<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 X (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(12))
コメント、ありがとうございます。
どこらへんが、分かりにくいですか。できる限り、工夫します。
天皇の怒りの件、私の議論は、そうした件にすごく関わるのですが、延々と外堀を埋めるような作業で、そこに届いていないですね。
ただ、私はずいぶん前に、象徴天皇制は、奴隷制天皇制ではない、退位は「雇用条件」を守ることを前提に、権利である、という意味のことを言っています。
国民あるいはその代弁者(専門家?)は、天皇の希望とは無関係に(関係させることもできる)、対天皇という関係では、一方的に、雇用内容、雇用条件を決定することができます。
天皇は、国民によって雇用されている特別な公務員なのですが、雇用条件についての交渉権を持たないのです。
しかし国民の側においては、その雇用条件が、例えば、天皇がロボット(=奴隷)のようであれ、という、右翼と左翼の共通の主張(憲法解釈)が正しいのか、という議論が必要でしょう。
私は、逆説的ですが、天皇自身--「当事者」ではあるが、交渉権を持たない--による憲法解釈は、あるべき憲法解釈をめぐって、我々が参考にすべきところが多くあると考えています。
なるべく早く、そこに行き着くようにします。
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前回、「国民の総意」とは何か、と言うことについて、私の結論を次のように示しました。
<私の結論>
A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)
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(国民)の総意
Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。
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B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。
・主権の存する国民
・国民の総意による象徴天皇制の存在
この問題は、憲法第1条の「象徴天皇がんじがらめ構造論」の重要な部分なので、ちゃんと議論しようと思っていましたが、つい私にとって面白い関連話が多くてそっちに逸れたりしながら、まだちゃんと議論ができていません。
ただ私自身も、これまでの精査したり、あるいは、あっちこっちへ寄り道しながらの議論によって、憲法第1条は、非常に重要で、特別な含意(構造)を持っていることが、わかってきました。
例えば、前回、憲法において様々な権利・権力の根源を扱っているのは、「前文」だけだと言いましたが、それは、少し不正確かもしれません。
仮に、「前文」がなかったとすると、この第1条に現れている「主権の存する国民の総意」という表現が、様々な権利・権力の根源を扱ったものというべきだろうと思います。
ところで本題に戻って、では、この「国民の総意」とは何でしょうか?
これは、ルソーの『社会契約論』に出てくる「一般意志」のことです。
いわゆる民主主義国の憲法原理は、基本的にルソーの「一般意志」の理論に則ったものといって良いでしょう。
となると、またしても壮大な回り道になりかねませんが、このルソーの本の言っていることをどのように理解するか、という議論が必要ということになります。
ルソーの『社会契約論』を読むと、かなり社会科学的な知識を持っている人でも、わかったようなわからないような気分になります。
手元にあるのは、桑原武夫・前川貞次郎訳の岩波文庫で、訳者の一人とされる河野健二の解説を読んでも、なかなか難しいですね。
ネットで色々探しても、「そうか、わかった」という感じのは見つかりません。
しかし、一度ルソーの問題設定を理解できると、あの本自体を読めば、それがとても理論的体系的に書かれていて、何が言いたいのか、「一般意志」とは何か、はっきりと理解できると思います。
少なくとも私自身は、「はっきりと理解できた」気分です。
ルソーの設定した問題というのは、「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」ということです。
彼の答えは、Yesで、そのことを綿密に論証したのが、社会契約論です。
人民主権の国家が存在しないところで、そんなことを言えば、権力者たちから政治的迫害に逢うのは当然で、河野健二の解説では、不遇な晩年であったことが記されています。
今の民主主義が当たり前、というような環境では、何でそんな議論が必要か、ということになるかもしれませんが、ともかく、日本国憲法第1条理解には、この議論は必要です。
しかしそれだけでなく、ルソーやフランス人権宣言、日本国憲法における一般意志の問題は、安倍ファシズム政権だけではなく、今日の世界各国におけるファシズム的政権の成立を批判的にとらえるためにも、議論する価値のある問題です。
「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に対する答えとして、Yesが当たり前かどうか、当時の人々の立場に立って考えてみましょう。
国王が支配する環境で、人民は、様々な権利を勝ち取っていきます。その延長線で、人民自身による支配することを構想するのは「当たり前」でしょうか?
後で触れますが、ロックはこの延長線の一つの「解」である抵抗権という考えを提出します。しかし、抵抗権思想は、人民自身による支配の国家構想の「理論」とはいえないのです。
マグナカルタが作られたのが13世紀です。それを国王に対する人民の権利の獲得の最初の例と考えますと、ずっとそのパターンが続き、アメリカ独立やフランス革命等の、人民自身による支配の国が出てきたのは、500年以上も後のことです。
革命思想家が、人民自身による支配の国家の建設を訴えても、「そりゃ無理だよ。人民って言うけど、色んな意見や利害があるでしょ。国家としてまとまらないと、外から攻撃されるかもしれないし、人民の中も言うこと聞かないやつが出てくるでしょ。どうやってまとまるの?無秩序になっちゃうよ」という体制派による「反論」は、説得力があったのではないでしょうか。
私が言いたいのは、上のパラグラフで言ったようなことが、知識人の間で直接に表現され、議論された、ということではありません。
私自身はそういうことを研究している人間ではないので、それにあたるようなことが、どのような文書にどのような形で現れている、というようなことは全く知りません。
しかし、当時の知識人達の議論の中に、そうした問題意識、問題の設定の仕方が実質的なものとして潜伏していたと考えるのは、自然なことのように思いますし、そう考えると、ルソーの議論がよくわかるのです。
まだ現実に存在しない、人民自身による支配の国家が可能であることを論証する、という作業は、とてもたいへんなことです。
そのルソーのYesの解答の鍵が、「一般意志」です。
そしてその解答は、当時の革命家や知識人にとって、とっても説得力があって、なるほど、こうすれば(このように考えれば)、人民自身による支配の国家が可能なのか、と急速に広がり、採用、実践されていったわけです。
ところで、ルソーの『社会契約論』は、1762年に出版されました。アメリカの独立宣言は、1776年、アメリカ憲法草案は1787年にできあがったとされています。
ですから、ルソーの議論がアメリカの独立思想や憲法に影響を与えてもおかしくないように思いますが、通常は、そのような指摘はなく、ロックの人権思想の影響が語られています。
フランス革命がフランス人思想家に大きな影響を受け、イギリス植民地の独立がイギリス人思想家の影響を大きく受けることは、当然と言えます。
ただそれだけでなく、フランスでは、大陸合理主義の理論志向の伝統を体現している知識人達が重要性を持っていて、政治的現実においても、理屈っぽい議論が必要でした。だから、ルソーが出現し広がったのです。
他方、アメリカの独立をどのような思想が支えたのか、という問題にはアングロサクソンのあまり理屈っぽいことを言わず、実践で解決すれば良い、という知的伝統--大陸合理主義と異なる--を感じます。
先に触れたように、ロックの国王に対する抵抗権という考えは、人民が国王から権利を獲得していくというパターンの延長線上の極にあるものと言えます。
ただそれは、通常の秩序における国王の存在を前提とするものであって、形式的なものを含め一切の国王的なものを排除する可能性を追求したルソーの革命的な理論とは異なります。
しかし実際には、アメリカの独立は、フランス革命に先立つ共和国の出現という革命的な事態だったわけです。
アメリカにおいてその革命を合理化しようとする思想が、ルソーの影響をあまり受けなかったとすれば、それは何故でしょうか。
それは、今まで指摘してきたような国(言語)、知的風土の違いに加え、アメリカの現実がルソーのような思想を必要と感じなかったからだと思います。
つまり、彼らの思想的課題として意識されたのは、独立戦争を合理化することであって、植民地おける国家形成の理論的合理化の必要性はあまり感じていなかったのではないでしょうか。ロックの抵抗権思想は、そうした状況に十分対応するものだったように思われます。
当時の思想的影響は、以上のように言えると思います。
しかし、ルソーの理論は、理論のレベルでは、アメリカの場合を含めた今日の民主主義的な憲法理解全般において、君主の存在しない共和国の存在を支える基本的なものとして認められている、と考えていいでしょう。
また前置きが長くなってしまいました。
「一般意志」の説明は次回にします。