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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編4)--フーコーの役割と新自由主義論A

 新自由主義が現在の国際ファシズム体制へとつながるという話をするために、新自由主義のことを論じ始めました。そして新自由主義が広がった理由の2つめの説明として、新しい社会運動、新左翼全共闘などの体制批判派の中にも、政府(国家)や左翼政党・労働組合の幹部のコントロールからの解放され主体性を求める雰囲気が広がっていたことを指摘しました。

 こうした主体性の議論は、新自由主義とは全く違う出自を持っていますが、「権力」(=規制)からの自由をいう点で、共通性を持っています。

 1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年のソ連の解体は、マルクス主義社会主義思想の凋落を決定づけましたが、それは、1970年代末より始動していた新自由主義を、事実とイデオロギーの上で圧倒的なものとしました。

 こうした状況の下で、多くの政治勢力、政治運動、社会運動は、反新自由主義を掲げることを止め、それどころか、それを前提とした体制・運動・活動構築を進めることになりました。

 まずその筆頭の重要なものとして、西欧の社会民主主義勢力を挙げることができます。ここでは、これ以上横道に逸れないように、詳しくは議論しませんが、1993年のEUの発足とその政策原理は、こうした新自由主義的な枠組みの中にあるものです。

 あるいは、NPO等の社会運動について見ますと、1990年代に飛躍的にその数が増えています。それは、国家や国際機関が新自由主義的な政策を掲げて福祉政策を後退させ、その後退させた福祉予算をNPO団体に振り向けるようになっていったことと対応しています。

 本来、体制に対する批判性が強かったはずのNPO等の社会運動の多くまでが、親新自由主義的になってしまったわけですが、それはどうしてでしょうか。

 その理由として、公的予算に依存するNPOの場合、その経済的依存があることは明らかです。

 しかし思想・イデオロギーのレベルを見ることも重要です。

 先に述べたように、体制批判派の中での旧左翼批判としての主体性論が唱えられる中で、社会主義国家の崩壊、社会主義思想の凋落があり、代替的な力強い理論、イデオロギーは生まれてこなかったことが重要です。

 同じことともいえますが、新自由主義を批判する力強い理論、イデオロギーも生まれて来ませんでした(あるいは、広がりませんでした)。

 新自由主義を正面から批判する人々、勢力は、その主張内容の妥当性の有無と関わりなく、既得権に固執する「旧守勢力」として攻撃されました。

 他方、かつての新左翼を支えたポストモダンの思想の唱道者達は、「大きな物語」を嘲笑するだけで、さらに実質的に新自由主義と手を組むような者も現れるようになります。

 また横道に逸れそうなので、そこで、急いでフーコーの話に入ります。

 フーコーは、①主体性論=反福祉国家論、ポストモダン論の先覚者、として知られます。確かに、彼の著作、言動は、そのような役割を果たしてきました。

 私も、そうした理解からフーコーについてあまり評価していませんでしたし、もっと読もうという気が起きたことはありませんでした。

 もしフーコーの役割が、①だけに終わっていたなら、このブローグでも特に取り上げることはなかったでしょう。

 ところが、フーコーは、②新自由主義についての鋭い批判的な分析を、1970年代の末に行なっていました。

 彼の1977年から79年の講義録が、2004年にフランス語で、2007年と2008年に日本語で出版されて、そのことが知られるようになってきたのです。

 今回は、①の点を概論し、②については次回に議論します。

 フーコーは、権力支配というものを、身近なところを含めて近代社会の諸レベルに充満したものとして捉えます。これが、新左翼が旧左翼(の指導者)を批判する根拠(心情とフィットするもの)となります。

 ただ、フーコーの権力支配の捉え方の特徴は、それが直接的な強制的な方法によるものを中心とするものではないことを自覚した上で、権力と密接な関係を持った知のあり方に焦点を合わせるものでした。

 これは、グラムシヘゲモニー論やマルクスイデオロギー論を継ぐものといえます。

 しかし、グラムシマルクスにとって、こうした議論は労働者階級の真理に対する認識能力の優位性を示し、またその行動を導くためのものでしたが、フーコーの場合は、原理的に、知と権力は一体のものです。

 となると、フーコー自身の研究を含め、すべての知は真理によって支えられるものではなく、仮に「真理」というものがあるとしても、そこからの距離は不明のものとして相対化されてしまいます。

 そうしたことを認めた上で、何らかの形で研究といえるものを形作ろうとしたのが、従来の歴史学とは異なる、彼の「系譜学」と呼ばれるものです。

 彼は、知と権力(支配)の一体性を「暴露する」効果的な事例として、福祉国家の良き賜物とされる、病院や学校を取り上げました。

 今の若者達、多くの人々には想像もつかないでしょうが、これらの制度(施設)がいかに、目に見えにくいものとなりながら、しかし身近な権力として私達を支配しているかを議論したのです。

 研究者としては、それで結構かもしれませんが、実践や社会運動のレベルでは何が起きたでしょうか。

 また長くなりそうなので、イデオロギーの社会的意味という点から見て、当時社会的エリートともいえた大学生の状況に簡単に触れるに止めます。

 前にも書きましたが、1970年代の東大の文科III類(多くが文学部に進学する)のクラスの中で、「国家権力」などというフレーズを言おうものなら、フーコーを読んでいない、と嘲笑されるのが普通でした。政治的社会的流行に敏感な人々、学生の間では、国家に焦点をあてたような物言いは「旧く」、権力支配は、大学の中、左翼勢力の中にも充満したものとして語ることが、要求されていたのです。

 「身近な権力支配」の分析は、受験競争に勝利したエリート達の学校体験とフィットするものでした。

 そして全共闘運動のある局面では、大学教員の研究室を暴力的に破壊するといった衝動的行動を、みえにくい、得体のしれない支配に対する主体性を回復する運動というような口実を与えてくれて、合理化してくれるものとさえなったのです。

 私のここでの議論は、フーコー思想と社会運動の個々の問題点を直結させ、前者の責任を問おうとするものではありません。

 フーコーと親和性を持った1970年代、1980年代の体制批判と見えた思想や運動が、新自由主義の台頭に対決するイデオロギー的準備を持っていなかった、ということを論じたかったのです。

 次回に、②を論じます。