hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「朝鮮戦争の終戦宣言」を通じて、平和の完全・不可逆的な実現を!--本心では北朝鮮の非核化を望んでいない日本のメディアの欺瞞

 今、北朝鮮の非核化をめぐって、朝鮮戦争終戦宣言というテーマがメディアに載るようになってきています。

 一昨日(7月30日)は、次の記事がネットに上がりました。

 

朝鮮戦争終戦宣言「簡単にやるべきでない」西村副長官

2018年7月30日23時41分

 西村康稔官房副長官は30日のBSフジの番組で、南北首脳会談で朝鮮戦争の年内の「終戦宣言」をめざすと合意したことについて、「(北朝鮮が)具体的な行動を示して、非核化に向かって進んでいることがない限り、そう簡単に終戦宣言をやるべきではない」と慎重論を唱えた。

 西村副長官は、北朝鮮の体制保証につながる終戦宣言が先行することを懸念。「日米、日米韓で連携しながら、北朝鮮にしっかりと行動をとってもらうことが先決だ」と強調した。北朝鮮は米国との高官協議でも終戦宣言を求めている。

 

 これは、朝日デジタルの記事です。

 実は、この記事で報じられている西村官房副長官の主張は、7月10日の朝日新聞の社説そのままです(これについては、後で論じます)。

 

 この記事の官房副長官の主張について、ジャーナリストの布施祐仁氏がツウィッターで、

日本は朝鮮戦争の当事者でもないのに、どういう立場で言っているんだろ? また戦争してほしいと思っているのかな。

 

とつぶやいたところ、長島昭久衆議院議員民主党民進党希望の党等を経て、現在無所属、民主党政権時に防衛副大臣)が、

 

もちろん戦争より平和がいいに決まってます。でも、形ばかりの終戦宣言(北の核やミサイルによる恫喝能力は残ったまま!)がどのような結果を齎すか、少しでも考えて頂きたいものです。終戦なら平和ムードで米軍も国連軍も必要ないとなるでしょう。朝鮮半島から米国の影響力が削がれて喜ぶのは・・・?

 

 とコメントしています。

 実は、ここで言っている「平和ムード」という表現も、7月10日の朝日新聞社説の「融和ムード」という表現と響き合うものです。

 このコメントに対し、布施氏は、

 

終戦宣言で国連軍という枠組みはなくなっても、現実的に北朝鮮の脅威が存在しているうちは、米韓相互防衛条約に基づく米軍の駐留は続くでしょう。そもそも朝鮮戦争などとっくに終戦させておくべきもので、休戦状態を65年も続けていること自体がおかしい。なぜ終戦に反対するのか分かりません。

 

とリプライしています。

 私は、布施氏の主張に賛成です。

 終戦宣言をまず行なおうと言う主張は、常識そのものだと思うのですが、ところが朝日新聞を始めとして、多くのメディアにおいて、メディア自身の主張が常識はずれに満ちたものとなっています。

 相変わらずメディアのほとんどは、朝鮮戦争終戦宣言を論じているようなふりをしながら、事実上、<北朝鮮の非核化>問題、一本槍なのです。

 東京新聞(2018年7月28日)の社説を見てみましょう。

 

朝鮮休戦65年 終戦を非核化につなげ

 

 朝鮮戦争の休戦から六十五年。日本の至近で起きた戦争は、法的にはいまだに戦争状態にある。ようやく、米朝をはじめ関係国間で正式に終結させる動きが出てきた。半島非核化に生かしたい。

 一九五〇年六月から朝鮮半島全域で繰り広げられた朝鮮戦争は、三年後の七月二十七日に「休戦」となり、戦火がやんだ。

 戦争前とほぼ同じラインによる南北分断という結果に終わったが、代償は極めて大きかった。

 民間人を含め五百万人以上が犠牲となった。南北に分かれて住む離散家族は約一千万人にもなる。

 北朝鮮の核・ミサイル問題の根本的な解決には、休戦状態を終わらせ、関係国が平和協定を結ぶことが必要だと、専門家の中で長く論議されてきた。

 しかし休戦協定の締結には、約二年もの長い時間がかかった。捕虜の扱いや、休戦ラインの設定など、関係国の利害が複雑に絡んでいたためだ。

 平和協定締結も簡単ではない。このためまず関係国が「終戦」を宣言し、信頼関係を築く構想が生まれた。法的義務のない、いわば政治的な申し合わせである。

 南北の首脳が四月二十七日に発表した「板門店宣言」に、「今年中に終戦を宣言する」という目標が盛り込まれたのも、こういった構想の反映といえる。

 トランプ米大統領も、「(朝鮮)戦争は終わるだろう」と述べ、前向きな姿勢を示していた。

 ところが米国は、ここに来て慎重になった。非核化の実現より終戦宣言を先行させると、北朝鮮に在韓米軍撤退などを求める口実を与えかねず、不適切だとの指摘が出ているからだ。

 これに対して北朝鮮は、「終戦宣言をしてこそ平和が始まる」と反発し、米朝間の非核化協議は停滞に追い込まれていた。

 休戦状態とはいえ、軍事的緊張は変わっていない。もちろん日本にとっても、巻き込まれかねない危険な状態だ。

 着実に交渉を重ね、早期の終戦を目指してほしい。

 北朝鮮は北西部のミサイル実験場で、主要施設を解体していると伝えられる。北朝鮮地域で死亡した米兵の遺骨返還作業も、二十七日に行われた。

 歓迎したいが、まだ米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない。非核化に向けたロードマップを提示するなど、より踏み込んだ努力を示すべきだ。

 

 最後の2行に至るまでは、真っ当な内容です。

 最後から5行目は、

着実に交渉を重ね、早期の終戦を目指してほしい。

と述べ、全くその通りです。早期に終戦宣言を出すべきです。

 ところが、最後の2行は、次のように述べます。

 

歓迎したいが、まだ米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない。非核化に向けたロードマップを提示するなど、より踏み込んだ努力を示すべきだ。

 

 ここで「歓迎したいが」といっています。文法的には、この「が」は逆接の「が」ではなく、順接の「が」を意味しているととるべきなのでしょう。

 しかし、この「が」には逆接に響く微妙なニュアンスが込められていて、 北西部のミサイル実験場解体や米兵の遺骨返還作業では、足りない、心からは歓迎できない、という感じを伝えるべく、こうした表現が選ばれています。

 つまりこの2行全体として、「まだ足りない」、だから、さらに「非核化に向けたロードマップを提示しろ」と言っているのです。

 (そして、「非核化に向けたロードマップ」の部分も、妙に婉曲な言い方をしています。実質は「提示しろ」と言っているのに、「・・・など、より踏み込んだ努力を示すべきだ」と、言葉先だけに「おとな」の「工夫」が込められていますね。)

 この社説のタイトルは、「朝鮮休戦65年 終戦を非核化につなげ」となっていますので、普通に読めば、「終戦宣言」をして、それから「非核化」とつなげていく、という意味になるはずです。

 ところが、「終戦」という言葉は、完全にフェイク(だまし)のためのものになっているわけです。

 私が7月16日のブローグでも書いたように、東京新聞は、7月11日の社説でも、「終戦宣言」の前に、「北朝鮮大量破壊兵器を完全に申告し、それを放棄する手順、日程を示す『行程表』を作成」すべきだと主張していました。

 私は、そのブローグで次のように述べました。

 もし、この社説のように行程表を作成するとしましょう。

  ①まず、どこにどのような核関連施設・物質・人材がどれだけあるというリストを作ります。

  ②次に、リスト上の各項目について、それらの廃棄の日程を決めていきます。

  このような①②について、未だに戦争状態にある国(つまり、米国)に渡せ、あるいは、合意せよ、というのは、北朝鮮の立場からは認めることができないのは当然すぎることです。

  ①だけでも米国に渡してしまえば、米国の圧倒的な武力によって、ピンポイントですべての施設をあっと言う間に破壊されてしまう可能性は否定できず、その危険を恐れるのは当然でしょう。

  さらに②についても合意すれば、実行しない限り、「合意違反だ」としてまた武力攻撃の格好の理由にされるでしょう。また、②を合意、実行しても、<安全の保証>については、放置され、最終的にそれが得られない可能性も否定できないのです。

 ですから、北朝鮮にとって、①②の提出、作成、合意は、事実上の<完全な非核化(無防備状態)>を意味します。 

 

 繰り返しますが、北朝鮮が、非核化のロードマップ(行程表)の作成前に、「終戦宣言」を出すべきだ、というのはあまりに当然すぎること、道理に適ったことです。

 7月11日の社説では、「米韓の合同演習中止」をしたから、それと交換に「行程表」を出せ、と言っていたのですが、今回の社説では、「米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない」から、「ロードマップ」を出せ、と言っています。

 「北朝鮮に信頼を置いていない」からって、これでは論理も何もありません。

 米朝で合意した「シンガポール共同声明」は、前回書いたように、<安全の保証>が<非核化>に先行することを明確に含意しています。つまり、「シンガポール共同声明」に基づいても、ロードマップ作成に対するものとして、北朝鮮の「終戦宣言」の要求は、正当なものであり、正当なもののうちでも最低限のものと言えます。

 ところが、道理も論理もなく、米朝の合意としての「シンガポール共同声明」の存在も無視して、「ロードマップ」を出せ、というのはどう言うことでしょうか?

 日本のメディアとして、本当に非核化を願うならば、「まず、終戦宣言を」と社説を打つのが当然、自然ではないのでしょうか?

 ところが、こうした態度をとっているのは、東京新聞だけではありません。

 朝日新聞も7月10日の社説で、次のように述べていました。これは、すでに述べたように、西村官房副長官衆議院議員の言論に「影響力」を持っているので、改めて批判的に分析することにします。

 

 「朝鮮半島の永続的で安定的な平和体制」づくりは両首脳が国際社会に発した公約である。緒に就いた高官協議から着実な合意を導き出すよう、万全の努力を注いでもらいたい。

 平壌での協議後、日本を訪ねたポンペオ米国務長官は日韓の外相に結果を説明した。北朝鮮と「生産的な対話」ができたと会見で語ったが、今回も顕著な進展は築けなかったようだ。

 6月の共同声明は、北朝鮮の「完全な非核化」や「安全の保証」に言及したが、時期や行動は示せなかった。本来は事前に詰めるべき工程表づくりを後回しにした異例の会談だった。

 その後、北朝鮮は核とミサイルの実験の凍結を続けており、米側は韓国との軍事演習の中止を発表した。米朝の対話が続く限り、軍事衝突のおそれが遠のいたのは確かだ。

 しかし、それでも現状は融和ムードの延長にすぎず、米朝間の緊張は再燃しうる。非核化と安定的な平和を実現するには、綿密な工程表が欠かせない。

 米朝は今回、作業部会づくりで合意したという。だが、北朝鮮メディアは「強盗さながらの非核化要求だけを持ち出した」と反発しており、さっそく意見が対立したようだ。

 トランプ政権は安易な妥協をしてはならない。共同声明で非核化を誓った金正恩氏の言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。

 ポンペオ氏は見返りとして、北朝鮮の安全を保証する措置もとる構えだ。核開発の理由とされる敵対関係を見直すには、朝鮮戦争の公式な終結論議されるのは自然な流れだろう。

 ただし、そのためには核をめぐる軍事施設や兵器・物質などの全面開示と査察の受け入れへの道筋を描かねばならない。

 

 この社説において、「工程表」という言葉が、3番目の段落と5番目の段落で出てきます。

 ここでいう「工程表」は、何の「工程表」でしょうか?2つの解釈が可能でしょう。

 第1は、「完全な非核化」の「工程表」で、第2は、「完全な非核化」および「安全の保証」の2つの事項全体を覆う「工程表」です。

 本来、「シンガポール共同声明」に表された米朝首脳の合意に対応しているのは、明らかに、第2の解釈にあたるものです。

 そう解釈すると、この社説は、第5段落まで真っ当な内容、主張がなされています。

 つまり、この社説が言うように、

非核化と安定的な平和を実現するには、綿密な工程表が欠かせない。

との主張はその通りであって、ここでいう「綿密な工程表」とは、「完全な非核化」および「安全の保証」の2つの事項全体を覆う「工程」が綿密に書かれたもののことです。

 そうした「綿密な工程表が必要だ」というのは、「シンガポール共同声明」に則った真っ当な主張です。

 ところが、そう思って第2の解釈に従って読み進めていくと、6段落目からどうも様子が変わってきます。

 

米朝は今回、作業部会づくりで合意したという。だが、北朝鮮メディアは「強盗さながらの非核化要求だけを持ち出した」と反発しており、さっそく意見が対立したようだ。

 

 「さっそく意見が対立したようだ」と悟っていたような、かつ、第三者のような書き方をして、続いて、第7段落では、

 

トランプ政権は安易な妥協をしてはならない。共同声明で非核化を誓った金正恩氏の言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。

 

と上から目線の強い調子で、「言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。」と主張しています。

 ここで出てくる「行動計画」というのは事実上「非核化」の「工程表」のことであるとしか読めません。

 であるとすると、先の2段落目と5段落目の「工程表」も、先の第1の解釈での「非核化」の「工程表」ということになります。

 おやおや、何だこりゃ。

 やっぱり、声高な<非核化>一本槍だったということです。

 朝日新聞の場合も、フェイク(騙し)の表現・テクニークが用いられています。もう一度、始めから振り返ってみましょう。

 第1段落は、「朝鮮半島の永続的で安定的な平和体制」づくりという米朝首脳の国際公約から始まり、着実な高官協議による合意を努力するよう希望を述べていました。

 ところが、第3段落に来ると、「6月の共同声明は、北朝鮮の『完全な非核化』や『安全の保証』に言及したが、時期や行動は示せなかった」と言い出します。

 まず、ここで「言及」という表現が小賢しい騙しのテクニークの始まりです。共同声明での明確な合意事項である「完全な非核化」と「安全の保証」は、たんに「言及」された程度の意味しか持たないものにされています。

 そして、「言及したが、時期や行動は示せなかった」という表現は、「シンガポール共同声明」は「欠陥製品」であるという印象を与えた上で、むしろ重要なのは、言及されなかった「時期や行動」の問題である、と読者を誘導します。

 「時期や行動」の問題は、それ自体重要なのはもちろんなので、読者はその意味で、気を許してしまい、そこで、続く朝日新聞の主張「本来は事前に詰めるべき工程表づくり」という表現も受け入れてしまうでしょう。

 ここでズルイのは、<「工程表」>という言葉は本当は、<北朝鮮の「完全な非核化」の「工程表」>を意味しているのに、故意に、<北朝鮮の「完全な非核化」の>という修飾を書かずに、読者にそのことを意識させないようにしていることです。

 きちんとこの<北朝鮮の「完全な非核化」の>という修飾を加えていたらどうなっていたでしょうか?

 今、この第3段落を、この修飾を加えて書き直して見ましょう。

 

①6月の共同声明は、北朝鮮の「完全な非核化」や「安全の保証」に言及したが、時期や行動は示せなかった。②本来は事前に詰めるべき<北朝鮮の「完全な非核化」の>工程表づくりを後回しにした異例の会談だった。

 

 こうすると、 ①の文にあった「安全の保証」の問題が、②では無視され出てこないこと、一見第三者としての公平を装いながら、実際は<北朝鮮の「完全な非核化」>しか眼中にないことがバレバレです。

 同じことが、第5段落でも言えます。その該当部分に、<北朝鮮の「完全な非核化」の>という修飾を加えて書き直したのが以下の文です。

 

「非核化」と「安定的な平和」を実現するには、綿密な<北朝鮮の「完全な非核化」の>工程表が欠かせない。

 

 こういうふうに<北朝鮮の「完全な非核化」の>と明記されていれば、読者は、すぐに社説のいう「工程表」がアンバランスなものであることに気付き、何故「安定的な平和」についての「綿密な工程表」は不必要なんだろう?と疑問を持ったはずです。

  実体を隠すために、本来必要であった修飾を行なわないのは「ズル」です。

 ところが、さらにこのように書き出して分析するとわかってくることですが、これらの部分には、「ズル」よりも悪質な「ウソ」が潜んでいます。

 それは、すでにある米朝間の合意としての「シンガポール共同声明」の論理をねじ曲げている、ということです。

 朝日新聞は、このねじ曲げのために、意図的に(しかし読者には気づかれないようにさりげなく)、「シンガポール共同声明」と逆の順番で、「完全な非核化」と「安全の保証」・「安定的な平和」という言葉を並べています。

 「シンガポール共同声明」では、明らかに、先に「安全の保証」あるいは「安定的な平和」が書かれていて、その後に「完全な非核化」が来ています。

  ところが、朝日新聞では、「完全な非核化」と「安全の保証」、あるいは「完全な非核化」と「安定的な平和」というように、順番が逆になっているのです。

 私は、「シンガポール共同声明」におけるこれらの言葉の順番は、たまたまであって無意味だというものではなく、事柄の本質に適い、かつ「共同声明」の意図を示した重要なものである、ということを繰り返し強調してきました。

 ところが、朝日新聞は、勝手に、しかしさりげなく、この順番を逆にした上で、まず「非核化」が必要なのだから、さらに、何よりもまず、「非核化」の綿密な「工程表」が欠かせない、という論の進め方をするのです。

 こうした「シンガポール共同声明」についての曲解(「ウソ」)に基づく朝日新聞の論理は、結論を構成する第6段落と第7段落でも、「効果的に」繰り返されています。

  

 ポンペオ氏は見返りとして、北朝鮮の安全を保証する措置もとる構えだ。核開発の理由とされる敵対関係を見直すには、朝鮮戦争の公式な終結論議されるのは自然な流れだろう。

 ただし、そのためには核をめぐる軍事施設や兵器・物質などの全面開示と査察の受け入れへの道筋を描かねばならない。 

 

  「朝鮮戦争の公式な終結論議されるのは自然な流れだ」という部分は、それについては、万人が納得する文章で、まさに「自然に」読者に入り込んできます。

 ところがそれには、「 工程表」(=「軍事施設や兵器・物質などの全面開示と査察の受け入れへの道筋」)が第一に必要で、それがないと「朝鮮戦争の公式な終結の議論」もすべきでない、と言うのです。

 つまるところ、朝日新聞の社説は、実質的には「朝鮮戦争の公式な終結の議論」を始めることには反対だ、と言っているのと同様です。

 ここでも、「朝鮮戦争の公式な終結」という避けることのできないテーマを受け止めているようなふりをしながら、実質<北朝鮮の非核化>一本槍の主張が行なわれています。

 東京新聞の社説(7月28日)の場合は、まず「工程表」を出せという理由として、「北朝鮮が信用できないから」という、とても「分かりやすい」理由を挙げていました。

 これに対し、朝日新聞の社説は、まず「工程表」を、という理由をでっち上げるのに、手の込んだ形で「シンガポール共同声明」をねじ曲げて伝える、というジャーナリズムとしてはしてはならない悪質な行為を、意図的に行なっています。

 そうした行為に一度手を染めだすと、一度では済まなくなり、何度もそれが繰り返され、それに何の痛痒も感じなくなります。

 本来あった「安全の保証」と「非核化」の<合意>を、「安全の保証」と「非核化」の順番を逆にして、「非核化」と「安全の保証」と書き換え、さらに<合意>を<言及>と書き換えました。

 そして、第6段落では、「ポンペオ氏は見返りとして、北朝鮮の安全を保証する措置もとる構えだ」と言い出しました。

 これも明らかに「シンガポール共同声明」をねじ曲げた上で、本来の「シンガポール共同声明」から乖離した文脈を「創作」しています。

 そこには、順番としてまず「非核化」が先だという印象を与えるだけではない、別の要素があります。「ポンペオ」の名前が持ち出され、「見返りとして」「措置」「構えだ」といった表現で、「北朝鮮の安全の保証」が一つのオプションであるような印象を与え、かつ、そのオプションの選択がポンペオの判断にかかっているような印象がもたらされています。

 しかし「共同声明」は、トランプの名において、北朝鮮に安全の保証を約束したものであって、「安全の保証」はオプショナルなものではありません。ポンペオにはそんな権限はありません。

 トランプは、「シンガポール共同声明」発表直後の記者会見の冒頭のスピーチにおいて、3回も朝鮮戦争を終わらせることを繰り返しているのです。「朝鮮戦争の公式の終結」は、明らかに「安全の保証」の中に含まれているばかりでなく、トランプと金正恩は直接にこのことについて議論したことは間違いないでしょう。

 朝日新聞の社説は、二国間の首脳によってすでになされた「合意」が欠陥品であるかの印象を与えた上で、「合意」を書き換えたり、無視したりしながら、本来すでにある「合意」のもとでなされるべき続きの交渉を、いつの間にかポンペオの判断次第で、「安全の保証」や「朝鮮戦争の公式の終結」の有無やそれらのスケジュールが決まるようなものにしています。

 朝日新聞の社説の書き手は、もちろんすべてをわかっていて、こうした書き方をしているのでしょう。いざという時にどのように言い訳するかも考えた上で。

 最初に述べたように、西村官房副長官や長島議員の主張は朝日新聞の社説に学んだものでした。

 私は、ジャーナリズムのあるべき姿を考えた時、朝日新聞は非常に罪深いと思います。

 

 以上、「朝鮮戦争終戦宣言」というテーマがメディアに載るようになってきましたが、その実質が、屁理屈を言いつつこのテーマを避けるもの、「北朝鮮の非核化」に狭窄化した議論であることを明らかにしてきました。

 私は、こうしたメディアの態度の背後には、実は彼らが「北朝鮮の非核化」を心から望んでいるのではなく、逆に北朝鮮が核を維持し、好戦的な姿勢を持ち続けることを望んでいること、彼らの間にそうしたイデオロギー・利害関心の浸透があることを示していると考えています。

 もしそれがなければ、多くのメディアの主張は、単純に、「何はともあれ、まずは、朝鮮戦争の戦争状態の終結を」という自然なものになっていたはずです。

 

 そのことについては、回を改めて議論します。