hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「気分はもう戦前?」--三浦瑠麗氏の議論批判IV--ファシズム支持勢力とそのイデオロギー

 前回のブローグを書いた時は、私の側から「戦前回帰」の本質を積極的に提起する形で議論を進めようと考えていましたが、そうすると、議論が長くなり、三浦氏の議論に対する批判からも外れすぎてしまう、と考え直しました。

 今回は、何故、三浦氏のような議論、議論の仕方が出てくるのか、そしてそうしたものがマスコミにしばしば登場するのかという問題を、安倍ファシズム政権の支持勢力とその背景にあるイデオロギーや知の状況という角度から議論しようと思います。

 私は、柄谷行人に倣って、ファシズムを「復古的なナショナリズム」であると定義します。

 しかし、安倍ファシズム政権を支えているのは、復古的なナショナリズムそのままのイデオロギーを持っている人々だけではありません。

 この政権への重要な協力者として、上級の外務省官僚達がいます。

 また、彼らをとりまく知的・精神的な世界には、国際政治学者と呼ばれる人々が存在しています。

  三浦氏の東京新聞2017/08/12)での主張の基本をもう一度確認しますと、「大日本帝国」は、敗戦に至る最後の2年間以外は、基本的に順調に発展し、「ある種の豊かな国家であった」というものでした。

 これは、氏の単なる戦前国家についての事実描写ではなく、「大日本帝国」に対する肯定的な価値的評価であることは明白です。

 しかも、見逃してはならないのは、それが現在に対する否定的評価と対になっていることです。

 現在の日本は「志」が低いとされ、「改憲の議論を見ても、国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人が育たなくなっていることが分かる。残念なことです」とされます。

 こうした戦前の肯定と戦後の否定という対比が、最後の締めでも用いられています。

 台湾の李登輝・元総統を見てください。困難な状況下で骨太の政治理念を養い、民主化を主導した名指導者ですが、彼を育てたのは戦間期第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本であり、戦後の日本ではないのです。

 戦前の「国際的成果」が何か誇らしげに--普通の読者なら知らなくて当然、だから反論できっこないでしょ、とでもいわんばかりの--「専門家」の口調で語られています。

 こうした発想には、ファシズムの精神状態(復古的気分)とかなり共有するものがあります。

 これら官僚や国際政治学者達の意識や行動を規定しているのは、1990年代以降の、競争の激化しつつある新自由主義的な国際社会において、日本の世界における相対的な「国力」が急速に低下している、という現実です。

 その根本には、世界経済における相対的な経済力の急速な低下があります。

 

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 上の図は、各国のGDPの前年に対する増加率を示すものです。

 1990年代に、世界経済が中国を含め、停滞、減速の局面に入ってきたことがわかりますが、日本の場合、他国と比較すると、そしてその毎年の累積的な効果を考慮すると、劇的ともいえる相対的な地位の低下が生じていることが確認できます。

 一人当たりGDPを見るとどうでしょうか。

 

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 国際順位に注目すると、上下の動きが大きいですが、基本的に1990年代は10位前後に止まっていましたが、2000年代以降は、急速に順位が下がり、近年は30位前後となっています。

 いわゆる「先進国」の一つの基準とみなされるOECD加盟国は、現在35か国です。

 大雑把にいって、日本は、この30年ほどの間に、OECD加盟国中の上位集団から下位集団の一員へと転落しつつあるといってよいでしょう。

 こうした中で、外務省官僚や国際政治学者達の「日本が先進国であり続けたい(他からそのようなものとして認めてほしい)」という願望が高まり、彼らが内外での日本評価に敏感な状態になっていることは容易に想像されることです。

 ここで思い出されるのは、Wikiにまで詳しく記されているそうした外務省官僚の気持ちが露わとなった、国連における2013年の次の事件です。

 

 拷問等禁⽌条約の履⾏状況を調査する機関である国連拷問禁⽌委員会は、スイスのジュネーヴで2013年(平成25年)5⽉21⽇から22⽇にかけて、⽇本に対する審査を⾏った22⽇に⾏われた審査の席上で、モーリシャスのドマー委員が

 「⽇本は⾃⽩に頼りすぎでは。中世の名残だ。⽇本の刑事⼿続を国際⽔準に合わせる必要がある」

 と発⾔した。⽇本政府の代表として出席していた上⽥はこの指摘に対し、ややギクシャクした英語で反論した。記録動画の⾳声によると上⽥の具体的な発⾔は次の通りである(以下、文法上の誤りがある場合もそのまま発言の通り記載する。和訳はAFP通信の記事によるもの)。

 

  ”Certainly Japan is not in the middle age. We are one of the most advanced country in this field.
  日本は決して中世時代などではない。この(刑事司法の)分野では、最も進んだ国の1つだ。”

 

この発言を受けて会場に苦笑する声が広がると、上田は再び英語

 

  ”Don't laugh! Why you are laughing? Shut up! Shut up!
笑うんじゃない!なんで笑うんだ?黙れ!黙れ!”

 

と叫び、会場は急に静まり返った。上田は更に以下のように続けた。

 

  ”We are one of the most advanced country in this field. That is our proud, of course....
この(司法の)分野で進んだ国の1つであることは、日本の誇りだ。” 

 

 ここで、「中世の名残だ」と指摘した委員が、モーリシャスという小国出身者であったことは、日本の上田委員のプライドを痛く傷つけたように思われます。

 では、日本が相対的に経済的に優位にあった時には、日本外交は余裕があり、自信があったのでしょうか。

 1991年は、日本のバブルが弾け始めた年、経済的には絶頂にあった年です。この年、日本外交(国際政策)の方向性決定の上で、重要な事件がありました。

 湾岸戦争です。クウェート侵略したイラクに対し、国連決議に基づき多国籍軍が結成されました。日本は軍事行動には参加せず、130億ドルという巨額を拠出し、そのほとんどを多国籍軍(米軍)に提供しました。

 この時に、日本が軍事行動に参加しなかったのは、極当然のことでした。憲法上ももちろんそれができるわけはありませんが、当時の国民の大多数がそのようなことに反対することは、明らかなことでした。

 また今日冷静に見ると、軍事的に圧倒的であった多国籍軍側が、実際に軍事行動を全面的に展開する必要があったのかは、非常に疑問です。*1

 1991年はソ連が崩壊した年でもありました。冷戦体制が消失した世界の中で、その後の世界の方向性を決める上でこの戦争がどのような意味を持ったか、それと世界的な新自由主義とどのような関連があるのか、という議論も必要です。

 しかし、今回は議論を急いで、湾岸戦争を切っ掛けとして、事実として日本の国際政策がどのようになって行ったか、に焦点を当てます。

 この時、日本は経済的には優位にあったのですが、冷戦後の新しい国際社会においてどのような方向を目指していくかについて、理念的準備がありませんでした。そのための十分な議論もありませんでした。

 結果的に湾岸戦争は、日本の国際政策における軍事的な要素を、高めていくための世論形成・政策実現・イデオロギー普及の契機となりました。それは、既成事実を積んでいくことによって、なしくずし的に進められました。

 このような国際政策における軍事的要素の高まりは、下図にあるように、今日に繋がる3つの流れによって支えられてきたと言ってよいでしょう。

 そして、この3つの流れを支えているのが、三浦氏等の日本の「軍事的政策を支える国際政治学」的視点です。 

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  3つの流れ、①「合理的」(対米従属)軍事協力徹底派(外務省系)、②軍事的国際協力推進派(小沢一郎的「 普通の国」 論支持者系)、③軍事的国威発揚派(右翼・極右団体系)について簡単に説明します。

 「①「合理的」(対米従属)軍事協力徹底派」は、日本の進路の選択肢は、対米従属しかなく、日米安保条約を米国の立場に立って、軍事協力として「合理的」に徹底強化しよう、と考える外務省の官僚層からなっています。

 「②軍事的国際協力推進派」は、国連における平和維持行動PKOや平和維持軍PKF活動に、日本も国際協力という観点から積極的に参加するべきである、と主張した小沢一郎やそれを支持する人々からなっています。外務省の中にも賛同者がいるでしょう。

 ②の立場は、①の立場と「理論」上は別のもの、別でなければならないもの、のように見えます。

 国際舞台における日本の進路として、①は、安全保障の面を強調しながら、軍事面においても完全な対米従属しか選択肢はない、と主張するのに対し、②は、安全保障における「別の選択肢」として、国連への国際協力を唱えるのです。

 しかし、現実にはそれらは両者とも、自衛隊の活動を海外にまで拡大するということであり、両者が密接に絡まって進んでいきました。

 ②の立場において、明確に①における「対米従属」を批判しない限り、②は①に対する「別の選択肢」ではなく、現実は基本的に、①の活動を「主」とし、②の活動は様々な形でそれを「補助」するものになってしまうことは、論理的必然でしょう。

 ③軍事的国威発揚派は、右翼・極右の人々からなります。上記の自衛隊海外派遣を歓迎しますが、その理由は、安全保障や国際協力にあるわけではありません。自衛隊が少しでも「軍隊」としての能力を「取り戻すこと」、その存在が直接国威を発揚するものとして示されることが、彼らの目的であり、動機となっています。

 また③の立場では、「対米従属」が「既定」となっています。「(虎の衣を借る)軍事的国威発揚派」ということもできます。しかし、この「既定」性は、理論的にはむしろ安定的なものではありません。私は、この矛盾点を隠す「軍事的国威発揚派」のイデオローグ達に、彼らの機会主義的な性格を感じます。

 ①②の人々は、政策の根拠付けに安全保障や国際協力を唱えるものの、そうした軍事的要素を高める政策を通じて日本の存在感を高めよう(国威発揚)とする発想がある点では、③の立場に共通するものがあります。

 先に述べたように1990年代以降に急速に経済的地位の後退がある中で、これらいずれの立場においても、国威の維持、誇示により敏感となり、それを軍事的な要素増大によって追求・実現しようとする動機が強まってきました。

 現在の安倍ファシズム政権は、その頂点にあります。

 三浦氏等の国際政治学者達の多くは、上で述べてきたような流れを批判するのではなく、基本的に支えてきたと言うことができます。

 その基本思想は、A.力に対する信仰、B.対米従属という現実の無視・隠蔽です。

 国際政治学という学問は、国際的な政治現象を対象としていますから、国際情勢がどうなった(例えば、中国が軍拡した、とか、北朝鮮核武装が進んだ、とか)ということに注目し、それを分析し、そこから政策的指針を導く形をとります。

 しかし、その把握、分析の基本思想が、A.力信仰、B.盲目的対米従属、である限り、それが描く国際社会像、指針は、いずれも歪んだものであり、いずれにせよ上記で述べた3つの好軍事的潮流を支えるものとなることは、理の当然と言うべきでしょう。

 三浦氏の様々な発言は、そうしたタイプの国際政治学の本質を、正直にわかりやすく示してくれるものです。

 次回、三浦氏のブローグから3年前の「集団自衛権」をめぐる記事を取り上げて、このことを確認する形で、この三浦氏の議論批判のシリーズを締めることにします。

 

 

 

 

*1:米国の元司法長官であったラムゼー・クラークは、湾岸戦争を不要なものであったとして強く批判しています。(『ラムゼー・クラークの湾岸戦争 -いま戦争はこうして作られる-』地湧社、1994年。)