hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(2)

前回の続きです。

日本国憲法の第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 には、重要な論点がいくつも詰まっています。

 私の主張を加えながら、その論点を先に羅列します。

天皇も国民の一人であり、人権を有する。 

②しかし、この第1条は、天皇(家)を除いた国民(主権を有する国民)による、天皇という特殊公務員の職務の存在・基本内容を示した、一方的な宣言である。

 一方的というのは、この職務の存在・基本内容は、主権を有する国民が一方的に決定するということ、天皇との交渉事項ではない、ということである。 

天皇になる資格のある者(天皇有資格者)で、かつ天皇になる意志のある者が、天皇になる。この資格の一つは、憲法尊重であり、当然この第1条尊重が含まれている。

 したがって、第1条は事実上、天皇になった者と主権を有する国民との間の契約という性格も持つ。 

④在位天皇の死去あるいは退位によって生ずる天皇有資格者は、憲法にしたがって職業選択の自由という基本的人権を有するから、天皇にならない自由を有する。

 このコロラリーとして、天皇は退位の権利を有する。ただし、先に述べたように、天皇の役務への就任は(労働)契約の成立を意味するから、退位も契約内容に拘束される。

 退位に関わる契約内容は、本来的に当然天皇の役務への就任契約の事前に示されるべきものであり、皇室典範に定められるべきである。  

天皇有資格者が、就任の意志がないことを表明した場合、次の有資格者の就任意志の有無が問われる。

 最終的に有資格者が存在しなくなった時は、象徴天皇不在となるが、実質的な国家運営に困ることは全くない。

 そのまま、名実ともに共和制へと移行することもできるし、有資格者を改めて、決め直すこともできる。

 しかし重要なことは、仮に、天皇有資格者以外の国民の総意として「象徴天皇を有したい」という意志があったとしても、それを有資格者が受け入れることを義務化することはできない、ということである。 

⑥現在、退位の問題と関わって、天皇就任の潜在的有資格者の減少について、懸念する声がある。懸念する自由は誰にでもあるが、有資格者がいなくなってしまうこと、象徴天皇制が廃止されることは、この憲法の基本的な性格を変えるものではない。

 このことは、憲法学において、「憲法の3大原則(平和主義・国民主権・人権尊重)の変更は、憲法改正限界を超えるが、象徴天皇制の廃止は、憲法改正限界の中にある」という形で表現されている。

 言い換えれば、象徴天皇制廃止(あるいは象徴天皇不在状況)は憲法原則上あってはならないことではない。したがって、議論をいつも必ず当然の如く「どうしても天皇有資格者を十分に確保しておかなければならない」というところから始めるマスコミのや「識者」の論調は憲法論の視野を狭めるものである。

 

 以上で述べたような、天皇という地位・職務の契約による特殊公務員としての性格は、昭和天皇から平成天皇への代替わりによって明確になったことと言えます。

 何故なら、昭和天皇の場合は、結果としてはこの特殊公務員の地位に就いたわけですが、その以前は絶対的権力者であり、その権力を占領米軍によって取り上げられるという歴史的条件の中で、基本的に占領米軍との交渉を通じて得た地位です。

 その際、占領米軍側にとって重要なことは、天皇の絶対的な権力を実質的に奪うことであり、天皇の側にとって重要であったことは、天皇の支配の外見が持続することを制度的に確保し、それによって、天皇の戦争責任への追及を回避したり、財産の保持や経済的な国家への寄生を持続し、社会的なプレゼンスや権威を護る、という実質的な利益を少しでも可能にし、増大させることでした。

 象徴天皇制は、この両者の妥協的合意を反映しますが、基本的にこの制度の実質的な立法者としての米軍の意図と力によって作られるものとなりました。

 前回述べたように、この時点での象徴天皇制の焦点(中心的な機能)は、昭和天皇から絶対的な権力を剥奪することにありました。

 さらに憲法は国会での議論と議決を通じて成立しますが、この象徴天皇制の焦点(中心的な機能)が天皇から絶対的な権力を剥奪することにあったことは同じです。

 これに対し、平成天皇はすでにある新憲法の枠組みの中で、天皇に就任するということを選択して天皇になっています。

 このことは、平成天皇が就任時に、「国民の皆さんとともに憲法を護る」という意味のことを宣誓したことに表れていて、これによって、国民との契約が成立したといって良いでしょう。

 そこで、本来、象徴天皇の職務内容が問題となるのは当然であり、自然なことでした。

 

 実際、当事者たる平成天皇は、この問題を熟考した上で就任し、その後も熟考を重ねてきたように思います。

 ところが護憲派憲法学者は、基本的に、従来の見解を踏襲するままだったのではないでしょうか。

 (私は正直なところ、憲法学界のことは全く知りませんので、間違いであればご指摘ください。訂正します。)

 さて、上記で羅列した論点には、この職務内容の問題--象徴とは何か--がまだ含まれていません。

  私は前回、平成天皇がいう象徴活動が「憲法3原則に基づいていれば合憲である」と述べました。 

 また、かなり以前のブローグで、象徴天皇制のキモは、「象徴」と「世襲」にあると指摘しました。

 次回に、憲法第1条のいう象徴とは何か、という問題に焦点を当てて、これらを論じていきます。