hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「平壌共同宣言」を生み出したすばらしい韓国外交--「非核化」交渉をどう理解するか(その1--メディアの変化)

 9月19日に、韓国と北朝鮮の両首脳によって「平壌共同宣言」が出されました。すばらしいですね。4月27日の「板門店宣言」での内容を着実に履行していこうとする両首脳の姿勢・意志がはっきりと感じられます。その基本戦略は、韓国(文大統領)側がイニシアチブを持って用意したものと考えて良いでしょう。

 日本では、相変わらず、「非核化」問題に焦点を当てて、それに具体的進展が見られない、という否定的な視点や評価による報道が大量になされました。

 しかし、同時に、注目すべき変化が起きつつあります。

 まず、取り上げるべきは、朝日新聞の社説(9月20日)です。冒頭から、明確に「平壌共同宣言」に対する歓迎の意志を表しています。

 

 南北朝鮮は今年、ともに建国70周年を迎えた。節目の年に、全く新しい関係が切り開かれつつある。きのうの首脳会談は、それを如実に印象づけた。

 わずか5カ月の間に3回目の会談である。平壌での共同宣言は、戦争の危険の除去と敵対関係の解消などをうたった。冷戦の残滓(ざんし)といわれた南北が対立の歴史を乗り越え、和解を深めることは歓迎すべきことだ。

 

 「非核化」問題については、次のような保留を付けていますが、それは主ではありません。

 

 ただ、同じ民族間の関係とはいえ、非核化問題を棚上げしては真の改善は望めない。この前向きな機運をさらに広げ、国際社会が抱く懸案の解消に向けて努力を続ける必要がある。

 

 朝日新聞の「非核化」問題に関する中心的主張は次の通りです。

 

 文氏は南北融和をバネに米朝間の仲介をめざしている。その努力は続けてもらいたいが、「伝言外交」にはおのずと限界がある。根本的な核問題の解決のためには、米朝が正面から向き合わねば始まらない。

 北朝鮮は、米国が相応の措置をとれば、寧辺地区に集中する核関連施設を永久に廃棄すると約束した。相応の措置とは、朝鮮戦争終戦宣言など、北朝鮮の体制保証につながる米側の対応を指すとみられる。

 これに米政府がどうこたえるかは見通せない。核施設の申告や過去に生産した核の放棄など、米側が求めている行動が盛られていない。「廃棄」の中身は限定的で、事態がすぐ打開するとは考えにくい。

 相手に先に求める行動をめぐり互いに譲らない。この現況を解きほぐすには、直接対話を重ねるほかない。ポンペオ国務長官らと北朝鮮側は、歩み寄りを探る協議を始めるべきだ。

 トランプ米大統領は共同宣言について「すばらしい」とツイートしたが、単なる賛辞で済ませてはならない。非核化と地域の安定のために、腰を据えた外交交渉を指揮すべきである。

 

 この最後の2つの段落では、「直接対話を重ねるほかない」「 非核化と地域の安定のために、腰を据えた外交交渉を指揮すべきである」と主張しています。

 朝日新聞は、7月10日の社説では、「トランプ政権は安易な妥協をしてはならない。共同声明で非核化を誓った金正恩氏の言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。」「トランプ氏は秋の中間選挙や2年後の大統領選を意識し、成果を急いでいるともいわれる。そんな短期的な思惑で功を焦れば、長い時間軸がとれる独裁国の思うつぼになりかねない。」と、声高に北朝鮮の「非核化」行動を優先的に要求していました。

 今回の社説では、全く変わって、「非核化」行動と終戦宣言のいずれを優先するかについて、それ自体を、米朝の話し合いによって歩み寄り解決しろ、と言っているのです。大きな変化です。

 東京新聞では、このような明確な変化は見られません。ただ、次のように、決めつけの論理が後退し、少しずつ口調がソフトになってきています。

 

(7⽉11⽇社説)

 ⽶国はすでに、韓国との定期合同軍事演習の中⽌を決めている。次は北朝鮮が、具体的な⾏動に踏み出す番ではないか。

(7月28日社説)

 まだ米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない。非核化に向けたロードマップを提示するなど、より踏み込んだ努力を示すべきだ。  

(9月20日社説)

 首脳会談前に文氏は、先に核放棄を行うよう正恩氏を説得する考えを表明していた。合意文を見る限り、応じなかったようだ。先に終戦宣言の実現を求める立場を変えていない可能性がある。

 ・・・・

  韓国は、南北関係に目を奪われることなく、非核化についても、粘り強く説得を続けてほしい。 

 

  そして東京新聞の場合も、注目すべき変化があります。それは、一週間ほど前の社説に見られます。

 

(9月16日社説)

◆変化を過度に恐れず

 つまり、終戦宣言が出たことで、突然、朝鮮半島と日本で、米軍の役割や機能が一気に変わってしまうとは考えにくいのです。

 もちろん、北朝鮮が非核化に向け具体的に動くことが前提です。正恩氏は、「朝鮮半島の非核化を、トランプ氏の一期目の任期に実現したい」とも語っています。

 楽観は禁物ですが、悲観もせずに実行を見守りたい。

 関係国が終戦に前向きになっています。変化を過度に恐れず、朝鮮戦争を、一日も早く完全な形で終わらせなければなりません。

 

 ここでは、「もちろん、北朝鮮が非核化に向け具体的に動くことが前提です。」という保留を付けていますが、従来の「非核化」一辺倒の視野狭窄状況から、終戦宣言へと視線が向いています。これは重要な変化です。

 東京新聞ではまた、五味洋治編集委員名で、「思い出したい吉田首相の『C案』」という記事( 9月18日)を掲載しています。彼は、朝鮮半島の政治を専門にする人ですが、次のように始めています。

 

 今、米国と北朝鮮の間で、朝鮮戦争(一九五〇〜五三年)に関して「終戦宣言」をめぐる交渉が続いている。現在の体戦協定を法的拘束力のある平和協定に切り替える前に、「もう戦争はしない。平和共存する」と内外に伝える政治的な宣言のことだ。緊張が続く北東アジアに大きな転機をもたらせる可能性があるが、安倍政権は一貫して冷ややかな姿勢だ。

 日本はかつて、朝鮮半島の平和と安定を目指し、独自のプランを作ったことがある。敗戦からまもなくのことだった。

 

 そして、この「独自のプラン」--1950年12月に吉田首相の講和(日本の主権回復)交渉のために準備された「C案」--を次のように紹介しています。

 

 C案はまず「全ての国と平和に生きることが、世界で普遍の願いだ」と宣言する。そして、日本と朝鮮半島を非武装地帯と定め、米英ソ中の四カ国が北太平洋の軍備を制限し、国連がそれを監視する。国際法を参考にし、専門家に相談して苦労して練り上げた、大胆な理想論だった。

 

 この記事の最後は、次のような「安倍政権の冷ややかな姿勢」への批判によって締められています。

 

 安倍晋三首相に、吉田が「C案」を準備していたようなしたたかさや、気概が感じられないのが残念でならない。

 

 明示的には書いていませんが、五味氏は、日本が積極的に「終戦宣言」に関わっていくことを願っているのです。

 さらに、東京新聞の本日(9月23日)の「新聞を読んで」欄では、目加田説子氏が、「報道が『核問題』ばかりに注目しすぎている」と言っています。つまり、私が批判してきた「非核化」一辺倒への批判と同様のことを述べているわけです。そして、「核問題以外にも注目を」として、次のような議論を展開しています。

 

 非核化(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化=CVID)が重要課題であることは論をまたない。だが、これまで、自力で核武装した国が交渉で非核化した例は世界に一つもない。ましてや、中国やロシアも含めた大国の思惑が交錯する朝鮮半島で、非核化を終戦宣言の絶対条件にする限り、事態の打開は難しい。

 今回の首脳会談では、朝鮮半島での戦争の危険除去と根本的な敵対関係解消につなげていくことで合意した。これは、朝鮮戦争の最前線に位置する両国が米国などの関係国に先んじて、事実上の戦争終結宣言をしたに等しいとも読み取れる。そんな見方が正しいのか、間違っているとすれば、敵対関係解消宣言をどう受けとめるべきなのか。

 

 議論(私達の視線)は、自然と「終戦宣言」に向かいつつあるのです。

 私は、このブローグで、「板門店宣言」には、北朝鮮の非核化と終戦宣言を一体化しようとする意志(終戦宣言によって北朝鮮の非核化を安定的に進めようとする了解)が存在する、という私の基本的な理解を述べて来ました。

 そして、この基本的理解に立って、メディアにおける「非核化」のみの狭窄的視点を批判するとともに、今後の「非核化」に関わる議論において、必ず終戦宣言が「非核化」と一体的なテーマとして浮かび上がってくること(日本のメディアでも取り上げざるを得なくなること)を指摘してきました。実際、そうした方向へ少しずつ変化が起きつつあります。

 ただ、いつも見ている毎日新聞についても見ておきますと、9月20日の社説は、次の通りで、今のところ、従来の姿勢を変えていません。

 

 北朝鮮は核開発の中核である寧辺(ニョンビョン)の核施設に関しても永久廃棄を表明したが、米国が相応の措置を取ればという前提条件を付けた。まず米国が朝鮮戦争終戦宣言に応じるべきだとの北朝鮮の従来の主張を反映したものだろう。米国は非核化措置を先行させる必要があるとの立場で、これでは平行線のままだ。

 核開発を進めて北東アジアの緊張を高めた側が行動対行動の原則を持ち出す論理に、韓国が理解を示したことにならないか、懸念が残る。

 

 ここで毎日新聞は、北朝鮮の側が核開発で緊張を高めた張本人なのだから、「行動対行動の原則」を持ち出すのは「けしからん」、それに事実上同意している韓国も「けしからん」と言っているわけです。

 しかし私は、毎日新聞もその内、宗旨替えするだろうと思っています。

 

 どうして、このような変化が起きているのでしょうか。

 それは、現実が変化しているからです。変化しつつある現実を前にして、メディアは目をつぶり続けることは出来ないからです。

 「平壌共同宣言」に先立って、9月19日「歴史的な『板門店宣言』履行のための軍事分野合意書」が南北軍部高官によって署名されました。

 これは、韓国・北朝鮮間の終戦宣言であって、これも「歴史的な」重みを持つものです。

 先に、目加田氏が、今起きている事態を「事実上の戦争終結宣言」として理解して良いのか、という問題提起をしていることを見ましたが、私はそれに肯定的に応えます。

 まだ紆余曲折があるとしても、この合意書・共同宣言によって、軍事的緊張に集約される両国間関係に代えて、平和的・共存的な関係への移行が決定づけられたと言って良いでしょう。

 そしてこの合意書・共同宣言は、また、米国によって支配された安保体制という環境の下にありながらも、両国の主体的な決断の重要性・先導性によって平和的関係への移行が進められたことを証拠づける歴史的ドキュメントとなるでしょう。

 そしてこのような現実は、このブローグで繰り返し述べてきたように、「板門店宣言」に始まった平和への動きの過程を通じて生み出されてきているのです。 

 

 では、現時点で「非核化」の問題をどのように理解できるでしょうか?

 以上述べてきたようなメディアの変化と平和への動きの中で、「非核化」問題(交渉)はどのように位置づけることが出来るのでしょうか?

 次回は、このことを論じたいと思います。