って、最も「原理」的な単純さを持って、資本主義の「真理」を説いてくれたのです。

 私は、この「真理」「原理」は弱肉強食であると言います。そして人々も潜在意識のレベルはそのことを認めているのではないでしょうか。

 ただ新自由主義は自らはそこまで露骨な表現をしないで、「夢」を与えたり、同意を得やすい言い方、学問的な理屈らしい表現など、スマートな方法を用います。 

 他方、福祉国家は、このような「真理」の対極にある「虚偽」「失敗」としてイメージされます。それこそが、資本主義のすばらしさを台無しにする真犯人とされます。

 以上述べたように、歴史的に見ると福祉国家は矛盾する2つの形で、人々の間で新自由主義が広がることに寄与しました。第1は、資本主義のすばらしさを具現化したものとして、第2は、その失敗を具現化したものとして--つまり、本来資本主義うまくいくはずなのに、うまくいかない理由を与えてくれるものとして--です。

  しかし、怠け者が寄生する体制という福祉国家批判に同意する人々が「回想」するところの、働けば働いた分だけ豊かになる社会というのは、歴史の実際を振り返れば、むしろ福国家時代にのみ実在したものです。

 次回以降に議論を続けます。