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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 VIII (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(10))

 今回は、話を急いで、憲法の「訳」の問題を扱います。

 と言いつつ、またまた横道に逸れます。

 私は、このブローグでレビィ・ストロース等の構造主義について批判的に触れたことがあります。

 他方、私は歴史構造主義的アプローチを行なっています。これは、ありか?と聞かれれば、これはありなのです。

 何故、構造主義はだめかというと、それは極端でそこが売りなのです。そうすると、奇妙なこじつけが始まります。

 他方、歴史構造主義は、常識的な話で、哲学的に言うと「素朴唯物論」です。そこがいいのです。

 「素朴唯物論」と「高級唯物論」はどう違うのか?と言うと、私は、哲学的には同じものと思っています。「高級唯物論」は、時間をかけて、ああだこうだと議論した結果、「やっぱり素朴唯物論だよね」と言うものです。でもそういうと、せっかく議論したかいがないし、これをもったいぶりたいので、「我々のは素朴唯物論ではない」と言うわけです。

 さて「訳」の問題に戻りますが、私の歴史構造主義的アプローチが数式っぽいものを使ったので、これも何か、もったいぶりたいのだろう、と思われるかもしれません。

 そうではなくて、常識的なことを常識的に整理するとこうなるのです、というのが私の式の意味です。そして、それが、この「訳」の問題においてどれほど役立つものか、やっと、具体論に入ります。

 英訳日本国憲法では、the state、government、the people、nation、japan、land、countryという言葉が出てきます。

 私は、近代国家固有統合体として、

Modern<<spg>>=<<sn>>  <<n>>=<<pg>>

 という表現をしました。上記の言葉との対応関係は、

  s: the state, government

  p: the people

  n: nation, the japanese people, the people of japan

  g: japan, land, country

です。

 ここで、日本語への訳を行なうとすると、だいたいのところ、the stateには、国を、the peopleには、国民を当てればよく、実際に、日本国憲法はそのようにできています。

 ところが、さらに訳を進めようとすると、3つの重要な問題に留意する必要が出てきます。留意点の第1は、主権在民によって生じたこれらの言葉の持つニュアンスをどのようにくみ取るのか?と言うことです。そしてこの問題と密接に関連して、第2は、nationおよびgovernmentをどのように訳せば良いのか?という問題が出てきます。最後に、第3に、これの言葉やその組み合わせは、単に、そうした要素やその組み合わせをいつも意味しているのか、そうではなくて、その言葉やその組み合わせによって代表させた近代国家固有統合体を表している場合もあるのではないか、という問題です。

 問題を先の枠組みで整理します(以下の各記号は、厳密には<<>>で包む必要がありますが省略します)。

 ・Pを、主権を持ったpのこととします。

 ・(s)を主権在民下にあるsとします。つまり、(s)は、共和制国家のことです。

     (s)の説明--近代国家sは、常に主権を行使しますが、主権在民の下では、Pによる信託の下に、これを行使します。そのことを( )で表しています。このような国家の典型が共和制国家です。

     

 

 そうすると、共和制近代国家固有統合体は、次のように表せます。

 

Republic<<spg>>=<<(s)N>>  

<<N>>=<<Pg>>

 

  まず問題になるのは、日本国憲法は、象徴天皇制を規定していますから、上記の式に当てはまるのか?ということが疑問として出てきます。

 結論を言うと、当たり前の話ですが、象徴天皇制以外の部分は、すっきりと上式にあてはまり、つまり共和制的近代国家固有統合体して理解できます。

 <私の憲法論>シリーズの目的がもともと、象徴天皇制を議論することにあったのですから、延々と議論しながら、訳の問題まできて、まだ象徴天皇制に辿り着かないのか、と言われると困るので、述べておきます。

 すぐに、そこに向かいます。

 訳の問題を何故設定したかといえば、そして、歴史構造主義的アプローチの枠組みの助けを借りることにしたかといえば、いかに日本国憲法が、限りなく共和制近代国家固有統合体に近いものを規定しているか、ということを明確にしたかったからです。そして、そこから、象徴天皇制との「矛盾」を理論的に議論することを可能にして、憲法第1条を厳格に解釈したかったからでした。

 というわけで、共和制近代国家固有統合体のモデルに基づいて、日本憲法の訳を見ていくことにします。

 先に述べた3つの留意点を頭におきながら作業を進めます。

 まずthe peopleですが、英訳日本国憲法では、冒頭にsovereign power resides with the peopleとありますので、その意味で、この憲法すべてに単独で現れるthe peopleは、主権を有する国民のこと、つまり、大文字のPを指していると理解できます。そしてもちろん、英訳日本国憲法の中でそうした一貫性が保たれています。

 では、このPをどのように日本語訳すべきでしょうか。

 日本国憲法では、だいたい機械的に「国民」という言葉を当てはめています。

 この大文字のPの訳として、「国民」がふさわしいか、例えば人民がふさわしいのか、という議論もありますが、ここではその問題には立ち入りません。

 ともかく、英訳日本国憲法のthe peopleとの機械的な対応があり、したがって、英訳日本国憲法の場合と同様に、日本国憲法の中でも、主権を有する国民であることの理論的一貫性が保たれています。

 次に、the stateです。これも、英訳日本国憲法の中では、(s)としての理論的一貫性がある形で現れます。the peopleがPなのですから、当然です。

 ところが、注意して日本国憲法でのthe stateおよびthe peopleの対応を検討しますと、単に「国」というのではなく、「日本国」と「日本」が加わっている箇所が、それぞれ1カ所づつあります。

 それが、第1条です。英訳日本憲法と、日本国憲法のその部分を並べます。

 

The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people,

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・

 

 

 これは、英文でも日本文でも、今まで議論してきたような知識や留意があれば、結局のところそれほど違わない、うまく訳されているということがわかります。

 しかし、それぞれ詳しく議論する価値が十分あること、そうした作業が、そもそものこのシリーズの目的に沿ったものであることを示していきたいと思います。

 まず、後者を見ましょう。

 最初の「日本国」というのは、先に定義したRepublic<<spg>>を<<sg>>という表現のみで、代表して表したものであるということは、比較的容易にわかります。

 これを次のように表現しておきます。

<<(s)Pg>>⇨ (s)g : 日本国

 

⇨ (s)gという記号の意味は、「(s)gが、そのまま、共和制近代国家固有統合体を表す場合もある」と言うことです。ここでは、(s)gは、「日本」という地理的表現と「国」という共和制的国家の組み合わせ、つまり「日本国」です。

 日本国憲法全体で、「日本国」というのは、例外なく以上の意味で使われています。

 この典型で最初に出てくるのが、「日本国憲法」における「日本国」ですね。

 このような代表的表現は、共和制近代国家固有統合体を、その代表した側面--(s)g、つまり「日本国家」--を強調しながら表現したものと理解できます。

 つまり、最初の部分は、「天皇は、共和制的国家固有統合体の主に日本国家の側面の象徴である」といっていることになります。

 こうしたことを念頭に、次の「日本国民統合の象徴」とは何だろう、と考えます。するとこれは、だいたい共和制的近代国家固有統合体のことを、「統合」という言葉で表したものではないだろうか、そして、その共和制的国家固有統合体の特に「日本国民」の側面を強調した表現ではないかと察しがつきます。

 私はこのシリーズの中で、すでに、日本国憲法のこの対応部分(日本国民統合)は、国民統合体を意味しており、それは国民のことだ、というようなことを書いてきました。

 そこで言ったことを、厳密に検討、表現し直しそうとしたのが、ここまでの歴史構造主義的アプローチの枠組みです。

 それを、使って、

 

<<(s)Pg>>⇨ Pg : 日本国民統合

 

と表せます。

 今までを合わせれば、「天皇は、共和制的国家固有統合体の国家的側面と国民的側面の象徴である」と言うことになります。

 かなり、すっきりとした整合的な解釈になっていると思います。細かい言葉づかいの問題の検討は、今は省略しておきます。

 ただ、日本国憲法のこの部分には、日本語だけで考えると「統合」という言葉の居座りの悪さが、どう解釈しても残るような感じがします。

 そして重要なのは、日本語で「天皇は、日本国民統合の象徴である」と言うと、「天皇は、日本国民統合の<ための>象徴である」というニュアンスが、意識していないと混入してくる可能性がある、と言うことです。

 そうした解釈は許されません。そうした解釈が許されない、ということが、これまでの長々とした議論で示してきたことの一つであるつもりです。

 そうした間違った解釈が入り込まないように、例えば、「国民統合体」と「体」を入れておけば、象徴される「日本国民統合体」は、象徴される以前に、すでに統合された存在であることがより明確です。そこで、私は以前に私の解釈として、そうした置き換えを行なったのです。

 次に、英文を見ましょう。

 

The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people

 

となっています。

 

“The Emperor shall be the symbol of the state”

は、素直に、”The Emperorがthe symbol of (s)である”、と読めます。

他方、問題は、

 

“The Emperor shall be the symbol of ・・・the unity of the people”

の”the unity of the people”です。

まず、これもすぐに、the state と(the unity of) the peopleが並列された構造的な枠組みと対応しているらしいことが察せられます。

 そうすると、さらに、ここでのthe peopleが大文字であったこと、つまり、Pであることが想い起こされ、(さらに対としてのthe stateも(s)であったことも想い起こされ)ます。

 では、the unity of the Peopleとは何でしょうか?

 前回、フランス人権宣言の香りが、日本国憲法前文からしてくることに触れましたが、このunityには同じくフランス革命が惹起した「国民統合」という問題に対する重要な関心が、引き継がれています。

 つまり、フランス革命で提起されたla Nationというモデルは、さらにl’Unité nationaleという課題を含んでいたことが、意識され、議論されるきっかけとなったのです。

 

 これは、フランス革命時(1793年)のポスターですが、

   「共和国の統一性unityおよび分割不可能性indivisibility・自由・平等・博愛よ、永遠なれ!」

と呼びかけています。

 

 

 

 la Nationには、主権の問題が核心にありました。ただ主権という時、その意識は当初、上下の関係に向けられたものであり、人々の上にあって主権を握っていた絶対君主から奪うことへの意識が中心でした。ところが、革命の進展は、上からの主権による統治が横の結合をも保証していたこと、上からの主権が崩壊しつつある時、横の連帯を自ら作り上げていかなければならないことを明らかにしていきました。

(西川長夫1992「国民(Nation)再考 ―フランス革命における国民創出 をめぐって―」『人文學報』 70: 1-22)

 

つまり、このunitéをも実現したla Nationこそが、十全なla Nationです。

 

すなわち、フランス革命の文脈では、

 <<(s)Pg>>⇨ N : la Nation,  l’Unité nationale

 

 つまり、英訳日本国憲法に戻ると、上下関係の権力を示す(s)と横の連帯を示すthe unity of Pは、ともに共和制的国家固有統合体を表すものですが、それぞれ、(s)の側面と、Pの側面を強調して示すものです。

 

 そうしますと、英訳日本国憲法でも、日本国憲法の場合と同様に、the stateや the unity of the peopleが、単に、共和制的国家固有統合体の要素としてあるのではなくて、それら自体が、それぞれ、共和制的国家固有統合体の全体を表すものであること、すなわち、

 

 <<(s)Pg>>⇨ (s), P : the state, the unity of the people

 

という構造を持っていることがわかります。

 ところで、このような形で、the stateという単語に、共和制的国家固有統合体の意味を持たせているのはここだけであることに注目すべきでしょう。同じく、the unity of the peopleという言葉が出てくるのはここだけで、それに共和制的国家固有統合体の意味を持たせているのはここだけです。(the peopleという単語だけで、共和制的国家固有統合体の意味を持たせている箇所は一つもありません。)

 それだけ例外的な使用法が、この第1条だけにおいてなされているのです。

 それは、この条項が象徴天皇制を規定することからくる特殊性であって、この解釈においては、以上行なってきたような歴史的な要素を入れる必要があります。

 しかしこれまでのところ、私の方法では、あいまいな伝統とか、あいまいな「象徴」論が、入り込むことを徹底的に排除するよう努めてきました。そして、私自身としては、その意図はいい線をいっていると思いますがどうでしょう。

 長くなったので、次回にします。