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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(1)

 もうすぐ憲法記念日です。

 政治情勢はすごい速さで動いていて、しかも、共謀罪辺野古基地、北朝鮮ミサイル発射に対するアメリカの対応、等重要問題が同時的に発生しています。

 私は、そうしたことをまとめて考えたり、他の人に訴えたりするための枠組み、思想は憲法だと思います。

 その中身の理解を通じて、今の憲法が魅力的なものだということを、どれだけ広い人々と共有することができるか、ということが鍵です。

 その点で、憲法における象徴天皇制をどう解釈するか、ということが非常に重要だと思います。

 このことは、このブローグで何回か取り上げてきました。その続きです。

 タイトルで、「象徴天皇制廃止」と述べているのですぐこれを実現する、すべての人々の平等化を図る、と思われるかもしれませんが、急ぎ過ぎてはいけません。「歴史を通じた」ということで私が言いたいのは、時間をかけて、歴史の筋道にしたがって進んでいこう、そうして象徴天皇制廃止、共和制の実現へ至ろう、ということです。

 護憲勢力にとっては、象徴天皇制は過去の残滓であり、右翼が政治利用する危険性を多分に持ったものです。

 したがって護憲運動においては、象徴天皇制は負の意味を持ち、新しくできたすばらしい憲法の中身を支える構成要素としてはあまり触れられないものでした。

 あるいは憲法解釈論として、明治憲法と対比して、天皇が絶対的な主権者であった状態から象徴に変わったという説明があり、天皇が再び権力を持つ状態にならないように警戒を怠ってはならない、という注釈が加えられました。

 私自身は、共和制主義者なのでこうした説明に賛成ですが、でもそれだけではだめだと思います。この説明は、いわゆる憲法の3大原理(平和主義・人権尊重・国民主権)との関連性がありません。

 話が飛ぶようですが、オリンピックの5輪マークや東京オリンピックロゴマークというものがあります。あれらにはたいへんなアピール効果があります。

 シンボル(象徴)、シンボルマークというのは政治的にはもっともっと重要です。

 日本国憲法の第1条は、

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 と述べています。

 この一番最初の条項をどうとらえるか、という問題、象徴をどのように理解するかというのは大問題です。

 テレビや雑誌でほぼ一年中私達は、この「象徴」または象徴の家族の写真やそれに関わることがらを見せつけられています。

 さて、古くから現在まで続く憲法(解釈)論としての焦点は、憲法に明示された国事行為以外の天皇による公的な行為を認めるかどうか、ということにあります。退位に関わる天皇の「お言葉」の中で言及されていた天皇による「象徴活動」は合憲なのかどうか、ということです。

 護憲派憲法学者は、憲法に明示された国事行為以外は認めない、という立場が基本的なようです。

 それに対し私は、結論を先に述べますと、その合憲性の問題への解答は、時間とともにかわってきた--新憲法制定時は憲法明示された国事行為以外は認めないのが正解であったが、現在は憲法の3大原理に基づく象徴活動は合憲であるとするのが正解である--と考えます。

 この変化の区切りの目安を述べるなら、昭和天皇から平成天皇へと代替わりしたことがこの変化に対応します。

  私の主張が、時代が変われば解釈も変えていい、というようなご都合主義ではなく、逆に、共和制主義と護憲を、「歴史を通じて」徹底するためのものであることを説明しようと思います。

 1945年の敗戦によって、日本が新しい民主国家に生まれ変わったことを内外に宣言したのが、1947年5月に施行された新憲法です。

 この時は、その時まで(国内的には)絶対権力者であった天皇が「象徴」に変わった--つまり、権力としては無力化された--ということが、内外に対して示された最も大事なポイントでした。天皇の無力化と新憲法の3大原理は自ずとセットで理解されるものでした。

 他方、もし天皇が完全に無力化されれば、象徴としてすら残されず、つまり完全な共和制が実現していたでしょう。この意味では、象徴としての天皇が残されたのは、共和制支持勢力天皇制支持勢力の妥協の産物であり、それは昭和天皇自身の希望、妥協を含んで形成された合意です--新憲法は旧憲法の改正という形式によって成立していますから、このことは昭和天皇の合意を形式面でも示しています。

 それにしても、今まで絶対権力であったものが、象徴に変わったわけですから、共和制主義勢力にとっては、基本的な勝利が得られたといえます。

 この新憲法の立法意志から言えば、第1条は、天皇の無力化が主旨だったのですから、天皇の影響力を厳格に制限することは当然で、そのために、第7条における天皇の国事行為の列挙が、それ以外の公的行為の禁止を意味することは、ごく当然の憲法解釈であったというべきです*1

 新憲法における象徴天皇制に関わる条項の機能としては、いわば現人神とされ、戦争責任の核にあった天皇を無力な人形のようなものとすること、が意図されていたというべきでしょう。

 仮に、この条項が厳格に運用され、そしてそのまま、無力化が徹底され、共和制憲法制定へと進んでいれば、議論は必要なかったのですが、現実の歴史はそう単純には進みませんでした。

 政府は、国会開会式における「お言葉」を始めとして、様々な憲法に規定された以外の不適切な公的行為を行わせました。

 私は、そうした公的行為は、昭和天皇の側が憲法の規定を盾に拒否することが可能であったと考えますが、彼は拒否しませんでした。

 昭和天皇自身も統治者的な意識が連続していたこと(1947年の沖縄の米軍占領継続を望む「沖縄メッセージ」など、明らかに憲法違反に類する行為を犯している)、様々な範囲の周囲の者達も、戦前からの天皇制の習慣・言動をできる限り維持することを望んでいたことがあるでしょう。

 特に国会の開会式における天皇の「お言葉」は、天皇の無力化という憲法によって明確化された歴史的課題から見れば、倒錯的なものであったといえますが、しかし、国会という国民主権が最も徹底されるべき場において、共産党を除いたほとんどの野党議員もそれを問題にしてきませんでした。

 ただ事実問題として、新憲法の下で、昭和天皇の権力は無力化され、時間の経緯とともに、そうした無力化がほぼ確定すると、憲法第1条の天皇を象徴化することの意義は、自ずと戦前の絶対的権力の否定、無力化ということから、象徴としての積極的な意味の付与へと変わってきます。

 特に、昭和天皇から平成天皇に代替わりした以降には、天皇の権力としての無力化という課題はほとんど意識されなくなりました。

 憲法解釈の問題として現れてきたのは、何故、天皇を象徴化するのか、という問題です。

 それは、以前は天皇が絶対権力だったから、それを無力化するために象徴化したのですが、もうすでに無力化されたわけですから、無力化を理由とする象徴化の必要はなくなります。積極的に、天皇世襲化された天皇を象徴化することの説明が必要となります。あるいは、過去との対比においてではなく、現在において象徴ということの中身が積極的に何なのか、ということが問題となります。

 若い人が、憲法の最初の第1条を読んで、普通に感じることは、象徴って何?ということではないでしょうか。

 私は護憲の立場に立つ共和制主義者として、日本国憲法の中とそのあり方のこれまでの経緯に、このような現在的な意味で、天皇世襲化された天皇を象徴化することの理由と同時に、そうした象徴天皇制を廃止して、完全な共和制へと移行していくための歴史的展望を見いだしたいと思います。

 そうした展望を提供する鍵は、憲法を生み出した歴史的経緯と憲法の人権論です。

 次回に続けます。

 

*1:横田耕一「制憲前後の天皇像--象徴天皇制の解釈における〃連続性〃と〃断絶性〃序説--」(法政研究. 45, (1), pp. 26-64, 1978. 九州大学