hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 XI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(13))

 先回、ルソーの理論が、アメリカの独立革命への思想的影響を持たなかったと思われることに触れました。

 他方、通常、アメリカの独立戦争の際に、フランス王がイギリスを叩くという国際政治の立場--今風にいうところのレアル・ポリティークですね--から、独立派を支援したこと、それがさらにフランスの財政悪化をもたらし、フランス革命の原因の一つになった、というようなことが言われます(例えば、高校の世界の教科書)。

 しかし、アメリカの独立という実践は、フランスの革命家達にとっては、もっと直接的な意味を持っていました。それは、ルソーの理論の正しさを実証するものとして、理論のレベルでも影響を与え、そしてもちろん実践のレベルでも見習うべき手本として、大きな影響をもたらしたに違いありません。

 そして当時の革命国家の国民達の精神が、互いに強く共鳴し合ったのだろうと想像します。

 ニューヨークの「自由の女神像」が、アメリカ独立100年を記念して、フランスで寄付が募られ、アメリカに送られたものであることは、よく知られています。それは、そうした当時の両国民の強い結びつきの歴史を証するものとして理解できるしょう。

 思想史などの研究は、思想を細かく研究することが多いです。しかし、思想が社会(実践)に与えた影響を含めて思想というものを考えると、私がここで触れてきたようなテーマ--フランス革命アメリカ独立革命における思想と実践の関わり合い--になってきます。

 残念ながら、そういうことに焦点を当てた文献、研究はあまり知られていないようです。あるいは単に私の勉強不足で、探せばあるのかもしれませんが。

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 さて、ルソーの「一般意志」です。

 ルソーは、権利を持った個人が集まって、全員でその権利も放棄して、すべてをそこに捧げるような共同体を作ろう、と契約することを「社会契約」と呼び、そうしてできた共同体を「共和国」と呼んでいます。

 そして、この社会契約によって共同体が誕生すると同時に、「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」の存在が想定されます。

 この「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」が「一般意志」です。

  ここまでで、色んな疑問が出てくるだろうと思います。

 しかしまず、先回書いたルソーの問題意識--「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に、Yesという回答をどのように理論的に構築するか--という角度から考えてみると、大筋で、彼のやろうとしたことが見えてきます。

 と、ここまで書いて、この問題を少し広げて、予定より詳しく--「近代国家固有統合体」という考え方を用いて--議論することにしました。

 その方が、中途半端な書き方より、結局のところわかりやすいのではないかと考えたからです。

 これまでに、憲法解釈に関わって、歴史構造主義的アプローチに拠なりがら、「近代国家固有統合体」という考え方を述べてきましたが、それがどれほど役立つものか、わかっていただけると思います。

 ルソーの議論の主要な前提として、①主権と呼ばれる絶対的な強制力を持った国家の必要性を認める、②契約という考え方を採用する、③人民の人権を維持・徹底する、の3つがあります。

  実は、①と②は、ホッブズの『リヴァイアサン』という本の議論の枠組みそのままです。

 リヴァイアサン』は、①すべての人が自らの権利のすべてを、主権者(国家)に譲り渡してこそ、そのような絶対的な主権を持つ国家があってこそ、人々の命と安全、平和が成り立つ、②そのために、人々の間で契約が行なわれる、という主張がなされています。

 またまた、話がわからなくなってくるかもしれません。

 ホッブズは何を言いたいんだろうか?何で、こんな議論をしているのだろうか?

 これって、ルソーと同じじゃん。

 いや、100年前にホッブズが書いたことを、ルソーがパクッた?

 歴年的に整理してみましょう。

 ホッブズが『リヴァイアサン』を出版したのが1651年で、これは、イギリス市民革命の真っ最中です。1642年にピューリタン革命が始まり、1648年に絶対王政が倒れて、翌年からクロムウェル独裁が1658年まで続きます。

 さて、話がここまで逸れた(遡った)ので、当然ロックのことにも触れなければならないでしょう。

 1660年-王政復古、1688年-名誉革命で、1690年に、ロックが『国政二論』を出版しました。

 では、ホッブズ、ロック、ルソーの3人の主張を並べてみましょう。

 高校で教わる世界史の教科書や思想史の本では、だいたい、次のような説明になっています。 

 A. ホッブズは、人間は、自然状態では争い合うので、主権者による絶対的な支配(主権)が必要で、それによってによる平和と安全がもたらされると主張し、新しいタイプの絶対君主擁護論を唱えた。

 B. ロックは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、必要なすべての個人の権利、力を譲り渡すという同意(compact)を通じて、共同社会common-wealth国家)を形成し、その下での法による統治がなされるべきと考えた。専制とは、このような共同社会のあり方とは逆に、その統治者が自らの利益のみを考え、他の臣民の命をも絶対的に支配する体制である。人民は、それに抵抗する権利を持つ、と主張した。

 C. ルソーは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、すべての個人の権利をを譲り渡すという同意(社会契約)を通じて、メンバーが完全に平等化し一体化した集団--共和国--を形成すべきだと考えた。この集団形成によって、一方で共和国の主権が生まれるが、同時にその集団としての意志--一般意志--が生ずる。一般意志は、メンバーの共通利害を基にしたものであり、共和国の持つ主権を指導するもの、とした。 

  こうやって並べると、入試問題で、「彼らの主張をそれぞれ400字以内で簡潔に書け」とか「400字以内で、その違いを述べよ」とかを連想します。

 確かに、歴史的な事実を知っておくことは重要ですが、それらの事実をより大きな歴史的な枠組みにおいて関連づけながら、位置づけながら理解することがさらに重要です。

 「近代国家固有統合体」という考え方は、そうした歴史理解のための枠組みです。

 この考え方から言って、イギリス市民革命期の思想を見ていく際に、絶対に欠かすことのできないのは、1648年のウェストフェリア条約です。

 この条約は、ヨーロッパ大陸での30年宗教戦争の長い戦乱に終始を打つべく、ドイツのウェストフェリア州で開かれた講和会議の結果として結ばれたものです。

 イギリスは、革命の内乱状況で、この会議に参加しなかったとされています。 

  歴史の事実をただ羅列するような理解の仕方だと、参加しなかった会議の結果(ウェストフェリア条約)は、イギリスと関係ないよね、ということになりかねません。

 結論を先に言うと、「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していきます。

 そうした発展の最初の国際的レベルでの動きのはっきりとした一歩目が、ウェストフェリア条約の締結です。

 イギリスは、この時講和会議には参加していませんが、それは、イギリスが「近代国家固有統合体国際システム」という枠組みから離れていることを意味しません。

 「近代国家固有統合体国際システム」は、ウェストフェリア条約の締結国(者)だけによって構成されているものではありません。

 それは、「近代国家固有統合体」同士が、相互の主権の存在を認め、尊重することを基本として関係を持っていく体制です。

 ウェストフェリア条約は、そうした「近代国家固有統合体」間のあり方を、明確化し、強化していったということができるでしょう。

 もっとも、当時のウェストフェリア条約締結者達は、私がいう「近代国家固有統合体国際システム」を作り出していっているという自覚は全くなかったでしょう。

 むしろ、ウェストフェリア講和会議の参加者(君主)にとっては、自分達の「所有」する権利=主権を確認、確立するということが目的であり、そして彼らにとって主権とは、古くからある自分達の財産の主要なもの、特別な財産、というような意識であったでしょう。

 したがってまた、イギリスの名誉革命は、彼らの財産としての主権というその原理に対する挑戦のようにとらえられていたのであって、ヨーロッパ大陸での戦乱がなければ、革命に対する彼らによる干渉戦争は必至であったと言うべきです。

 にも関わらず、私はさっきからお経のように--「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していく--というようなことを唱えています。

 少し詳しく、ウェストフェリア条約から見ていきましょう。

 まず、講和会議の参加者は「国」ではなく、君主や都市(それらの使節)です。そして、この会議で決定されたことの内、主要なことは、それぞれ一定の地理的空間に対するこれらの参加者それぞれの主権の認定(相互尊重の約束)でした。

 今、話を単純化するために都市を除いて議論します。

 この主権の認定は、君主達の主観的意識としては、自分達の所有する財産を相互に認定した、と言うことでしょう。その限りで、従来と異なる新しい要素は無い様に見えます。

 また、その主権の確立によって、対外的に外からの干渉(ローマ教会)を排除する権限、対内的に様々な勢力に対する完全な支配権が認定されました。

 このことは、客観的にいっても、主権概念の確立、認定は、主権というものが絶対君主の所有する財産の様な権利(自由に取り扱うことができるもの)として、むしろ純化された、と見ることすらできそうです。

 ところが、「固有統合体」という観点からは、全く違うものが見えてきます。

 まず、主権sovereignty、あるいは主権者sovereignという言葉に注目しましょう。

 やっぱり、日本語の翻訳はすばらしくよくできていると思いますが、こういうことを考える時に、ヨーロッパ語ネイティブの人は圧倒的に有利ですね。 

 soveというのは、superということで、reignというのは、王reyとして統治するという意味です。ですから、sovereigntyというのは、最高の統治権、絶対的な統治権ということです。

 他方、国家stateというのは、stateが土地を意味していて、そこから土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権を意味する様になったと言われています。

 日本国憲法では、英訳日本国憲法のstateに「国」が対応しています。これも、おそらく日本の中世において「国」が土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権であったこと意識した使い方ではないかと思います。

 私がこの語源的なことから言いたいのは、「主権」が所有権的なものというよりもいわば経営権的なものだということです。

 「近代国家固有統合体」成立以前のこのような土地に対する支配権は、分割したり、条件をつけて他人に譲渡する(例えば「封土」として家臣に与える)ことが可能でした。

 ところが、主権sovereigntyは、性格が違います。それは統治の権利なのですが、まず統治の対象が、すでに一定のまとまりを持ったもの--一定の地理空間において固有に統合された人民(地理経済)--であり、任意に分割して譲り渡したりすることはできないものであることが特徴です。

 そして、このような固有な地理経済空間が作り出されていく過程--資本主義的発展の始まり--自体に、絶対君主の主権(絶対的な統治)が欠かすことのできない重要な要因として貢献しています。

 つまりその固有な地理経済空間とそれを形成した統治者たる絶対君主は固有の結びつきを持って繋がっています--これが「近代国家固有統合体」です。

 「近代国家固有統合体」は、外部に対しては、 外部からの干渉--他の「近代国家固有統合体」やローマ教会からの干渉--を完全に排除することを求めます。

 このような「近代国家固有統合体」が複数存在するようになると、戦争状態を避けるためには、明確な国境を定めながら、建前上は恒常性を持ったものとしての主権を、相互に承認し合う必要が出てきます。

 このような「主権」は、自由に処分できる家財の所有権--古代的な国家の支配者や封建制度における君主達が土地や人民に対して持ったそれ--と、客観的には大きく異なってきます。

 ウェストフェリア条約は、そのような相互承認を明示化し、明示的な国際的体制--「近代国家固有統合体国際システム」--の形成へと進んだものですが、早くから「近代国家固有統合体」を作り出していたイギリスは、もとより、「近代国家固有統合体国際システム」の潜在的メンバーでした。

 ロックは、その『国政二論』の序文の中で、彼の著書の目的が名誉革命の弁護にあることを明確にしており、その目的を次のように述べています。

 1.現在のウィリアム王の王位を確立すること。つまり、ウィリアム王の権限が、他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確であることを確保しておくこと--何故そうしたことが確言できるかといえば、それは、法に従う統治者たり得る者達の中での唯一の者として、人民の同意による(よって選ばれた)ものであるから。 

 2.(名誉革命を遂行した)イギリス人民を世界に向かって正当化すること--何故正当化できるかといえば、それは、イギリス人民は、正義と自然権への愛とそれらを護るという決意によって、奴隷化と滅亡の危機にあった国(the Nation)を救い出したのであるから。

 私の上の訳は、原文の構文を維持しながら、意訳を混ぜたような感じになっています。

 意訳的にしたのは、もちろんわかりやすさのためですが、原文の構文を維持したのも、それによって、原文の構造(の柱)を維持し、原著者が言いたかったことを見やすくするためです。

 名誉革命によって、イギリスは立憲君主制を確立したと言われます。

 ロックは、その革命、そうした誕生した体制を擁護しているわけです。

 上記の1は、ウィリアム王の権限が正当性を持つことを、国内的な意味で確認しているだけでなく、ウィリアム王の権限が「近代国家固有統合体国際システム」において承認されるべき主権であること--他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確である主権の存在--を宣言していることに注目すべきでしょう。

 「近代国家固有統合体」は、他の「近代国家固有統合体」との競争を勝ち抜くために、内部的には主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化を求めます。また、国際間の約束が貫徹されるために、自分だけでなく、他の「近代国家固有統合体」の主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化をも求めることになります。

 イギリスは、国際的システムの一員であったことはもちろん、このような状態にある「近代国家固有統合体」の最先端にいました。

 そのことを次回に議論します。