hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編3)--1970年代の「批判的」勢力・理論

 前回、普通の人々が何故新自由主義を支持したか、という問題を大雑把な社会心理の角度から議論しました。

 「普通の人々」で言いたいのは、広範・多様な人々ということです。

 しかし、数の面から見れば絶対的に多数ではないが、思想的・イデオロギー的に影響力を持つ人々、勢力の存在という角度からも捉えておくこと、特に体制批判派と呼ばれるような運動・思想をとらえておくことが、新自由主義の広がりを理解する上では重要です。

 まず、資本主義が福祉国家となった時、そこで提供される福祉がすばらしい、と単純にプラスの側面だけを見たかつての左派は、基本的に資本主義支持派に変わりました。

 他方、いわゆる体制批判派(左派)として残った人々の間では、1960年代半ばから福祉国家批判が主張され、影響力を持っていましたが、その論点は、「主体性論」「疎外論」でした。

  ハーバマス、イリッチ等は、公共性や主体性が福祉国家によって独占される状態を批判的に描き出し、市民がいかに主体性を取り戻すか、という問題の提起、その解決策の模索を行なっていました。

 私が大学に入ったのは1970年代ですが、高校時代も大学に入ってからも同級生の過半数が(というように数的な視点でいうより、集団として、世代としてといった方がぴったりきますが)主体性という言葉、それがかもしだす雰囲気に非常に敏感だったと思います。

 あの当時の雰囲気を適切に表現する言葉が見つかりませんが、あえてその特別さを強調して表現するとすれば、疎外から逃れて主体性を求める宗教的求道心ともいうべきかもしれません。

 マルクスの文献の中でも、『経哲草稿』の疎外論が人気でした。その読書会をやろうと別に政治的でもない同学科の学生が言い出して、一緒に読んだ覚えがあります。

 国家が提供(媒介)する福祉そのものは外見上は「良きもの」に見えるが、福祉そのものの善し悪しよりも、国家による支配の浸透に注意を向ける、という形で「批判性」が展開されたのです。

 何故新自由主義が広がったのか、ということを論じるには、このような「批判派」の問題をも論じる必要があると思って書き出したのですが、書きながら、確かに単なる回り道という以上の重要性があると感じ始めました。

 1970年代は、いわゆる「古典的な」マルクス理論に対応した労働運動(階級闘争)とは異なる「新しい社会運動」--公害反対運動、女性解放運動、少数民族運動--が興隆しました。

 それらは、(労働者)階級の主体性という抽象的なものよりも、より身近なレベルで主体性の回復を実感させるものであったともいえます。

 さらにいうと、労働者階級の主体性といった概念は、例えば、ルカーチの「階級意識」の議論では核心的な重要性を持ちますが、実際にそれを担うのは、実際には共産党労働組合の幹部となってしまっていることに対する強い懐疑・反感が、かなりの人々に広がっていました。

 当時、新左翼極左派・ラディカル派)と呼ばれた人々は、「既成左翼」批判、既成左翼リーダー批判に非常に熱心な人々でした。

 また当時、大学において全共闘を称した人々は、必ずしも政治思想的に明確なものを持っていないことをしばしば明言し、その賛同者達もしばしば「ノンポリ(ノン・ポリティカル)全共闘」と自称していました。

 しかし、新左翼全共闘は、その行動や心情において共通することが多かったのです。そこには既成左翼批判があり、さらにその根底には自己疎外感・主体性喪失感に対する不安・いらだちがあったように思います。

 私は、日本での私自身の経験を念頭においていますが、大雑把にいえば、世界的に同じ傾向があったと思います。

 そして日本での影響を含め、ここで論じていること、福祉国家の問題、新自由主義のひろがりの問題を考える上で、どうしてもフーコーについて触れておく必要があると思います。

 どんど回り道になっていますが、次回に、フーコーについて論じます。