hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 IX (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(11))

 5月19日(金)に、共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決されました。

 こういうことがあると、私の頭の中は、グジャグジャになります。

 すぐれた運動のリーダーは、自分や周りの人々の怒りの感情を、運動の継続や次の運動のための戦略や戦術をたてていくエネルギーに変えていくのでしょう。そこには、直感的な形にせよ、理論的な感覚も強く働いてるに違いありません。

 私の場合、実践的・理論的な問題に関する感覚が、言語化される前の段階で、鋭敏になります。文章にして書き留める以前の状態のまま、ただ頭が冴えて、いろんな概念らしきものが右往左往する、という感じ--つまり、頭の中がグジャグジャ、と言うわけです。

 このグジャグジャを整理します(グジャグジャの要素を羅列的に書き出します)。

 ①国会前の集会参加と「国民の総意」の関係。

 ②統一戦線とは何か。定刻に帰宅はありか。斉藤美奈子氏、村上春樹氏のこと。

 ③国際連帯のこと。フランス人権宣言と日本国憲法

 これだけでは、何のことだかわからないですよね。

 もともとこのブローグは、戦争法の成立を阻止したい、という目的に向かって、少しでも多くの人との連帯を作りたい、という思いから始めたものです。

 ですから、自分の考えを理論的に整理しようと言うことと、安倍ファシズム政権を一日も早く倒そうという政治目標は、最初から一つのことでした。

 事態が深刻になるほど、自分が国会前の集会に参加してくることと、理論的な問題がどのように関係しているのか、ということについて、考えざるを得なくなるのは当然のことです。

 しかし、こんなに頭の中がグジャグジャになってくるとは、予想しなかったことです。

 ①は、集会参加やデモの意味を、ちょうどこのブローグの現在のシリーズで扱っている、憲法第1条の「(天皇の)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」にある「国民の総意」との関係で、どのように整理できるか、という問題です。

 ②は、このブローグで以前、私が主張してきた「統一戦線」の問題を、やはりこのシリーズで扱ったばかりのフランス革命などのunity(統一)の問題と関わらせて、整理したいと言うことです。

 「定刻に帰宅はありか」と言うのは、ちょっとわからないと思います。私は、強行採決の夜に抗議の国会前集会に参加してきました。18時半から20時半くらいまでだったでしょうか。

 翌日のツウィートで、あれっ、という感じのものがありました。すぐに削除されたので、書いた人も、やはりどうか、と思ったのだろうと察します。

 内容の大意は次のようなものでした。

 「通常の組合の賃上げ交渉とは違って、定刻出社、定刻退社は、どうかと思う。夜を徹しての座り込みこそが本物だ。そうして、重大事態を訴える心が、国民に伝わる」

 国会前の集会は、主催団体が後半から学生達が中心の元SEALDsの「新しい公共」が主催と切り替わりました。

 このツウィートは、主催団体が切り替わったところで帰った人達に対する批判となっています(と感じてあれっ、と思ったわけです)。

 運動というのは、具体的レベルになると必ずと言っていいほど、こういったことがネックとなって妙な言い合いとなり、しばしば、大きくエネルギーを割かれる事になります。

 結論を言えば、やはり、このツウィートは、最初の一文は全くいらないことを書いています。

 連帯、統一、団結と言うのは、自発的なもので、他の人を批判するためのものではありません。

 そもそも最初の2人だけは、連帯の「最初の2人」と言えますが、それ以外の人は「必ず遅れてやってくる」のですから、たまたま自分が相対的に先だからといって、大きな顔をしてはいけません。

 また早い、遅いというのも、あるいは定刻出勤、定刻退社というのも、それぞれ事情があるのですから、表面だけでものを言っていたら、連帯なんか成立するわけがありません。

 私は、統一戦線と言うのは、勝つと言うところから、逆に考えていくものである、というようなことを書いた事があります。

 下手をすると、勝てばいいから手段を選ぶな、ということにとられるかもしれません。

 そうではありません。問題の深刻さを共有する者が広がると、当然その共有者達の中での意見の相違が増えるし、場合によってはそうした中での対立が大きくなってしまいます。

 その時に、問題の深刻さの克服を第一に考える、そのために連帯する、と言う事が、「統一戦線は勝つということろから考えていく」と言う事です。

 そこにはさらに、最近斉藤美奈子氏が東京新聞に書いていたコラムのことが、一つの切っ掛けとしてあります(そのコラムでは、村上春樹氏も登場します)。 

 それについては機会を改めます。

 ③は、5月3日の憲法集会やその後のやはり国会議員会館前の集会だった思いますが、韓国でのろうそく運動で、新大統領を生み出したリーダーの挨拶がありました。

 すばらしいですね。こういうのを、もっとやるといいですね。

 私達の日本国憲法は、一番最初の価値に関わる部分は、「諸国民との協和」というものです。

 このことの意味を、憲法の構造の問題と関わらせて考えたい--これも、機会を改めてやります。

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 そこで、今回は、①の問題を、憲法の構造を意識しながら、議論します。

 憲法第1条で、「(天皇の)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」にある「国民の総意」とは何でしょうか?

 この問題一つでも、私の頭はグジャグジャになりそうです。

 フランス革命、ルソー、フランス人権宣言、メキシコ憲法、五日市憲法植木枝盛憲法案、立憲主義、・・・

 

 私の答えを先に書いておきます。

 

<私の結論> 

  A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)

         ⇩

       (国民)の総意      

Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。

               

  B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。

       ・主権の存する国民

       ・憲法にしたがう限りで、統治権力の行使が可能な国家

       ・国民の総意による象徴天皇制の存在 

 

   おそらく、こんな風に結論をメモしても、よくわからないでしょうし、あるいはかなり説明しても、なかなかわかっていただけないかもしれません。

 それは、日本の教育、あるいはさらに日本の文化の問題に関わってくるような気がします。

 私の受けた憲法教育は、昔のことであまりよく覚えていませんが、一言でいって平面的、あるいは羅列的なものだった思います。

 つまり、憲法の3原則(平和主義・人権尊重・主権在民)を羅列的にどれもが大切なものであることを説明し、戦前の大日本帝国憲法と比較して、これらの原則は全部なかったか、逆転的に大きく変わったということでした。

 しかし、本当は高校生くらいからは、立体的、構造的に憲法を教える必要があります。

 特に2015年の戦争法の時に、立憲主義という言葉が出てきました。

 私自身は、学校では習っていませんでしたが、2015年よりかなり前に、組合の仕事をやったり、メキシコの憲法およびそれに関わる問題を読んだりしながら、憲法が他の法律と全く異なる性質を持っていて、憲法の役割は、他の法律を成立させ得る範囲を規定するものだ(したがって、当然政府の行為も憲法の規定する範囲以上のことはできない)、憲法に明示的に記されていないことについての立法は許されない、といういわゆる立憲主義の理解に到達して、なるほど、と思ったことがあります。

 立憲主義的理解は、私が構造的にとらえる、ということの一つです。

 私は、構造的理解があった方がいいと思います。その理由は、ここまで議論してきたような象徴天皇制を議論するためには、それはあった方がいいどころか、必須だからです。

 しかし、それはさらに、「集会やデモで政治が決まったら困る。選挙でやってくれ」というホリエモンの攻撃にどう答えるか、といった非常に重要な実践的問題にも関わってくることです。

 普通、私達は直感的に私達の権利の大切さ、それを行使することの大切さを知っています。

 攻撃に対しては、攻撃する側が、私達の行動に脅威を感じているからだということを、やはり直感的に見抜きます。

 そういう意味では、あまり理屈を言わなくても、困ることはありません。

 とは言っても、何で国会前で集会をするのか、もっと人の多いところでやったらいいのか、これをどのように選挙の問題(野党共闘とか統一戦線)とかと結びつけるのか、といったことを考えることは意味のあることです。

 私達の行動の意味を、私達自身がより深く理解することは、有意義であることは言うまでもないでしょう。

 そういうわけで、「国民の総意」とは何かについて、私なりの構造的な理解を、上記に示した結論に沿って説明します。

 と言いつつ、その説明に直接入る前に、恐縮ですが、まだ構造的な理解の「能書き」のようなこと、というか、そうした観点から興味深いエピソードのような話を続けさせてください。

 日本国憲法の民主主義的な源流として、明治期の植木枝盛憲法案や五日市憲法案が知られています。

 これらをざっと見ただけでも、今から100年も前にこうしたことを熟考し、記し、著した人がいること、それらを生み出す何らかの背景がしっかりと存在したことには、感動を覚えます。

 ところが、私が不思議に思うことの一つは、これらの憲法案には、人民の権利の根源がどこにあるか、ということがどこにも書かれていない、と言うことです。

 それらは、いずれも天皇が、歴史的な権威を根拠を持つ者として、国帝あるいは皇帝として君臨することを認めていました。

 では他方、それらの憲法案において、人民の権利は従属的で弱々しいものかと言うと、そうではありません。

 例えば、五日市憲法案の第71条では、「政治犯を死刑にすることの禁止」を規定していますし、植木枝盛憲法第72条に至っては、「人民の自由権利を破壊するような政府に代えて新政府を樹立する権利」まで謳っています。

 このような意識、考えは、当時の自由民権運動の意識、思想、理論と当然関係あるでしょうし、例えば、有名な福沢諭吉の『学問のすすめ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」といったものが浮かんできます。

 ところが、ともかく憲法案自体の中では、そうしたもの--人民の権利の根拠、原理--は出てこないのです。

 そこで考えてみますと、実は、日本国憲法にも、様々な権利の根拠、根源というものを探そうとすると、直接的には、前文にしかないことに気付きます。

 ですから、日本国憲法の前文は、この憲法を構造的に理解する上で、決定的に重要なものです。

 他方、大日本帝国憲法は、前文がありません。

 しかし、その第1条と第3条で、天皇の歴史的権威とその不可侵性--つまり天皇の権利の根拠、とその権利の原理性--を規定しています。

 形式的にみますと、日本国憲法は、その大日本帝国憲法の改正であって、実際にも非常に似た章立てとなっています。

 ですから、日本国憲法も、形式的には、前文がない方が対応します。

 日本政府側は、新憲法の革命性を少しでも見えないものとしたかったので、GHQ原案にあった前文を削除しようとしたのですが、それに気づいたGHQ側に拒否されました。 

 GHQ日本国憲法の草案を作成した人々は、もちろん、この前文の重要性を強く意識して、それを作成、加えたに違いありません。

 「もし、あの前文がなかったらどんなことになっていただろうか?」と思うと同時に、「いやそんなことはあり得ないだろう、あの憲法にとっては心臓であり、魂でもあるような部分なんだから」と、歴史の偶然と必然に想いが至ります。 

 次回に、「国民の総意」の本論を論じます。